こんにちは、今日はアマテルカミの治世~イセノミチ~という題名で、
アマテルカミ(天照大神)の行った政策の一つイセノミチについて纏めてみたいと思います。
イセノミチとは、トツギノミチを源流として進化したミチであり、男女関係にとどまらず、
家族制度の規定も詳細に定められたミチのことです。
トツギノミチ ~一夫一妻制度のはじまり~
では、一夫一妻制度はいつ頃から始まったのでしょうか。
稲作が本格的に開始される前は郡婚時代とされ、特定の夫、妻を持たない時代でした。
稲作の本格的な開始に伴い、第四代アマカミのウビチニ・スビチニ様が
トツギの儀式を行ったことにより、全国的に一夫一妻制度が広がります。
稲作が本格的に開始された具体的な時代は不明ですが、縄文時代後期~晩期、または弥生時代初期とされています。
イセノミチの基本構造
イセノミチは男女を太陽と月に見立てた考えに基づいていました。


この構造を縄文時代当時の社会面でみると、太陽は外側を周るため、家の外の仕事を担当し、
月は内側を周るので、家の内の仕事を担うのが良しとされました。
家の中の仕事と言っても、家族の衣服をつくるにしても、当時は草木の繊維を煮さらして
糸を作り出していたため、大変な重労働でした。
余談ですが、約1万年前には、日本列島で植物の繊維を利用して衣服や袋などを作る技術がすでに存在していました。
(福井県の鳥浜貝塚で約1万~1万2千年頃の衣服の素材と考えられる繊維や編み物が発見されている)
ということは、アマテルカミの治世ではかなり織物技術も進んでいたことでしょう。

ここで大切なのが、男性は外の仕事、女性は内の仕事が中心ではあっても、
男女の性別の差はわずかであって、本来ヒトとして生まれたものは同一という考え方でした。
これは『ホツマツタヱ』13-8アヤに該当箇所があります。

男も女も人としては本来同一であり、タマとシヰとの根本構造に変化はない。
ヒトとして形成される際にヲ(陽)がメ(陰)を先に包んだのか、メがヲを先に包んだのかの差によって
性別の変化が生じるだけのことである。
男も女もヒトはすべて、ひとりひとりが大宇宙の縮図としての小宇宙である。
イエ制度のはじまり
ホツマツタヱ13アヤにイセノミチの詳細が書かれていますが、
戦前まで続いていたイエ制度は既に、アマテルカミ(天照大神)の時代から始まっていたようです。
概要だけ説明すると、
- 当主の長男が後継となり、適任者がいない場合は弟が選ばれる
- 見識の高い人物をナカハシ(仲人)とし、良い将来が期待できる女性をメアハセる。
- 実家の実父母より、婚家の儀父母を大切に扱う。
- 世継ぎ子を望めない場合は財産に応じて、メカケや養子を迎えることも良しとされた。
ここで、メカケを持つことにたいし、複雑に思われた方もおられるかもしれません。
これは、水田稲作が普及した当時において「家を存続させる」ことが、
人々の幸せにつながるという社会構造の中で生まれた制度でした。

また、朝廷が暦を提供する代わりにミツホ(租税)が献上され、それを基に国家運営を行っていたため
必然的な制度であったとも言えます。
現代においては、家よりも個人の意思や権利が尊重されるようになったため、
同じような制度は必要とされなくなりました。
イセノミチは時代と共に移り変わってゆくものでありましたが、
戦前までこのイエ制度が残っていた、そしてアマテルカミの治世から取り入れられていた
制度だったというのは注目されます。
そして、『男も女も性別の差はわずかなものであって、
ひとりひとりが大宇宙の縮図としての小宇宙である。』という考えは不変であり、

アマテルカミの治世当時の考えであったことも、強調しておきたいと思います。
それでは、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
『ホツマツタヱ』を読み解く 池田満氏著



















































