あの方とのご対面 栃木県日光 二荒山神社(後編)

こんにちは!日光 二荒山神社クシヒコさんの御父上オホナムチさんにお会いするお話の続きになります。

二荒山神社へは東武日光駅から『世界遺産めぐりバス』で15分くらいでした。

バス停を下りると朱塗りの建物が見えました。『うわー何もかもが素敵すぎる!』と思わず感激してしまいました。

バス停目の前の建物

折しも日光は小雨が降りしきり、山全体に霧がかかり、雰囲気が出ていました。

マイナスイオンで浄化される
立派な参道です

オホナムチさんはどんな方?

神門を通り抜け、手水舎で手と口を清めて、拝殿に進みます。

優しい波動に包まれる拝殿

拝殿の前に進み出ると、『あっ、これは紛れもないアマテルカミ(天照大神)の波動!

まさしく、アマテルカミ(天照大神)の御娘タケコヒメのもの!

そしてはオホナムチさんはというと、とても謙虚で控えめ、そして池田氏の著書にあったとおり本当にお優しい方でした。

お似合いなお二人

なんてお優しいお方なんだろう』と思わず見つめてしまいました。

クシヒコさんはこんなにお優しいご両親からお生まれになったのですね)

オホナムチさんはどちらかと言えば、イナダヒメに似ておられて、引き締まったお体と整ったお顔がとても素敵です。

(実は、カミヨの時代は重鎮の方も粗食でした)野菜を常食し、獣肉はよほどの場合を除いては禁忌でした。

日の光を浴びた新鮮な野菜をヒモロゲといいます

オホナムチさんの涙

早速、祝詞を奏上して、『この国の発展のご尽力くださり、ありがとうございます』とお伝えすると、

何と!オホナムチさんは涙ぐまれるではありませんか!

(自分を良く知る人の訪問は、やはり嬉しいのでしょうね)

境内にあった親子杉

タケコヒメは美鈴に話しかけることはありませんが、いつもお優しい微笑みをたたえておられます。

ちなみに、タカヒコネさんは分からなかったのですが、眷属の方のお話では、ちゃんとおられるそうです。

タケコヒメ

しばらくお二人の前にいたのですが、ツアー客の方が来られたので、お二人に改めてお礼をお伝えして御前を失礼しました。

神苑見学の前に

拝殿の左手を目ると神苑入口があり、入場料300円を払うと見学できるようでした。

すると突然、『ちょうど人も少ない、ゆっくり見学するとよい』と、オホナムチさんの声が聞こえました。

あれ!?もしかして、お話できますか?』っと、あわてて拝殿に戻って話しかけてみましたが、オホナムチさんは遠慮されているようで、何も語りませんでした。

神苑には『二荒霊泉』や銭洗所など、見どころが沢山あっておすすめです。(休憩所もあります)

二荒霊泉

この神苑には大国殿という建物があり、田道間守(たじまもり)という方がお祀りされています。

田道間守さんの像

タジマモリさんとは、日本に帰化された新羅(しらぎ)の王子アメヒボコさんの5世孫にあたる方です。

アメヒボコさん長子であったにもかかわらず、弟に王位を譲っての帰化でした。

イクメイリヒコ(垂仁)天皇のミコトノリにより、タジマモリさんヒタカミ(東北)タチバナの木の実を求めて旅立ちます。

苦労の末、タチバナの木を持ち帰るのですが、イクメノキミは既に身罷られていたのです。

絶望したタジマモリさんは陵の前で自害してしまいます。このタジマモリさんの忘れ形見がヤマトタケさんの妃ヲトタチバナヒメですね。

ヲトタチバナヒメ

オホナムチさんおすすめの景勝地

神苑を思う存分堪能した美鈴は、あらためてオホナムチさんにお礼を伝えに行きました。

去りがたい心境ではありましたが、参拝者も次第に増え始めたので、帰ることにしました。

去り際にオホナムチさんが『神橋も見ていくといい』とおっしゃたので、

ん?神橋?来る途中で見えた朱塗りの橋のことかな?

来る途中で、大きな橋を見かけたのですが、二荒山神社の一部だったのですね。

折角、オホナムチさんがすすめて下さったので、見学して帰ることにしました。

神橋:霊域への入口を示す

拝観料300円を払うと、橋を渡ることができます。見ごたえのある立派な橋でした。

二荒山神社を思う存分堪能した、ようやく帰途に就くのでした。

オホナムチさんは自国の出雲を豊かにし、朝廷を軽く見るようになり、右の臣を解任されることになります。

そんな過去があったなんて驚くほどに、とても謙虚な方でした。本当にタケコヒメと仲睦まじかったと思います。

オホナムチさんに会える神社、日光二荒山神社を是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏著

あのお方とのご対面 栃木県日光 二荒山神社(前編)

こんにちは!さて、今回は『あのお方の御父上』と対面が叶いましたので、そのエピソードを書きたいと思います。

『以前は色んな神社に呼ばれていたのに、伊勢神宮参拝後はめっきり呼ばれなくなった』とブログで書きました。

美鈴をしきりに呼んで下さった方の一人が、クシヒコさん(一般的にはオオクニヌシと呼ばれる)の御父上のオホナムチさんだったのです。

オホナムチさんはタケミナカタさんの父でもある

そこで『オホナムチさんにお会いしようと思うのですが、いかがでしょう?』と眷属の方に尋ねると、

ぜひ行くがよい。さぞ喜ばれるであろう』ということで、

早速、日を選んでオホナムチさんが呼んでくださった二荒山神社(栃木県日光市鎮座)に向かったのでした。

(ちなみに栃木県は関東なので、日光はさほど遠くないです)

