アマテルカミの治世 ~罪の計量化~

こんにちは!今日はアマテルカミの治世 ~罪の計量化~というタイトルで、

アマテルカミ(天照大神)が行ったマツリゴトの改革のうち、罪人が犯した罪の計量化について説明します。

アマテルカミの治世には、水田稲作によって人々の生活は格段に豊かになったものの、

他人を妬む心やうらみが蔓延し、多くの諸問題が発生した時期でもありました。

そして、タミ(民)を教え導くトミ(臣)も驕りや傲慢さゆえに、

罪を犯し、ヲヲヤケ(朝廷)を蔑ろにする事態も発生していました。

罪の計量化の背景

それでは、具体的にどのようなトミ(臣)の横暴があったのでしょうか。見ていきたいと思います。

ネノクニ(今でいう北陸道)クニカミ(国司)カンミムスビ(トヨケカミの子)という方ががおられました。

そして、マスヒト(準国司)の役職には、イサナギ様の弟クラキネさんとその継子(つぎこ)シラヒト

という人物がついていました。

一方、サホコ(山陰道)には、コクミというシラヒトの仲間がいました。

この二人はアメナルミチに背くような悪だくみを行っていました。

そして、美女のサシミメという女性をクラキネさんの妾に送りこみ、そのかわりにコクミマスヒトに任命されます。

クラキネさんが亡くなると、今度はクラキネさんの子シラヒトが、

父の妾のサシミメさんに対して乱行し、その娘であり、妻でもあるクラコヒメをぞんざいに扱い、

挙句の果てに二人をコクミの元へ追いやってしまいます。

このような出来事もあり、アマテルカミ(天照大神)刑法における罪を計量化しました。

余談ですが、大祓詞の一節に出てくる天の益人とは恐らくシラヒトコクミのことを言っているのだと思います。

大祓詞の一部抜粋

罪の重さの尺度

それでは、具体的にアマテルカミ(天照大神)が定められた罪の重さの尺度をもとに、

シラヒト・コクミが犯した罪の重さを計量化すると、以下のようになります。

これを見るとシラヒト・コクミへの罪の計量は370クラになります。

そして、ヲヲヤケに対する信頼低下に対して、

極めて重い計量がなされていることは注目されます。

では、370クラとは具体的にどのような処罰となるのか?処罰の区分けを見ていきましょう。

これを見ると、死罪を賜ったということになります。

このシラヒトという人物はアマテルカミにとっても従兄弟にあたるので、

重苦の決断だったとは思いますが、シラヒトコクミが行った、

権力(チカラ)をみだりに貸与することは、朝廷を蔑ろにする行為であるため、

最も重い罪を課せられたのでした。

アマテルカミの治世当時に、

公正を旨とした、量刑法を施行したことは、画期的な刷新であったと思います。

今日は、アマテルカミ(天照大神)が行ったマツリゴトの改革のうち、

罪の計量化について焦点を当てました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

アマテルカミおでましに 神奈川県川崎市 琴平神社

こんにちは!眷属の方より、神奈川県川崎市麻生区に鎮座する琴平神社アマテルカミ(天照大神)がお出ましになっているという情報を聞いたので、早速行ってみることにしました。

小田急線柿生駅よりバスが出ています。早速、由緒を見てみます。

琴平神社 由緒

この由緒を見ると、琴平神社はもともと伊勢信仰として成立し、江戸後期金刀比羅信仰が重層化した神社であることが分かります。

実は、金毘羅信仰航海安全の神として、伊勢信仰と並ぶくらい江戸時代においてはブームだったのです。

その背景を纏めましたのでご覧ください。

金毘羅信仰が流行した背景

金刀比羅宮は庶民にとって開かれていたため、江戸期に爆発的に金毘羅信仰が広がったようです。

神明社の御祭神:天照大神と琴平社の御祭神:大物主神がお祀りされている神社になります。

オオモノヌシと言ったらクシヒコさんのことなのですが、

何とこちらの神社はアマテルカミクシヒコさんのお二人がお出ましになる神社だということです。

クシヒコさんアマテルカミ(天照大神)の外孫で三輪氏の祖)

