上古代の宇宙観と死生観

こんにちは!今日は上古代の宇宙観と死生観について、ホツマツタヱを読みながら学んでいきたいと思います。

上古代のアマカミ(天皇)の時代には、宇宙はきちんと認識されていました。

(※余談ですが、カミヨとは上代のアマカミ(天皇)の時代という意味です。)

大宇宙タカマとかタカマノハラと呼ばれていました。

つまり、日本の古代文字ヲシテが使われていた時代には既に、

太陽系宇宙、銀河系宇宙を把握していたということになります。

宇宙の範囲

上古代の人々は宇宙の大きさもトメジという長さの単位を定めていました。

地球クニタマと呼び、直径114トメジ球形であることも把握していました。

クニタマから4万トメジ離れた場所に、直径70トメジツキ(月)が周り、

クニタマから8万トメジ離れた場所に、直径150トメジヒ(太陽)が周る。

その他の星は15万8千トメジ~50万トメジに点在すると考えられました。

クニタマ(地球)から50万トメジの範囲をタカマノハラ、その境界線を100万トメジタカマノハラマワリと呼ばれていました。

長さの単位トメジ

トメジとは地球の周囲の長さ(と認識されていた)365で分割した長さの単位です。

地球の周囲を365トメジとし、直径は114トメジと認識されていました。

トメジの長さ1/365を、地球の円周(約 40,075 km)で割ると、

現代の感覚では、1トメジ=109.8kmと解釈できます。

壮大な宇宙観

ここまでお読みいただいて、上古代の人々は大宇宙を認識していたのは、

驚くことのように見えますが、美鈴の感覚では至極当然のような気がします。

人々は常に太陽や月、星の動きを観察していたはずです。

真北をみれば、北極星(キタノホシ)がひときわ輝いて見えたことでしょう。

夏至冬至春分秋分は太陽の見かけの動きからわかります。

は天体の動きから予測できますし、作物の豊作・不作は生命に直結する問題です。

天体や自然の動きを常に把握していたのは、それは生命を維持するうえで、

欠かせないものであったからでしょう。

ヒトそのものが小宇宙

また、ヒトの魂のタマ(=人の心の本体)大宇宙から下されると考えられていました。

地球上の物質からヒトが形成されて、地上の生活を楽しんで、

寿命が尽きると、再び大宇宙の中心にタマは還るという死生観でした。

これはヲシテ文献では、ユキキノミチ(往き来の道)と書かれています。

また、ヒトはアメミヲヤ(創造主)ワケミタマ(分身)であるから、アメミヲヤと同質である考えられました。

ホツマツタヱ関連文献を書かれている池田氏によると、

アメミヲヤは無色透明であり、自然そのものであるため、崇める対象ではなく、

宗教哲学の狭間に位置すると述べています。

最後に

ここまで読んで美鈴が納得したことがあります。

神社の御祭神にお会いすると、あくまで自然な佇まいと振る舞いに驚くことがあります。

一個人の美鈴を大切に扱うのは、あるがままの自然として受け入れてくださっているのでしょう。

ここで紹介した内容は、言葉にするのは難しいほど抽象的なのに、

ヲシテ文献ミカサフミ『タカマナルアヤ』(ミ-117)にきちんと纏められているのは、

本当に素晴らしいことですので、是非お読みいただければと思います。

トヨケカミ(豊受大神)の祭祀

こんにちは!今日はトヨケカミ(豊受大神)の祭祀について考えてみたいと思います。

アマテルカミトヨケカミの御人柄は大変謙虚なのですが、

お二人は統治者、最高指導者でありながら、

この謙虚さは一体どこから来るのだろうと不思議に思っていました。

そこで、トヨケカミが定められた祭祀体系をおさらいしてみたいと思います。

トヨケカミという人

トヨケカミは東北の名門タカミムスビ家第五代目の当主となった方です。

トヨケカミ

トヨケカミは、ヒタカミ(東北)にて、マツリゴトの改革を行い、

祭祀する神体系を整理しました。

これによって、人々が心をひとつに合わすことができるようになったとあります。

人心が安定すると、食料生産にも復興が起きて、ヒカシノキミ、ホツマキミと褒めたたえられ、

そして、トヨウケとも呼ばれました。(トヨ=豊穣ウ=大いなるケ=食糧)の意味。

それでは、トヨケカミが作った祭祀体型をモトアケフトマニの図を見ながらもう一度

振り返りたいと思います。

モトアケの図

以下に漢字以前に使われていた古代文字(ヲシテ文字)で書かれたモトアケの図になります。

ここで少し用語の解説をしたいと思います。

フトマニの図

モトアケとは、天地・宇宙黎明の意味、モトモトともいいます。

モトモトフトマニの図にあるヨソコ(49神)の中心(ナカミクラ)を指します。