日光二荒山の由来

ホツマツタヱによると、カミヨ(上古代)の時代の重鎮、ヲバシリさん(=香取神宮の祭神 フツヌシさんと同一人物とされる馬術の名手でした。

そこで、オホナムチさんの次男アチスキタカヒコネさんはヲバシリさんから馬術を習得します。

高度な乗馬術、『アレノリワザ』を習得したタカヒコネさんは、アマテルカミ(天照大神)から『フタアレカミ』の褒め名を賜ります。

この『フタアレ』に後世、『二荒』の漢字があてられ、『二荒』を音読みして『ニコウ、ニッコウ』という名称になったそうです。

日光一帯はタカヒコネさんが馬術練習を行うのに最適な地であったと池田氏は述べています。

なんと!ニニキネ様ホホテミ様まで、タカヒコネさんに馬術を教わりにお出ましになられたそうです。(凄い方だったんですね!)

ちなみに要人お迎えした行宮宇都宮市に鎮座する二荒山神社と想定されています。

二荒山神社の鳥居

日光二荒山の御祭神

二荒山神社のホームページを見ると、御祭神大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)とあります。

オホナムチさんは、ご自身を祭る神社が多数あるなかでも、日光二荒山を指定されました。

恐らくこの神社の方はオホナムチさんの由緒をちゃんとわかっておられて、オホナムチさんを大切にお祀りしているのだと思います。

二荒山の案内板

オホナムチさん国譲りの後、ツガル(岩木山山麓一帯)で豊かな国をつくり、ウツクシタマの讃え名が与えられたあります。

きっと、東北方面に向かった史実が正しいと伝えたいご意思もあったのかもしれませんね。

オホナムチ=オオクニヌシは同一人物?

さて、一般的にはオホナムチさん(大貴己命)オオクニヌシ(大国主)同一人物説があるようです。

ホツマツタヱでは、オオクニヌシオホナムチさんの息子のクシヒコさんとなっています。

オホナムチさんの息子:クシヒコさん

では実際に美鈴が参拝したところ、オオクニヌシを祀る神社では、息子のクシヒコさんにお会いしました。

今回初めて、オホナムチさんとはっきりご対面するので、ちょっとドキドキしましたが、早速鳥居を抜けて、二荒山神社へ参拝に向かいます。

折しも雨が降っていて、日光一帯に霧がかかっていました。

さて、オホナムチさんは一体どんな方だったのでしょうか?

長くなりましたので、続きは次回紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著

ソサノヲ夫婦登場! 相模国総社 六所神社

こんにちは!今日は神奈川県中郡大磯町鎮座する相模国総社の六所神社を紹介します。

総社とは特定地域の神社を合祀した神社のことです。こちらの御祭神は櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊の三柱です。

なんと、この六所神社は御祭神のソサノヲさんイナダヒメがリアルにお出ましになります。

六所神社に限らず、神奈川は上古代(カミヨの時代)の御祭神がリアルにお出ましになる神社が多いです。

これは恐らく、神奈川の海岸沿いは富士南麓にあったアマテルカミ(天照大神)のミヤコ(ハラミノミヤ)に近く、ヒタカミ(東北)に向かう交通の要所であったためと思われます。

では、今回は六所神社とソサノヲ夫婦の魅力をたっぷり紹介したいと思います。

六所神社

毎年5月5日に、国府祭(こうのまち)というお祭りが大磯町で開催されます。

このお祭りでは、相模国一之宮から五の宮までの神輿が集い、神揃山の『座問答』をはじめ様々な神事が執り行われます。

ゴールデンウイークということもあり、久しぶりに御祭神のソサノヲさんにご挨拶に伺おうと、息子を連れて六所神社に向かったのでした。(これは2024年5月5日のお話)

ソサノヲさん(アマテルカミの弟)

六所神社由緒とクシイナダヒメ

神社の由緒を見ると、崇神天皇の時代に出雲より移住し、この付近を開墾した人々が柳田郷と名付け、出雲の祖神である櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊をお祀りしたとあります。

とういことは、恐らくこの地に移住した人はソサノヲさんの子孫なのでしょう。クシイナダヒメとはソサノヲさんの妻であり、当時島根県を治めていたアシナツチという豪族の娘にあたる方ですね。

アシナツチさんには8人の娘がいて、ソサノヲさんと縁談話が持ち上がるたびにハヤコヒメソサノヲさんの兄、アマテルカミの妃、ソサノヲさんと恋仲になる)に殺されてしまいます。

覚悟を決めたソサノヲさんハヤコヒメを斬り、アシナツチさんの8番目の娘であるイナタヒメを妻に迎えます。

ソサノヲさんのお呼び出し

JR東海道線二宮駅からバスに乗り、六所神社最寄りのバス停で降りると、丁度、国府祭の目玉である『神揃山の座問答』が始まるようで、バスを降りた人が一斉に神揃山に向かいます。

神揃山の神事かぁ、それはちょっと見たいかも』と、思わず行列の後を歩くと、

突然、ソサノヲさんから『こちら(六所神社)にいる』と言われました。(丁度今、神社は人が少ないので来るがよいという意味ですね)