クシヒコさん

早速、本殿に参拝に向かいました。

琴平神社本殿

本殿は大鳥居前の交差点を渡った、石段の上にありました。

石段の上が小高い丘になっていたので、こちらが由緒にあった伊勢山ではないかと思います。

ちなみに伊勢山とは、一生に一度行けるかいけないか分からないくらい、

遠い伊勢神宮を身近で参拝するために、

小高い山や丘に神明社を建てて、伊勢の神域を再現していた場所です。

そのため、各地に伊勢山が存在します。

早速、本殿の前で祝詞を奏上すると、

アマテルカミクシヒコさんのお二人がお出ましになられました。

いつものように感謝をお伝えすると、お二人ともにこにこ微笑んで、

サーっと祓ってくださいました。

お二人に御礼をお伝えして、今度は大鳥居のある儀式殿に向かいました。

琴平神社のここがすごかった

儀式殿に向かったのですが、この神社にはかなり驚きました。

まず、総社並みの鳥居の立派さ、

背後に龍雲出てました

人工芝の敷かれた手水舎は初めて見ました。

そして、2007年に放火により焼失した拝殿が2011年には修復されるという対応の早さ、

そして、総社並みの社殿の立派さに改めて驚きました。

さらにすごいのが、63枚の天井画がすべて焼失したとのことですが、

画家である宮司さんが、すべてご自身で復元されたそうです。

(社務所に問合わせると見学できるようです)

儀式殿の前で手を合わせてお祈りすると、

こちらでも、アマテルカミクシヒコさんはちゃんとおでましになられました。

こちらはクシヒコさんもお出ましになっておられるので、出雲大社と気の流れが似ています。

お社全体が参拝者に配慮された作りになっていたのも良かったです。

お近くの方は是非ご参拝ください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

アマテルカミお出ましに 神奈川県川崎市 二子神社

こんにちは、今日は神奈川県川崎市高津区に鎮座する二子神社を紹介します。

あちらこちらの眷属の方のお話によると、

なんとここ最近、アマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社が最近とても増えているのだそうです。

二子神社もその一つということで、早速行ってみることにしました。

その前に、以前ブログで神奈川県には神明社が多い気がすると書いたのですが、

その理由を少し探ってみたいと思います。

神奈川県に神明社が多い理由

かつて、神奈川県東部の広い範囲は橘樹郡(たちばなぐん)と呼ばれていました。

この地域は現在の川崎市全域横浜市北部~中部あたりです。

皆さんもこのエリアに神明社および、アマテルカミ(天照大神)を祀る神社が多いことは

気づかれたかもしれません。

その理由は主に三つあります。以下の図をご覧ください。

つまり、時代的に神明社が増える要因のあったエリアだったようです。

二子神社について

二子神社は東急田園都市線の二子新地駅から徒歩5分の立地にあり、すぐそばに多摩川が流れています。

古くから地元の人から崇敬されている神社といった感じでした。

御祭神天照皇大神、創建は1641年(寛永18年) – 武田家の旧臣・小山田兵部により天照皇大神を守護神として祠が立てられたとのこと。(Wikipediaより)

他のアマテルカミをお祀りする神社同様、周囲には心地よい気が流れています。

早速、拝殿に向かい、アマテルカミ(天照大神)に日頃の感謝とこの国の発展にご尽力下さった御礼をお伝えします。

いつも同じ内容の祈りなのですが、拝殿前はポカポカと暖かい日差しが差し込み、

濃紺のお召し物でアマテルカミがお出ましになられました。

いつものように穏やかな眼差しで、微笑んでおられました。

アマテルカミは時々、御髭を生やした様子でお出ましになるのですが、

晩年は御髭も生やされていたようですね。

誰かがお供えしたのか、小さなお菓子が賽銭箱に置かれていました。

時代を感じさせる御神木

社は近年の創建ですが、祈りの場所としての起源は古くまで遡るような感じがしました。

鰹木の上の鳩

二子神社の関連神社

さて、こちらの二子神社は同じ川崎市高津区に鎮座する溝口神社が兼務する神社だそうです。

この溝口神社が兼務する神社は他にも4社あり、そのうち3社である久本神社久地神社新城神社(中原区)

兼務元の溝口神社はいずれもアマテルカミ(天照大神)主祭神としています。

そしてなんと!全ての神社でアマテルカミがちゃんとお出ましになっているということです。

この4社は全て川崎市(旧橘樹郡)に鎮座しており、まさに伊勢と東国を繋ぐ

御厨(みくりや)御師(おんし)の流れが垣間見える神社だと言えそうですね。

お近くにお住まいの方はぜひ、溝口神社、久地神社、久本神社新城神社、

それから、御嶽神社にもご参拝ください。(御嶽神社にはヤマトタケさんがちゃんとお出ましになっているそうです)

最後までお読みいただきありがとうございました!