中心に書かれている文字はアウワと書かれています。

そして、一段下がるとトホカミヱヒタメ、その外周にアイフヘモヲスシと書かれています。

それぞれモトアケを構成する神なのですが、具体的にどのような神なのか、以下の表にまとめました。

モトアケに書かれる神分類意味
アウワ天地・宇宙絶対神アメミヲヤ
アウワ人間界初の人類ミナカヌシ、クニトコタチ
アウワキタノホシ(北極星)
トホカミヱヒタメクニトコタチノ8人の御子
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ
トホカミヱヒタメ季節の神ト(夏)ヱ(冬)タ(春)カ(秋)
トホカミヱヒタメ方角の神ト(南)ヱ(北)タ(左)カ(右)
トホカミヱヒタメト(アオ)ヱ(キ)タ(シロ)カ(アカ)
トホカミヱヒタメ人間界タマノヲを結び寿命を守るカミ
トホカミヱヒタメ別名ヤモト/ヤモトカミ
アイフヘモヲスシアワウタの頭韻を連ねたもの
言葉及び音韻を守るカミ
アイフヘモヲスシ物質界人の内蔵・生命・食糧を守る
アイフヘモヲスシ別名アナミカミ
ミソフカミ(三十ニ神)アカハナマ48音からトホカミヱヒタメとアイフヘモヲスシの16音を除いた32音

このモトアケ49神アメミヲヤ(絶対神)及び大宇宙を形どったものであり、人は大宇宙の縮図で小宇宙と考えられていました。

つまり、モトアケヒトをかたどっているモト(元)といえます。

高度な祭祀体系

このモトアケの図を見ると、まず中心に大宇宙絶対神を置いていた、

これは非常に高度な祭祀体型であると思います。

そもそも人類を生んだ、おおもとの存在に対する感謝と畏敬が感じられます。

そして、その次に地上で初めて営みを始めた存在のミナカヌシ

その次に、実際に豊かな国を建国したクニトコタチとその子孫のトホカミヱヒタメへの祭祀と続きます。

そして、宇宙の成り立ちから発生したアワウタは全世界の意味もあります。

つまり、モトアケ全体は大宇宙の縮図ともいえるヒトそのものを指します。

美鈴の考察

ここからわかることは、トヨケカミの祭祀は、

ヒトは大宇宙のアメミヲヤ、人類第一号、建国者から連なる一員と認識できます。

私たち一人一人が、先人の多大なご苦労や功績で生かされている存在と思えば、

自ずと謙虚になります。

実際にクニトコタチは日本国のそもそもの創始者であり、

アマテルカミトヨケカミも常に尊敬の念を抱き続けたお方でした。

クニトコタチ

更に、音や季節、方角にもカミとして敬えば、自分を大自然の一部とみなし、

自分勝手な振る舞いをつつしみ、先代への感謝次世代への慈しみの心を生みます。

つまり、おのずとアメナルミチへと繋がる祭祀体系となっていたことが分かりました。

もし、自分を神格化し、頂点に置けば傲慢になりますし、自分勝手な振る舞いをする危険性も出てきます。

そうすると、自分より弱い存在を大切にせず、粗雑に扱うかもしれません。

自分自身を常に誰かの下に置くことで、大宇宙やご先祖様からの多大な功績のもとにいる自分、

国を開拓して下さったクニトコタチから続く自分と思えば、

自ずと背筋が伸びて、生かされたことの感謝を次世代に引き継ごうという思いになります。

トヨケカミがこの祭祀体系により、常にご自身を律しておられたのではないかと思います。

今後もトヨケカミの祭祀については取り上げたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

倭姫宮参拝記(続き)

こんにちは!前回の続きです。ヤマトヒメにお呼びいただいてからすっかり、

日が経ってしまいましたが、ようやく皇大神宮別宮 倭姫宮に到着しました。

夕方にも差し掛かる時間帯でシーンと静まり返っていました。

鳥居

皇大神宮ヤマトヒメがお祀りされるようになったのは、大正12年のことで、

伊勢神宮の成立史を改めて重視する流れとなったため、創建されたとのことです。

静寂の中の参拝

倭姫宮は約4ヘクタールもの広大な倭姫文化の森の中に鎮座しており、

入口の鳥居から倭姫宮までは約200メートルから300メートルほどあります。

参道には他の参拝者の姿はなく、ひっそりとしていました。

ヤマトヒメヤマトタケさん(日本武尊)の叔母ですが、どんなお方なんだろうと考えながら歩いていました。

きっと当時ではお姿をみることも叶わなかったかもしれませんが、

どうしてそんなお方が呼んで下さるのだろうと不思議に思いながら、倭姫宮に向かいます。

参道は高い木々で覆われているため、薄暗いのですが、時折まばゆい光が差し込んで、

ヤマトヒメの歓迎を感じました。

なぜ内宮の場所を特定できたのか?