美鈴『はい!ソサノヲさん、ただいま!』とUターンして六所神社へ向かうのでした。

ここで美鈴は『ん?神揃山の神事があるのに、どうしてソサノヲさんは六所神社におられるのだろう?』と不思議に思っていると、

六所神社鳥居
六所神社境内

本殿でも神事が行われていたので、ソサノヲさんは神社におられたようです。入り口付近の池には色鮮やかな鯉も泳いでいて、とても素敵な神社ですね。

鯉の餌も売っていました

早速、本殿に向かい、仲良く並んでお出ましになっているソサノヲさんイナタヒメにご挨拶をします。

ソサノヲさんとイナタヒメの婚儀

イナタヒメの意外な素顔

奥様のイナタヒメとはっきり対面でお会いするのは初めてなので少し緊張します。

『この国の発展にご尽力くださり、感謝申し上げます』とお伝えし、おずおずとイナタヒメを見つめると、『あれ?』と思いました。

てっきり、ソサノヲさんに守られているか弱い女性をイメージしていたのですが、ちょっと違いました。

いわゆる『できる女性』なのです。今風に言うならば『ビジネスセンスというか、商才がある方』なんです。

そうか!ソサノヲさんバイタリティとこの方の商才が掛け合わさり、オホナムチさんという優れた息子が生まれ、出雲の国を爆発的に豊かにしたのか!と納得したのでした。

イナタヒメ商売繁盛を祈願するのは理にかなっていると言えますね。

神事でお忙しいのか、イナタヒメは美鈴に話しかけることはありませんでした。何度も御礼をお伝えして、御前を失礼しました。

イナタヒメ、一押しの授与品

授与所を覗いてみると、『湯津爪櫛』という櫛の形をした根付が売っていました。

クシイナダヒメクシから取っているのかな?』と興味を持ち、

緑色の根付を選んで買いました。(根付の色は黄色やピンクなど何種類もありました)

湯津爪櫛の根付

すると、神事の途中なのに、突然『そうか!そなたはそれが気に入ったのか?』イナタヒメ美鈴に話しかけてニコニコ笑っておられます。

どうやらイナタヒメは御自身由来の『湯津爪櫛』気に入っているようなのです。

(美鈴がこの根付を選んだら、非常に喜んでおられた)やはり商才のあるイナタヒメなのでした。

ソサノヲさんの不思議な波動

六所神社の裏に小さな公園があるので、お子様連れの方は嬉しいですね。

参拝を終えて息子と公園で遊んでいると、子どもが大好きなソサノヲさんは、神事の最中にも関わらず、こちらに意識を投げかけてくれます。

波動の良い神社は、光の流線やオーブが良く写ります

公園から丁度本殿の裏手が見えます。

ソサノヲさんは独特な波動をお持ちの方で、じんわりとポカポカ暖かい、遠赤外線のような波動をお出しになる方なのです。

色んな御祭神にお会いしていますが、この波動を出される方はソサノヲさんだけで、この波動に触れただけでソサノヲさんだとすぐに分かります。

ソサノヲさんはとても暖かく心地よいエネルギーで包んでくださるので、ずっとその神社に居たくなってしまうのです。

頭上には飛行機雲

ソサノヲさんは息子の上空に飛行機雲を飛ばせてみたり、息子の近くにスズメを歩かせたり、あの手この手で息子を喜ばせようとしてくれます。

(本当に子供がお好きなのです)

本来ソサノヲさんはこういう方なのだと思う。ソサノヲさんの過去はもうずっと昔の話、死の境地をも超えたソサノヲさんは、今は慈愛の波動で包まれています。

ずっと居たくなる六所神社の不思議な空間

ソサノヲさんイナタヒメにお会いできる六所神社に是非ご参拝ください。

国府祭(こうのまち)も是非チェックしてみてください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の大きな決断

こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇「ハツクニシラスミマキノヨ」と詠われたマツリゴトの内容を紐解いていきたいと思います。

その前に、ミマキイリヒコ(崇神)天皇が行ったマツリゴトで、特に祭祀にまつわる事項を以下にまとめました。

ミマキイリヒコ天皇の祭祀については、また別の機会に述べたいと思いますので、概要のみ簡単に掲載します。

以下、補足説明
・トヨスキヒメ=崇神天皇皇女で、16歳で斎王としてアマテルカミに奉仕
・ヌナギヒメ=同じく崇神天皇皇女で、オオクニタマに奉仕
・カサヌヒ=現:奈良県桜井市三輪山山麓とされる
・ヤマベ=現:奈良県天理市大和神社とされる

それでは、いつものようにホツマツタヱ本文から詳細を読み込んで、「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相に迫りたいと思います。

池田満氏の訳文を参考にし、書き下し文を書いてみましたので、ご参照ください。

※何分素人の書き下し文ですので、至らぬ点はご了承ください。

ホツマツタヱ 34アヤ 21~25項
第十代 ミマキ(崇神)天皇十二年三月十一日、ミマキイリヒコ(崇神)天皇がミコトノリを発した。

天つ日嗣を私が引き継いでから、国家国民を案ずること十分に為し得るに至らなかった。

天候も不順となり、ついに疾病(えやみ)が流行し、国民の半ば近くが病没する惨状となった。

ミマキイリヒコ天皇
これらのことを起こさせたる主因は、我が父が押し通した過ちにあったのではなかろうか。

その他にも、諸ごとにおいて差し障りがあったことも想像されるので、全てのツミを祓い除かねばならないと手段を講じてきた。

そもそもアマテルカミとオオクニタマは特に尊ぶべきであると、専門に祭祀するために、トヨスキヒメとヌナギヒメをミツエシロ(斎王)として奉仕させた。

自らを省みる謙虚な姿勢が伺えます、また御自身の父親の誤りを包み隠さず露わにし、反省する姿に感銘を覚えます。

では続いて見ていきます。

それでも大規模な疾病の流行が起きたのでついに我が父に過ちがあったことを知るところとなった。

それはスヘラギである私自らの出生にも関わるため、特に世の中に悪影響が広がったのであろう。(中略)