上古代における大宇宙の理解

こんにちは、今回は上古代における大宇宙の理解について書きたいと思います。

以前にも取り上げた内容ですが、紀元前の日本において、大宇宙の理解がなされていました。

漢字、ひらがな、カタカナ導入以前に使用していたヲシテ文字で書かれた文献、

『ミカサフミ』を参考にしながら見ていきたいと思います。

アマテルカミの天体の教え

この内容はミカサフミ『タカマナルアヤ』に書かれていますが、

第八代アマカミ(天皇)アマテルカミ(天照大神)が祖父のトヨケカミ(豊受大神)から教わった内容と書かれています。

トヨケカミの時代は紀元前700年~500年頃と想定されます。

特筆すべき点は、宇宙の生成について詳細に書かれていることです。

では、ミカサフミ本文を『池田満氏著書 ホツマ日本の歴史物語2』の解説を参考にして見ていきます。

ミカサフミ 118頁
アメツチがまだ現れていない大昔、

大宇宙の生成以前に、アメミヲヤ(大宇宙の創造祖)の

なすイキが際限なく巡り及んできました。

アモトカミ(大宇宙の中心)が成り出でます。
ミカサフミ 119頁
ウツホ(気体)がグルグルと回転し、

軽いものと、重いものが分離していきます。

天地に届くミハシラ(生じてきた柱)を廻りつつ、

軽量の分離が続きます。
ミカサフミ 119頁
アワ(比較的軽いもの)はキヨク(透き通っている)て

ムネヲカミと言い、ウヒ(比較的重いもの)はニゴリ(透き通っていない)、

ミナメカミと言います。

ヲは軽くてキヨイ(来易い)ので、アメ(天)になり、


メは重く、
ミカサフミ 120頁
(メは重く)固まってくるのでクニノタマ(地球)になりました。

最も軽いウヲセノムネが集まり、ヒのワ(太陽)になりました。

最も重いウメのミナモトが集まり、ツキ(月)となりました。

ここにクニタマとヒとツキと三つの天体が生成されました。

太陽の化学組成

ミカサフミ本文の中に見られる『ウヲセノムネ』という言葉は、現代風に言うと、水素の意味になります。

太陽の化学組成

つまり、太陽は軽いものが集まって燃えていることをアマテルカミトヨケカミがご存命だった

縄文時代には既に理解されていたということになります。

今日はこの辺で終わりにします。最後までお読みいただきありがとうございました。

政り事のヨヂ ータテとヨコの話ー

こんにちは!今日は政り事のヨヂ タテヨコの話というタイトルで、上古代のマツリゴトの在り方について書いてみたいと思います。

今回はオホカシマさんが書かれたミカサフミの本文を参考にしています。

上古代では、政り事を良し悪しを、織物のタテ糸ヨコ糸に例えて考えていました。

具体的には、朝廷からトミ(臣)トミ(臣)からタミ(民)への教導をタテ糸に見立て、

民衆の生活をヨコ糸に見立てる考え方です。

このタテ糸ヨコ糸がバランスよく織られることで、朝廷からの恵みが万遍なく民に行き渡ります。

しかし機織りの際に、ヨコ糸の締め方が強いと布がよじれてしまいます。

この状態では、朝廷からの教導が上手く下に伝わらず、停滞すると恵みが万遍なく、

行き渡らなくなってしまいます。

この状態をヨコシマと言います。

ヲシテ文字では以下のように書きます。紀元前から存在していた言葉です。

そのため、ヨコを取り締まる、ヨコベ(今で言う検察官)という役職も存在していました。

ミカサフミから出典

では、この内容が書かれている箇所を、ヲシテ文献ミカサフミから抜粋しましたので、ご覧ください。

ミカサフミ 49
アマノコヤネがミカサヤ(現:春日大社)で諸人に講義を始めた。

「私がとくフミはタテ糸にヨコ糸を織り合わせていくところの

マツリゴトと同じで、タテとヨコのヨヂを締めて、混乱がないようにしてこそ、

はじめて世の中をうまく収めることができることを説明します」
ミカサフミ 51-52
ハタノミチ(治世のミチ)における、ツカサ(=人々を指導する役割・官職)の

カミ(長)のクニを治める心構えは、

内には締めて(怠惰や傲慢にならず、富を独り占め等しないこと)

