こんにちは!昨年の春ごろからずっと美鈴を呼んで下さっていたお方がいました。
その方をお祀りする神社は関東にもありますが、眷属の方と相談して、やはりあの社が良いだろうということになりました。
そのお方こそ、ヤマトタケさん(日本武尊)の叔母であるヤマトヒメ(倭姫命)です。イミナをヨシコといいます。

早速、皇大神宮別宮 倭姫宮を訪ねることにしました。
ヤマトヒメの系図
それでは、ここでヤマトヒメの系図をちょっと整理してみたいと思います。

ヤマトヒメは人皇第11代 イクメイリヒコスヘラギ(垂仁天皇)の皇女で、
二代目ミツエシロ(斎王)になります。(ちなみに第一代は崇神天皇皇女のトヨスキヒメ)
母君のカバヰツキヒメ(二代目の皇后)はヤマトヒメをお産みになる前に夢を見ます。
皇后は夢の中で、ヤマトオオクニカミ(クシヒコさんのこと)からシデ(お祓いに使う紙や布を切って垂らしたもの)を貰います。

ヤマトヒメというお方は、まさに、

しかし、不幸にもカバヰツキヒメは産後に病気で亡くなってしまいます。
京都府城陽市に鎮座する樺井月神社はカバヰツキヒメを偲んで建てられたと想定されています。(現祭神は月読命)
わずか11歳で、ミツエシロとなったヤマトヒメはトヨスキヒメの後任として、伊勢に向かいます。
舅のアマテルカミに仕えたタクハタチチヒメが源流。アマテルカミご存命時の時と同じようにお伝えするお役目のこと。
アマテルカミのお告げによる巡行
余談ではありますが、トヨスキヒメとヤマトヒメは諸国巡業に向かい、各地にアマテルカミの宮やその他の宮を建てますが、
実際にはどの場所だったのか古語と実際の地名を少し整理してみたいと思います。
| ミツエシロ | 地名 | 現在の地名 |
| トヨスキヒメ | カサヌヒ | 奈良県桜井市三輪山付近 |
| トヨスキヒメ | ヨザ | 京都府北部 宮津付近 |
| トヨスキヒメ | ササハタミヤ | 奈良県所在地不詳 |
| トヨスキヒメ | イセタカミヤ | 松坂市山添町神山神社付近 |
| ヤマトヒメ | イソベ | 多気町相可磯部寺伊蘇上神社 |
| ヤマトヒメ | ウヂ | 現:内宮 |
最終的にサルタヒコさんの伝え言葉によりアマテルカミを内宮の地にお祀りします。

ヤマトヒメカミシツムアヤ
ヤマトヒメはアマテルカミ(天照大神)の宮を内宮の地に立てたお方なのですが、
詳細はホツマツタヱ36アヤ ヤマトヒメカミシツムアヤに書かれています。
この箇所は、いたずらに美鈴が書き下し文と訳文を載せるのはとても畏れ多いですし、
内容も素晴らしいので、是非ヲシテ本文を直接お読みいただきたいと思います。
アマテルカミのお告げの箇所のみ池田満氏の訳文を掲載します。
記紀原書 ヲシテ 増補版 下巻 池田満氏著

昔私の住まいしていたサコクシロは シキナミの寄するイセノミヤである。
長くここに留まりたいので、ミヤを守って欲しい。
そしてトヨケカミとここでも御一緒でありたい。
ヤマトヒメがそのように告げると、(イクメノ)キミはたいそう喜ばれた。
晩年のヤマトヒメ
長寿だったヤマトヒメは、イソミヤ(伊勢市磯町・磯神社)に隠退し、128歳の時に甥のヤマトタケさんが訪ねてきます。
ヤマトタケさんにニシキフクロとムラクモノツルギを授けます。

前置きが随分長くなってしまったので、
今日はここまでにします。次回はお社とヤマトヒメ様との出会いについて書く予定です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ホツマ辞典/記紀原書 ヲシテ 増補版 下巻 池田満氏著