よく考えてみると、指導者層に較べて一般国民の疲弊は、なお重いようだ。そこでタミに課せられているユハズ・タズエのミツギ(税)をこの年は免除することにした。

こうした配慮もあって、重い疾病災害からの復興も成し遂げられた。

ミツギ(税)免除という思い切った政策は、それ以前に例が無かったことから、ミマキイリヒコ天皇の治世は『ハツクニシラスミマキノヨ』と名付けられた。

さて、以上の内容を紐解いてみると、重い疫病からタミの負担を軽くするために税を免除したというのが「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相であることが分かりました。

ミマキイリヒコ天皇のお心に学ぶアメナルミチ

税の徴収とは、朝廷の運営にあたり国会維持に必要な経費です。

しかし、疾病による国民の疲弊を考慮し、税の免除をお考えになった崇神天皇のお心は尊く、『キミが国民の全てを慈しみ恵もうとする』というアメナルミチに依拠しているといえます。

池田氏の言葉をお借りすると、結局のところ治世の要諦というものは、「タミヤスク」(国民の幸福の実現)に尽きるということが分かります。

アマテルカミアメノミチに対して抱いていたイメージは、「ヒトグサノナゲキヲヤワス」(国民の嘆きを和す)マツリゴトを実現していくことでした。

アマテルカミ

このアメナルミチの精神がヒトノヨの時代、ミマキイリヒコ天皇の受け継がれて、ホツマツタヱに記載されていたことは改めて強調しておきたいと思います。

そして、このアメナルミチの精神は現代に生きる私たちにも重要な教えであると感じざるを得ません。

今後もアメナルミチをより探求していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 / 『ホツマツタヱを読み解く』池田満氏著

ミマキイリヒコ(崇神)天皇のお心に学ぶアメナルミチ

こんにちは!今日はミマキイリヒコ(崇神)天皇にフォーカスをあてて、アメナルミチの考察をより深めていきたいと思います。

突然ですが、皆さんは崇神天皇と聞いて、何をされた方と思い浮かべるでしょうか?

確か崇神天皇の御代に大規模な疫病が起こったぐらいしか、美鈴には思い出せませんでした。

実は、アメナルミチを大成させた素晴らしいスメラギ(天皇)であったことがホツマツタヱに書かれています。

※ヒトノヨの時代になると天皇の呼び名がアマカミからスヘラギ、スメラギに代わります。

ミマキイリヒコ(崇神)天皇カミヨからずっと時代が下ったヒトノヨ第十代天皇で、ヲシロワケ(景行)天皇の祖父にあたる方ですね。

第十代ミマキイリヒコ(崇神)天皇
第十一代イクメイリヒコ(垂仁)天皇
第十二代ヲシロワケ(景行)天皇
イクメイリヒコ(垂仁)天皇

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の素顔

崇神天皇の素晴らしさは、第十一代 イクメイリヒコ(垂仁)スメラギミコトノリから伺い知ることができます。松本善之助氏の著書から書き下し分を見ていきたいと思います。

※松本氏の書き下し分を紹介させて頂いておりますが、ここまで分かりやすく説明して下さっている松本氏並びに池田氏に対し、改めて畏敬の念を表します)

ホツマツタヱ 36アヤ13頁
第十一代スヘラギ ヰソサチ・イクメイリヒコ(垂仁天皇)二十五年 二月八日に、
※(ヰソサチとは恐らくイミナのこと)

次のようなミコトノリ(勅)がタケヌガワケ、クニフク、ミカサ・カシマ、トイチネとタケヒの
五重臣に出された。

「我が御親、第十代 ミマキノキミ(崇神)は聡明で、日本古道アメノミチを悟っておられた

御日常を拝すれば、常に自らを省みておいでだった。

御自分の誤りをただすのには厳しく、御人柄は誠に謙虚である。

崇神の念あつく、ここに一身をこめる。このようであったからこそ、

天地もこれに和して五穀や野菜などの食料は豊作になり、民もゆたかだった。

私も先皇にならって怠らずに、神まつりしてゆく決心である」

いかがでしょうか?ホツマツタヱを読むまでは、崇神天皇がこのように謙虚で素晴らしいお人柄であったと知る由もありませんでした。

ミマキイリヒコ天皇の功績

それでは、ミマキイリヒコ天皇は一体どのような功績を立てられたのでしょうか?

実は崇神天皇は、「ハツクニシラスミマキノヨ(=これまでに前例がないミマキ天皇の御治世)」

とまで詠われた方だったのです。さて、前例のないマツリゴトとは一体どのようなものだったのでしょうか?

ちなみにネットの情報では、戸口を調査して、初めて課役を科した天皇と書かれています。

しかし、ホツマツタヱを読むと、租税は既にカミヨ(上古代)の時代に「ミズホ」「チカラ」、「ハツホ」として存在していました。

以下の一文をご覧ください。

ホツマツタヱ24アヤ75頁
ミヤコトリ(イワツバメを指す)に雌花を投げてやると喜んで弄んだので、その様子を衣装のデザインにして、

トリタスキと呼んだ。またそのごとく、マツリゴトを行った結果、多くのチカラ(租税)が献上された。

コモリカミはチヨミクサ(薬草)をミハ(御衣)のデザインにした

この一文から、既に税収(ミズホ・チカラ)があったことが分かります。

また、戸籍については、以前に一人のモノノベ(現在の警察官)は一夫婦を一家族として、3,200家族の面倒を見ていたと書かれているので、既にカミヨの時代にあったと想定されます。

となると、「ハツクニシラスミマキノヨ」(前例がない崇神天皇の御治世)という表現では、矛盾が生じてしまいます。

ハツクニシラスミマキノヨの本当の意味

では、何をもってハツクニシラスミマキノヨとまで詠われたのでしょうか?