下にタス(潤す)ことにつきます。

ヨコ糸が引きつれてしまうと下々への恵みが滞ってしまうので、

ヨコ糸をしっかり締め込んで、アマカミ(上古代の天皇)からの


恵み潤しを十分に行き届かせることがポイントです。

まとめ

ここまでタテヨコの話を見てきましたが、

マツリゴトにおけるタテヨコとは、

アマカミがもたらしたメグミ(恵)に人々が感謝することで王権が成立し、

ツカサがバランスよくヨコをしっかり張ることで、ヨヂが整うことを、

上古代では、織物のタテ糸ヨコ糸になぞらえいたというお話でした。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

ツキヨミさんにご参拝 月讀神社 神奈川県川崎市

こんにちは!川崎市にツキヨミさんをお祀りする社があるとのことで、参拝に行ってきました。

神奈川県川崎市に鎮座する月読神社です。

神明造のお社

お社の由緒を簡単にご説明します。

規模は控えめですが、地元の人に大切にお祀りされているようで、落ち着いた雰囲気のお社でした。

ツキヨミさんとは、アマテルカミ(天照大神)御弟君です。イミナモチキネといいます。

昨年、豊受大神宮別宮月夜見宮でお会いしていたので、2度目の参拝でした。

丁度年始で、参拝の方の列ができていたので、後ろに並んで待ちました。

ツキヨミさん

お社の前で祝詞を奏上すると、ツキヨミさんはちゃんとお出ましになられました。

美鈴の参拝をとても喜んで下さって、歓迎していただきました。

お顔はソサノヲさんよりもアマテルカミに似ておられます。長身ではないです。(中肉中背くらい)

眷属の方のお話によると、アマテルカミとは仲睦まじかったようです。

ちょっとびっくりしたのが、明らかに関東に土地勘がおありのようで、割とはっきり出てこられました。

ホツマツタヱ関連著者、池田氏によると、ヒタカミ(東北)アマテルカミと共に帝王教育に励み、ハラミノミヤに戻られたそうなので、

それで関東にも土地勘がおありなのだと思いました。

神楽殿でしょうか?

新春の参拝だったので、神社の方にお神酒を振る舞っていただき、温かくもてなしていただきました。

新春の幟が出ていました

全国的にも月讀神社の社号は珍しいようです。(全国で12社あまり)

ツキヨミさんにお参りできる神社、月讀神社に是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ソサノヲさんとの出会い 厚木神社 神奈川県厚木市

こんにちは!随分前にソサノヲさん(須佐之男命)との出会いを書いたのですが、

その神社を紹介したいと思います。

神奈川県厚木市に鎮座する厚木神社です。(今回は回想記です)

拝殿に見える白い点は雨粒(後日撮影)

まだホツマツタヱも知らなかったころ、息子をベビーカーに乗せて、

当初は別の神社に行く予定が、何度も厚木神社の前に出てしまいます。

これも何かの御縁だと思い、参拝することにしました。

朝の早い時間で、地元の人らしき人が次々と参拝にやってきます。

拝殿前に進み、祝詞を奏上してご挨拶をしました。

次の人が待っていたので、すぐに拝殿横のスペースに移動しました。

ソサノヲさんの気配

参拝者の方が帰られたので、境内は私と息子だけになりました。

すると、柔らかな暖かい波動に包まれました。ソサノヲさん独特の遠赤外線みたいなぽかぽか波動です。

ソサノヲさん

そして、はっきりソサノヲさんの気配を感じました。

ソサノヲさんは、口数が少なく、滅多に口を開くことはありませんが、

美鈴がなかなか帰らないので、気になったようでした。

「息子がなかなか帰りたがらなくて、困っています」と思わず美鈴言うと、

ソサノヲさんは「、、、、(一瞬無言)