ミマキイリヒコ(崇神)天皇

その内容はホツマツタヱにきちんと書かれているので、次回紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏 / ホツマツタヱを読み解く 池田満氏

ミヒメコ様への御礼参り 神奈川 江島神社

こんにちは!今日は当ブログの開設のきっかけにもなった神奈川県藤沢市に鎮座する江島神社への御礼参りについて書こうと思います。

ウガヤフキアハセズ様への参拝を終えたある日のこと、眷属の方が「美鈴に会いたがっておられる」とおっしゃいました。

江島神社の鳥居

「はい、でも一体どなたが?」と尋ねたところ「江島神社に御礼参りに行くがよい」とのことで、

久しぶりにエノシマカミをはじめ、三姉妹の方々の参拝に伺うことにしました。

ミヒメコ様とは?

ミヒメコ様とは江島神社辺津宮祭神タキコヒメ中津宮タケコヒメ奥津宮タナコヒメを指します。(一般的な呼称との混乱を避けるため、ホツマツタヱの呼び名のみ記載)

アマテルカミ(天照大神)はお妃の一人、ハヤコヒメをお召しになられた夜、不思議な夢を見ました。トツカ(十握)の剣が折れて三つになり、それぞれを噛むと、ミタ(三尺)になったのです。

そうしてお生まれになったのが、三つ子のヒメミコだったので、お名前に「タ」を付けて、タケコ(長女)、タキコ(次女)、タナコ(三女)と名付けられました。

辺津宮祭神 タキコヒメ

辺津宮におられるのがエノシマカミこと、タキコヒメであられます。この方はコノハナサクヤヒメ母君であり、ホホテミ様祖母ウガヤフキアハセズ様にとっては、曾祖母にあたられる方ですね。

(眷属の方にもお伺いし、イラストは変えました)

コノハナサクヤヒメの母君:タキコヒメ

この方の血が、天つ日嗣の子孫の方々に受け継がれています。

エノシマカミはとても面倒見の良い方で、美鈴が伊勢神宮参拝前に体調不良になった際にも、

「祓うので、江島神社に来るがよい」とテレパシーを送って下さったのでした。

そして「近々、伊勢神宮に伺う予定です」と報告した美鈴に対して、

「父君にお会いするのか、ではよろしくお伝えしてくれ」とおっしゃいました。

エノシマカミを祀る辺津宮

エノシマカミ江ノ島に葬られただけあって、かなりお声がはっきり聞こえます。

久しぶりに参拝した美鈴をご覧になり「成長したな、美鈴」と涙ぐんでおられました。

オオヤマスミ家の方々は涙もろいですね)

美鈴もエノシマカミの細やかな気遣いに感謝して、思わず涙ぐむのでした。

中津宮 タケコヒメ

中津宮におられる方がタケコヒメオホナムチさんと結ばれて、クシヒコさんという類まれなる人物をお産みになった方です。

この方の深い愛と慈しみに感動し、また正しい史実を世に伝えてほしいというタケコヒメの願いもあり、当ブログを開設しました。

クシヒコさんの母君:タケコヒメ 竹生島に葬られた

とはいうものの、ホツマツタヱは全く知らなかったし、正しい史実がどこに書かれているのか見当もつきませんでした。

そんな折「正しい歴史を知りたければ、寒川神社に来るように」寒川神社の眷属の方から強烈に呼ばれ、そしてクシヒコさんとの出会いもあり、ようやくホツマツタヱに辿り着くことができました。

その後もお会いした御祭神からホツマツタヱは違うと言われていないので、ホツマツタヱは正しいのだと思います。

中津宮

さて、前置きはこのくらいにして、

眷属の方のお話では、アマテルカミの性質をもっとも強く受け継いだ方が長女のタケコヒメなのだそうです。

だからクシヒコさんオオクニヌシノミコトと呼ばれる)という素晴らしい方がお生まれになったのかと納得したのでした。

タケコヒメは琴の名手だったので、弁財天になぞらえるのは、あながち間違いではないかも知れません。

中津宮で手を合わせて御礼をお伝えすると、タケコヒメはいつものように慈しみ深く微笑んでおられました。上空でカラスが三羽、円を描く様に飛び回り、歓迎を示してくださいました。

奥津宮 タナコヒメ

江島神社に通い始めた一昨年は、原因不明の体調不良で奥津宮まで辿り着く体力はありませんでした。

辺津宮手前の階段を上るのがやっとで、何回か参拝するうちに体力も回復して、中津宮、奥津宮にもお伺いするようになったのでした。

奥津宮

以前はタナコヒメの気配を感じられなかった奥津宮ですが、驚いたことにタナコヒメはおられるし、参拝者で溢れかえっています。

(どうやらタナコヒメは人気があるようです、厳島神社に葬られたからでしょうか)

奥津宮の拝殿で手を合わせて、タナコヒメにご挨拶をしましたなんでも今では三姉妹の方々がアマテルカミ御娘だと多くの方が認識して参拝に来られるのだそうです。

タナコヒメとこんな会話を交わしたのでした。

タナコヒメもお声ははっきり聞こえますね。三姉妹の結びつきが強いのでしょうね)

タナコヒメ
タナコヒメはイフキヌシさんの妻

ちなみにこの三姉妹の方々はムナカタ家の出身ではありません。ムナカタ家からはオリハタオサコさんトヨヒメアヤコさんのお二人がアマテルカミの妃になられています。

そして、トヨヒメアヤコさんアマテルカミ第八子であられるクマノクスヒさん(イミナ:ヌカタダ)をお産みになられていますね。

ここをきちんと説明しておかないと、アマテルカミ(天照大神)の血を引く子孫の方々が、れっきとしたアマテルカミの子孫であると、認識できなくなってしまいます。

また別の機会に述べますが、アマテルカミには五男三女の御子様がおられました。嫡嗣オシホミミ様ですが、傍系の方々もちゃんとおられるのです。

あいにくの曇り空でしたが晴れ間が見えました

ミヒメコ様に多大な感謝と御礼をお伝えして、久しぶりの江島神社を後にしたのでした。

箱根江ノ島は神奈川の二大観光地ですが、まさかその地にアマテルカミの嫡嗣のオシホミミ様タキコヒメが埋葬されているとも知らずに、しょっちゅう入り浸っていた訳なのでした。

きっと伊勢神宮アマテルカミに親切にして頂いたのも、アマテルカミの御子様方とのご縁があったからかもしれません。

その他にも、ブログに書くとお約束をしてお待たせしてしまっている祭神の方々がおられるので、いずれまたご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

ソサノヲさんの事例にみるアメナルミチ

こんにちは!先日はホツマツタヱが書かれた理由について述べ、ヤマトタケさん(日本武尊)の願いはアメナルミチを伝えることとお伝えしました。

今回はこの壮大なテーマ、アメナルミチについて、今一度考えてみたいと思います。

アメナルミチ自体、抽象的で漠然としたイメージが強く、一見すると捉えにくい概念ですが、ホツマツタヱを読む上で感じた内容を纏めてみたいと思います。

美鈴はアメナルミチ国家指導者中間指導者だけに必要な概念ではなく、先生、師匠、親、兄、姉、先輩など目上の立場の人にも有益な教えであると思っています。

では早速、池田満氏の著書を参考にしながら、見ていきましょう。

ソサノヲさんの思い違い

時のアマカミ(=天皇)アマテルカミ(天照大神)は指導する側の人間は愛を持って教え導く立場であり、力や権力で服従させるのは誤りであるとお考えでした。

アマテルカミの弟、ソサノヲさんは御父上のイサナギ様よりネノクニ(北陸道)クニカミ(司)になるようにミコトノリを得ていました。

武力を行使するのが政治だと思っていたソサノヲさん

しかし、兄のアマテルカミは権力を振りかざすのが政治であると思い込んでいた弟を長い間クニカミに任じることが出来ませんでした。

そのためハタレの乱が勃発し、暴挙を起こしたソサノヲさんに対して、以下のウタを詠みます。

権力や武力は罪人を断罪するために必要なのであって、根底に国民を幸福に導くアメナルミチが備わってなくてはならないとアマテルカミはお諭しになるのでした。

(やはり本物だった!)

ハタレの乱の後、甥のイフキヌシさんが叔父のソサノヲさんの元に遣わされることになります。

イフキヌシさん(ツキヨミさんの息子)

イフキヌシさんを前にしてソサノヲさんは自らの思い違いを悟り、ウタを詠んで自らの非を詫びます。

叔父がアメナルミチを体得したことを悟ったイフキヌシさんは共にハタレの残党を成敗します。

そして、遂にアマテルカミよりヒカワカミの称号を得て、サホコクニ(出雲)を統治することになったのです。(そのため氷川神社の御祭神はソサノヲさんなのでしょう)

そして、国名をサホコからイツモ(出雲)に変え、民の幸せを実現する政治を行います。

アメナルミチを私たちに置き換えてみる

ソサノヲさんの教訓を聞くとピンと来ないかもしれませんが、私たちは国家指導者ではなくても、であったり、上司であったり、何らかの立場が与えられることがあります。

下の立場からすると、やはり上の立場にある人は、位置や権力があるので脅威に感じることもあるでしょう。

だからと言って、むやみの権力を振りかざせばハラスメントなど様々な問題につながってしまいます。

上の立場の人は親のような気持ちで下の立場の人にへりくだる心を持ち、愛を持って接し、下の立場の人は目上の人の立場を立てて、尊敬と感謝を表す。

これがアメナルミチの根本理想ではないかと思うのです。

今回はソサノヲさんの事例からアメナルミチを見ていきましたが、その他にもアメナルミチを考察できる箇所はホツマツタヱの随所に見られますので、また紹介していきたいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

参考図書:「ホツマツタヱを読み解く」池田満氏著

横浜にもアマテルカミが? 横浜市都筑区 杉山神社

こんにちは!先日、眷属の方よりアマテルカミは近頃横浜の神社にもお出ましになっているとのことで、早速参拝に行ってみることにしました。

神社の名前は「杉山神社」と分かったものの、横浜市には実に31社もの「杉山神社」があることが分かりました。そして、何故こんなにも杉山神社が存在するのだろうと疑問に思いました。

杉山神社

色々調べてみると杉山神社とは、延喜式神名帳では武蔵国都筑郡唯一の式内社とされており、横浜市茅ケ崎中央に鎮座する杉山神社が有力な論社とされています。

眷属の方が教えて下さった神社とは、まさにこの杉山神社だったのです。偶然の一致かどうか分かりませんが、とにかくこの杉山神社アマテルカミがおでましになるようなのです。

杉山神社由緒

ホームページで調べた由緒では、以下のように書かれています。

同社は安房神社神主の忌部勝麻呂により高御産日命、天日鷲命、由布津主命の3柱が祀られ、忌部氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった

都筑郡は開拓者である忌部氏の勢力が強く、多くの古墳や環濠集落が作られるなど武蔵国府の支配外にある一つの小国を形成しており、古東海道も横断する物資の集散地だった。(Wikipediaより)

神社庁のホームページでは主祭神は天照大神、杉山神社の由緒では五十猛命となっています。ただしこの神社は同一建物で杦山神社、神明社、天王社、稲荷社が合祀されています。

五十猛命とは?