そなたの子だ。そなたが扱いを一番知っているのではないか」

突拍子もないことを聞かれても、きちんと答えて下さるソサノヲさんの優しさを感じたエピソードでした。

ソサノヲさんの過去

それから暫くして、ホツマツタヱを読み、ソサノヲさんの衝撃な過去を知ることになります。

詳しいことは過去の記事で書いていますが、

ハタレの騒乱となった騒動を起こしたソサノヲさんは死罪を言い渡されます。

あわやのところで、アマテルカミ(天照大神)正妃ムカツヒメの言葉により追放処分となり、

髪も爪も抜かれて、サホコ(出雲)に流浪します(痛々しいですね)

かつての恋人ハヤコヒメが次々ソサノヲさんの婚約者を殺めたため、

遂にハヤコヒメを斬り、イナダヒメと結ばれます。

ソサノヲさんのウタ

ソサノヲさんが詠んだ有名なウタ、ヤクモタツホツマツタヱ9アヤ32頁に書かれています。

ソサノヲさんは、アメノミチをもってクニを治めたのでサホコのクニは豊かになります。

そして、サホコからイツモ(出雲)に国名が変わります。

宮の完成前にイナタヒメがお子を孕み、

ソサノヲさんはイナタヒメとの宮に、八重の垣を回らしたことをウタに詠みます。

イナタヒメはこのウタに合わせてコトを奏でるのでした。

さて、この宮が杵築大社(出雲大社)となります。

ソサノヲさんはとても律儀な方で、小さな摂社末社にお出ましになることも多々あります。

今日は、ソサノヲさんとの思い出の神社を紹介しました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

上古代の宇宙観と死生観

こんにちは!今日は上古代の宇宙観と死生観について、ホツマツタヱを読みながら学んでいきたいと思います。

上古代のアマカミ(天皇)の時代には、宇宙はきちんと認識されていました。

(※余談ですが、カミヨとは上代のアマカミ(天皇)の時代という意味です。)

大宇宙タカマとかタカマノハラと呼ばれていました。

つまり、日本の古代文字ヲシテが使われていた時代には既に、

太陽系宇宙、銀河系宇宙を把握していたということになります。

宇宙の範囲

上古代の人々は宇宙の大きさもトメジという長さの単位を定めていました。

地球クニタマと呼び、直径114トメジ球形であることも把握していました。

クニタマから4万トメジ離れた場所に、直径70トメジツキ(月)が周り、

クニタマから8万トメジ離れた場所に、直径150トメジヒ(太陽)が周る。

その他の星は15万8千トメジ~50万トメジに点在すると考えられました。

クニタマ(地球)から50万トメジの範囲をタカマノハラ、その境界線を100万トメジタカマノハラマワリと呼ばれていました。

長さの単位トメジ

トメジとは地球の周囲の長さ(と認識されていた)365で分割した長さの単位です。

地球の周囲を365トメジとし、直径は114トメジと認識されていました。

トメジの長さ1/365を、地球の円周(約 40,075 km)で割ると、

現代の感覚では、1トメジ=109.8kmと解釈できます。

壮大な宇宙観

ここまでお読みいただいて、上古代の人々は大宇宙を認識していたのは、

驚くことのように見えますが、美鈴の感覚では至極当然のような気がします。

人々は常に太陽や月、星の動きを観察していたはずです。

真北をみれば、北極星(キタノホシ)がひときわ輝いて見えたことでしょう。

夏至冬至春分秋分は太陽の見かけの動きからわかります。

は天体の動きから予測できますし、作物の豊作・不作は生命に直結する問題です。

天体や自然の動きを常に把握していたのは、それは生命を維持するうえで、

欠かせないものであったからでしょう。

ヒトそのものが小宇宙

また、ヒトの魂のタマ(=人の心の本体)大宇宙から下されると考えられていました。

地球上の物質からヒトが形成されて、地上の生活を楽しんで、

寿命が尽きると、再び大宇宙の中心にタマは還るという死生観でした。

これはヲシテ文献では、ユキキノミチ(往き来の道)と書かれています。

また、ヒトはアメミヲヤ(創造主)ワケミタマ(分身)であるから、アメミヲヤと同質である考えられました。

ホツマツタヱ関連文献を書かれている池田氏によると、

アメミヲヤは無色透明であり、自然そのものであるため、崇める対象ではなく、

宗教哲学の狭間に位置すると述べています。

最後に

ここまで読んで美鈴が納得したことがあります。

神社の御祭神にお会いすると、あくまで自然な佇まいと振る舞いに驚くことがあります。

一個人の美鈴を大切に扱うのは、あるがままの自然として受け入れてくださっているのでしょう。

ここで紹介した内容は、言葉にするのは難しいほど抽象的なのに、

ヲシテ文献ミカサフミ『タカマナルアヤ』(ミ-117)にきちんと纏められているのは、

本当に素晴らしいことですので、是非お読みいただければと思います。

トヨケカミ(豊受大神)の祭祀

こんにちは!今日はトヨケカミ(豊受大神)の祭祀について考えてみたいと思います。

アマテルカミトヨケカミの御人柄は大変謙虚なのですが、

お二人は統治者、最高指導者でありながら、

この謙虚さは一体どこから来るのだろうと不思議に思っていました。

そこで、トヨケカミが定められた祭祀体系をおさらいしてみたいと思います。

トヨケカミという人

トヨケカミは東北の名門タカミムスビ家第五代目の当主となった方です。

トヨケカミ

トヨケカミは、ヒタカミ(東北)にて、マツリゴトの改革を行い、

祭祀する神体系を整理しました。

これによって、人々が心をひとつに合わすことができるようになったとあります。

人心が安定すると、食料生産にも復興が起きて、ヒカシノキミ、ホツマキミと褒めたたえられ、

そして、トヨウケとも呼ばれました。(トヨ=豊穣ウ=大いなるケ=食糧)の意味。

それでは、トヨケカミが作った祭祀体型をモトアケフトマニの図を見ながらもう一度

振り返りたいと思います。

モトアケの図

以下に漢字以前に使われていた古代文字(ヲシテ文字)で書かれたモトアケの図になります。

ここで少し用語の解説をしたいと思います。

フトマニの図

モトアケとは、天地・宇宙黎明の意味、モトモトともいいます。

モトモトフトマニの図にあるヨソコ(49神)の中心(ナカミクラ)を指します。

中心に書かれている文字はアウワと書かれています。

そして、一段下がるとトホカミヱヒタメ、その外周にアイフヘモヲスシと書かれています。

それぞれモトアケを構成する神なのですが、具体的にどのような神なのか、以下の表にまとめました。

モトアケに書かれる神分類意味
アウワ天地・宇宙絶対神アメミヲヤ
アウワ人間界初の人類ミナカヌシ、クニトコタチ
アウワキタノホシ(北極星)
トホカミヱヒタメクニトコタチノ8人の御子
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ
トホカミヱヒタメ季節の神ト(夏)ヱ(冬)タ(春)カ(秋)
トホカミヱヒタメ方角の神ト(南)ヱ(北)タ(左)カ(右)
トホカミヱヒタメト(アオ)ヱ(キ)タ(シロ)カ(アカ)
トホカミヱヒタメ人間界タマノヲを結び寿命を守るカミ
トホカミヱヒタメ別名ヤモト/ヤモトカミ
アイフヘモヲスシアワウタの頭韻を連ねたもの
言葉及び音韻を守るカミ
アイフヘモヲスシ物質界人の内蔵・生命・食糧を守る
アイフヘモヲスシ別名アナミカミ
ミソフカミ(三十ニ神)アカハナマ48音からトホカミヱヒタメとアイフヘモヲスシの16音を除いた32音