さて、この五十猛命という方、ソサノヲさんの息子とのことですが、松本善之助氏の系譜には出てこない方なのです。

ソサノヲさんは奥様のクシイナタヒメとの間に8人の御子を儲けられたのですが、五十猛命オホヤヒコさんと同一という説があるので、恐らく長男のオホヤヒコさんではないかと思います。

オホナムチさんはてっきり長男だと思っていたのですが、実は三男だったんですね。

末の妹のスセリヒメオホナムチさんの妻という説がありますが、オホナムチさんアマテルカミの御娘であられるタケコヒメを娶っておられたし、アマテルカミが兄弟婚をお認めにならなかったと思います。

敬称略

早速、最寄り駅から神社がある都筑中央公園に向かいます。駅周辺の繁華街を抜けていくと、突如、里山に迷い込んだような大きな公園が現れました。

都筑中央公園

神奈川県の神社によくある不思議な共通点

神奈川県の神社には不思議とある共通点があります。すべての神社には該当しないのですが、神社の近くに古代の遺跡が存在し、そして、そうした神社に限って御祭神がリアルにお出ましになるのです。

この杉山神社も例外ではなく、同公園内に境田貝塚があります。

境田貝塚

公園の遊歩道を歩いていくと、公園全体が心地良い気で充満しています。この御神気は杉山神社から流れているのでしょう。

アマテルカミをお祀りする神社は広範囲に渡って良い気が流れていることが多いです。

丁寧に管理されている神社で、階段や手水舎も綺麗で、参拝者への配慮が感じられました。

アマテルカミがおでましに

早速、本殿手前で祝詞を奏上し、日々の感謝をお伝えすると、アマテルカミはちゃんとお出ましになられました。しかも体が大きく見えました。いつものように、下はモというスカート状のお召し物、上半身は濃紺のお召し物でした。

アマテルカミにお会いすると不思議なのですが、本当に謙虚な気持ちになります。この国を豊かにして下さった御礼をお伝えして、御前を失礼しました。

美鈴には見えなかったのですが、眷属の方によるとオホヤヒコさん、ソサノヲさんもちゃんとお出ましになるとのことでした。

神社にあった由緒をよく読んでみると、合祀されている神明社は無格社だったそうです。

現在は社格制度は廃止されていますが、過去に無格社であっても、アマテルカミはちゃんとお出ましになります。ひとえにお祀りする人の心を見ておられるからと思います。

アマテルカミは自分に自信が無くて、落ち込んでいる人にも寄り添ってくださいます。

どんなに至らなくても、決して咎めたり、叱ったりなさらないのです。いつもニコニコ微笑んで、参拝者の方々を見守っておられます。

アマテルカミがお出ましになる杉山神社に是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきましてありがとうございました!

ホツマツタヱが書かれた理由と御祭神の願い

こんにちは!今日はホツマツタヱが書かれた理由について、改めて振り返ってみたいと思います。

先日、五所神社の記事に、ヤマトタケさん(日本武尊)がご存命時には正式な国書は存在していなかったと書きました。

ヤマトタケさん(日本武尊)

それもそのはずで、ヤマトタケさんご自身が国書及び、歴史書の編纂を切望されていたからなのでした。

ヤマトタケさんは東国平定後、不運にも早世してしまうのですが、ご自身の余命がいくばくも無いことを悟り、御父上のヲシロワケスメラギ(景行天皇)ノコシフミ(遺書)をしたためます。

そして、その遺書には今後の治世を憂う内容やアメナルミチを書き残すようにと、五七調のウタで切々と書き綴られていたのでした。

時代は新羅がいつ任那に攻め込むか、引いては我が国にも攻め込むかも分からない、内憂外患の状態にありました。

そんな時だからこそ「祖宗以来の尊いアメナルミチを今こそ省みるべきではないか」とヤマトタケさんは強く思うのでした。

愛息子の意を汲むヲシロワケ天皇

ヤマトタケさんヲシロワケ天皇が次期天皇にと望まれた愛息子でした。そんな愛息子の気持ちに答えようと、ヲシロワケ天皇「カグノミハタ」という書を執筆します。

当時、宮中にはアマテルカミ(天照大神)が編まれたフトマニヲシデ(日本の古代文字)で書かれたフミが多数残されていました。

晩年のアマテルカミ

アマテルカミご自身が「綾しげければ天霊みえず(=文書が多すぎて要点をつかみきれない)」とおっしゃるくらいなので、相当な数だったのでしょう。

ヲシロワケ天皇はその中から、アメナルミチを宣揚する重要なポイントを抽出し、お手づから執筆されたのが「カグノミハタ」です。

そして、初代伊勢神宮神主のクニナヅ・オホカシマさん(アマノコヤネさんの子孫)と大神神社神主のオホタタネコさん(クシヒコさんの子孫)に詳細な伝承を書かせたものが、それぞれ「ミカサフミ」と「ホツマツタヱ」なのでした。

カミヨの時代からの重鎮の子孫が神主となっているのですから、古来より伊勢神宮大神神社は重きをなした神社であったのでしょう。

アメナルミチに対する御祭神の思い

ここまで見るとホツマツタヱが書かれた最大の理由は「ヤマトタケさんが祖宗が残したアメナルミチを後世に伝えるため」ということが分かりました。

ニッコリ微笑まれるヤマトタケさん

ここで、美鈴はあることに納得したのでした。

神奈川県海老名市の有鹿神社アマテルカミに、そして神奈川県足柄上郡の寒田神社ヤマトタケさんにお会いしたことは過去の記事に書いています。

美鈴が「ホツマツタヱを読んでいます」と自己紹介をした際に、このお二人は別の時代に存在した方にも関わらず、全く同じ反応をお示しになられた。

まるでコピーで写し取ったように、美鈴をみてニッコリ微笑まれたのです。

「なぜ微笑まれるのだろう?」という疑問が湧いたのですが、やはり「アメナルミチ」を子孫に伝えたい思いがおありなのだと、後で納得したのでした。

(歴史を書きかえた、犯人捜しをしたい訳ではないと思う)

解いておきたい誤解

ここで、御祭神は「恨みや悔いの念を持っており、供養しなければならない存在」いう誤解があれば、解いておきたいと思います。

美鈴がお会いした限りでは、御祭神は悔いや恨みを持つ方々には到底見えませんでした。どなたも愛の深い、器の広い方々ばかりでした。

ニニキネ様

本来、大宇宙のアモトの元に帰ってもおかしくない方々ではありますが、現在も地上で私たちを助けて下さる、言わばアセンデッドマスターのような存在なのです。

アマテルカミニニキネ様をはじめ、どなたもお育ちの良さが全身に満ち溢れておられたし、立ち振る舞いも、話し方もゆったりしておいでで、本当に優雅でした。

美鈴の所感

ホツマツタヱを読んでいると、「あれ?ちょっと内容がずれている」と思う箇所があります。

まず、この高温多湿の日本で二千年以上も原本を保持するのは不可能です。そのため、時代を経て書き写された書物なので、多少の写し間違いや、内容のずれはあったと思います。

そもそも、アメナルミチを主眼に書かれた書物なので、史実の多少の誤差はあまり気にされていなかったかもしれません。とは言っても、大きく事実とかけ離れていることは無いと思います。

ホツマツタヱは一般的に知られていない史実もふんだんに盛り込まれているので、興味を引く内容も多々あるのですが、やはりアマテルカミミコトノリを通して、尊いアメナルミチの天恵を窺い知ることができることが、最大の魅力ではないでしょうか。

今後もアメナルミチについては、色々記事でまとめてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた古代日本史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏著

タケミナカタさんからのお茶目な依頼

こんにちは!今日はスワノカミこと、タケミナカタさんからお茶目な依頼を前々から頂いておりましたので、この機会に書こうと思います。

実は美鈴はスワノカミからのあるお願いをテレパシーでキャッチしておりました。(ちなみにタケミナカタさんには諏訪神社で何度もお会いしています)

その依頼とは、、、

実は「自分の顔も描いて欲しい」という依頼だったのです。(なんてお茶目な方なのかしら)

がっしりした体格

「えっ!?スワノカミ、美鈴は以前ブログ記事を書いた際にスワノカミのお顔を描いていなかったのですか?」

(そうらしいです)

「それは大変失礼致しました。では奥様とご一緒がいいですよね?」と聞いたところ、

(それは恥ずかしい)とのことでした。

ちなみに他の御祭神もお妃とのツーショットは、本音を言うとちょっと恥ずかしいのだそうです。

タケミナカタさんの特徴

タケミナカタさんに初めてお会いした時の印象は、見るからにお坊ちゃん育ちという感じがしました。

(御父上のオホナムチさん右の臣だったから当然と言えば当然なのですが)

乗馬や狩りを嗜んだ

ちょっと説明が難しいですが、体格がしっかりしていて、身長は普通、性格は温厚で優しいという感じでした。

御父上のオホナムチさんはとにかく優しい人で、救荒食糧を備蓄しては人々に配ったと池田満氏の著書に書かれていますが、

タケミナカタさんもまさにその性質を受け継いでいて、人をもてなしたり、贈り物を送るなど細やかな配慮をされた方のようですね。

口数が少ない方なので、ご本人から聞いた訳ではないのですが、乗馬や狩りを好んだようです。

タケミナカタさんの意外な性格

実はいつもクールタケミナカタさんには意外な性格があります。

実はツンデレな一面も

美鈴が参拝に伺うととても喜んでくださるのですが、日によって反応がなかったり、お留守だったりする訳なのですが、

参拝が遠のくと寂しがる、、、ちょっとツンデレなところがあります。

そして、タケミナカタさんのことをブログで紹介すると、大喜びで美鈴にお礼を伝えて下さる律儀な性格もおありです。

この性格は祖父のソサノヲさんに非常によく似ておられます。

実は、ソサノヲさんツンデレなところがおありなのでした。

これは末の弟に良くみられる性格なのでしょうか?

とにかくお茶目なタケミナカタさんなのでした!(とっても優しい方ですね)

以上の情報を元に、タケミナカタさんのお顔を描いたところ、眷属の方から「ちょっと違う」と言われてしまいました。

そこで、眷属の方のアドバイスも参考にして、上記のイラストをいくつか載せたのですが、スワノカミはお気に召してくださったのでしょうか?

なんらかの反応を待ちたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!