このモトアケ49神アメミヲヤ(絶対神)及び大宇宙を形どったものであり、人は大宇宙の縮図で小宇宙と考えられていました。

つまり、モトアケヒトをかたどっているモト(元)といえます。

高度な祭祀体系

このモトアケの図を見ると、まず中心に大宇宙絶対神を置いていた、

これは非常に高度な祭祀体型であると思います。

そもそも人類を生んだ、おおもとの存在に対する感謝と畏敬が感じられます。

そして、その次に地上で初めて営みを始めた存在のミナカヌシ

その次に、実際に豊かな国を建国したクニトコタチとその子孫のトホカミヱヒタメへの祭祀と続きます。

そして、宇宙の成り立ちから発生したアワウタは全世界の意味もあります。

つまり、モトアケ全体は大宇宙の縮図ともいえるヒトそのものを指します。

美鈴の考察

ここからわかることは、トヨケカミの祭祀は、

ヒトは大宇宙のアメミヲヤ、人類第一号、建国者から連なる一員と認識できます。

私たち一人一人が、先人の多大なご苦労や功績で生かされている存在と思えば、

自ずと謙虚になります。

実際にクニトコタチは日本国のそもそもの創始者であり、

アマテルカミトヨケカミも常に尊敬の念を抱き続けたお方でした。

クニトコタチ

更に、音や季節、方角にもカミとして敬えば、自分を大自然の一部とみなし、

自分勝手な振る舞いをつつしみ、先代への感謝次世代への慈しみの心を生みます。

つまり、おのずとアメナルミチへと繋がる祭祀体系となっていたことが分かりました。

もし、自分を神格化し、頂点に置けば傲慢になりますし、自分勝手な振る舞いをする危険性も出てきます。

そうすると、自分より弱い存在を大切にせず、粗雑に扱うかもしれません。

自分自身を常に誰かの下に置くことで、大宇宙やご先祖様からの多大な功績のもとにいる自分、

国を開拓して下さったクニトコタチから続く自分と思えば、

自ずと背筋が伸びて、生かされたことの感謝を次世代に引き継ごうという思いになります。

トヨケカミがこの祭祀体系により、常にご自身を律しておられたのではないかと思います。

今後もトヨケカミの祭祀については取り上げたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

倭姫宮参拝記(続き)

こんにちは!前回の続きです。ヤマトヒメにお呼びいただいてからすっかり、

日が経ってしまいましたが、ようやく皇大神宮別宮 倭姫宮に到着しました。

夕方にも差し掛かる時間帯でシーンと静まり返っていました。

鳥居

皇大神宮ヤマトヒメがお祀りされるようになったのは、大正12年のことで、

伊勢神宮の成立史を改めて重視する流れとなったため、創建されたとのことです。

静寂の中の参拝

倭姫宮は約4ヘクタールもの広大な倭姫文化の森の中に鎮座しており、

入口の鳥居から倭姫宮までは約200メートルから300メートルほどあります。

参道には他の参拝者の姿はなく、ひっそりとしていました。

ヤマトヒメヤマトタケさん(日本武尊)の叔母ですが、どんなお方なんだろうと考えながら歩いていました。

きっと当時ではお姿をみることも叶わなかったかもしれませんが、

どうしてそんなお方が呼んで下さるのだろうと不思議に思いながら、倭姫宮に向かいます。

参道は高い木々で覆われているため、薄暗いのですが、時折まばゆい光が差し込んで、

ヤマトヒメの歓迎を感じました。

なぜ内宮の場所を特定できたのか?

美鈴の考察になりますが、内宮の地は元々、アマテルカミ(天照大神)

人々が再びハタレにならないように、ミチを教えていたサコクシロです。

アマテルカミからお告げがあったので、ヤマトヒメアマテルカミ御魂をこの内宮の土地にお遷ししました。

果たしてお告げだけで場所を特定できるのか?と思われるかもしれませんが、美鈴は十分あり得ると思います。

文明に頼らない時代、より生存が過酷だった時代、人々の五感はより研ぎ澄まされていたと思いますし、

御魂の声を聴くというは、当時の感覚ではごく当たり前のことだったのではないでしょうか。

ヤマトヒメの対面

長い参道を歩いてきましたが、ようやく倭姫宮が見えてきました。

倭姫宮

ヤマトヒメとの出会い

宮に到着すると、なんとヤマトヒメが宮からお出ましになり、美鈴の方に駆け寄ってこられて、

「ああ!よかった!やっと出会えた!」とばかりにお互い涙、涙の出会いとなりました。

感動のあまり、抱擁し合うという状態になりました。

ヤマトヒメは気位の高い方ではなく、とっても純粋で謙虚な方です。

ヤマトヒメ

巫女さんのような服装で、お若い頃の姿でしたが、

つぶらな瞳が愛らしい、びっくりするくらい小柄な方でした。

ご本人にこんなに喜んで頂けるなんて、ホツマツタヱのことをブログに書いていて本当に良かったと改めて思いました。

言うに言えない思い抱えておられたのだろうと思うと、胸がいっぱいになりました。

次の参拝の方が来られたので、あまりお話は出来ませんでしたが、

改めて深い感謝をお伝えしました。

そして、最後にこれだけはお伝えしなければ、、、

ありがとうございました。

そうお伝えして、御前を退出しました。

いこいの広場

倭姫文化の森周辺を散策してから帰りました。

昨年10月からの伊勢神宮参拝記は以上で終わりとなります。

最後までお読みいただきありがとうございました!