美鈴の考察になりますが、内宮の地は元々、アマテルカミ(天照大神)

人々が再びハタレにならないように、ミチを教えていたサコクシロです。

アマテルカミからお告げがあったので、ヤマトヒメアマテルカミ御魂をこの内宮の土地にお遷ししました。

果たしてお告げだけで場所を特定できるのか?と思われるかもしれませんが、美鈴は十分あり得ると思います。

文明に頼らない時代、より生存が過酷だった時代、人々の五感はより研ぎ澄まされていたと思いますし、

御魂の声を聴くというは、当時の感覚ではごく当たり前のことだったのではないでしょうか。

ヤマトヒメの対面

長い参道を歩いてきましたが、ようやく倭姫宮が見えてきました。

倭姫宮

ヤマトヒメとの出会い

宮に到着すると、なんとヤマトヒメが宮からお出ましになり、美鈴の方に駆け寄ってこられて、

「ああ!よかった!やっと出会えた!」とばかりにお互い涙、涙の出会いとなりました。

感動のあまり、抱擁し合うという状態になりました。

ヤマトヒメは気位の高い方ではなく、とっても純粋で謙虚な方です。

ヤマトヒメ

巫女さんのような服装で、お若い頃の姿でしたが、

つぶらな瞳が愛らしい、びっくりするくらい小柄な方でした。

ご本人にこんなに喜んで頂けるなんて、ホツマツタヱのことをブログに書いていて本当に良かったと改めて思いました。

言うに言えない思い抱えておられたのだろうと思うと、胸がいっぱいになりました。

次の参拝の方が来られたので、あまりお話は出来ませんでしたが、

改めて深い感謝をお伝えしました。

そして、最後にこれだけはお伝えしなければ、、、

ありがとうございました。

そうお伝えして、御前を退出しました。

いこいの広場

倭姫文化の森周辺を散策してから帰りました。

昨年10月からの伊勢神宮参拝記は以上で終わりとなります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

倭姫宮参拝記 三重県伊勢市

こんにちは!昨年の春ごろからずっと美鈴を呼んで下さっていたお方がいました。

その方をお祀りする神社は関東にもありますが、眷属の方と相談して、やはりあの社が良いだろうということになりました。

そのお方こそ、ヤマトタケさん(日本武尊)叔母であるヤマトヒメ(倭姫命)です。イミナヨシコといいます。

ヤマトヒメ

早速、皇大神宮別宮 倭姫宮を訪ねることにしました。

ヤマトヒメの系図

それでは、ここでヤマトヒメの系図をちょっと整理してみたいと思います。

ヤマトヒメ人皇第11代 イクメイリヒコスヘラギ(垂仁天皇)の皇女で、

二代目ミツエシロ(斎王)になります。(ちなみに第一代は崇神天皇皇女トヨスキヒメ

母君のカバヰツキヒメ(二代目の皇后)はヤマトヒメをお産みになる前に夢を見ます。

皇后は夢の中で、ヤマトオオクニカミ(クシヒコさんのことからシデ(お祓いに使う紙や布を切って垂らしたもの)を貰います。

クシヒコさん(オオクニヌシノミコト)

ヤマトヒメというお方は、まさに、

しかし、不幸にもカバヰツキヒメは産後に病気で亡くなってしまいます。

京都府城陽市に鎮座する樺井月神社カバヰツキヒメを偲んで建てられたと想定されています。(現祭神は月読命

わずか11歳で、ミツエシロとなったヤマトヒメトヨスキヒメの後任として、伊勢に向かいます。

アマテルカミのお告げによる巡行

余談ではありますが、トヨスキヒメヤマトヒメは諸国巡業に向かい、各地にアマテルカミの宮やその他の宮を建てますが、

実際にはどの場所だったのか古語と実際の地名を少し整理してみたいと思います。

ミツエシロ地名現在の地名
トヨスキヒメカサヌヒ奈良県桜井市三輪山付近
トヨスキヒメヨザ京都府北部 宮津付近
トヨスキヒメササハタミヤ奈良県所在地不詳
トヨスキヒメイセタカミヤ松坂市山添町神山神社付近
ヤマトヒメイソベ多気町相可磯部寺伊蘇上神社
ヤマトヒメウヂ現:内宮

最終的にサルタヒコさんの伝え言葉によりアマテルカミ内宮の地にお祀りします。

内宮(御正宮)

ヤマトヒメカミシツムアヤ

ヤマトヒメアマテルカミ(天照大神)の宮を内宮の地に立てたお方なのですが、

詳細はホツマツタヱ36アヤ  ヤマトヒメカミシツムアヤに書かれています。

この箇所は、いたずらに美鈴が書き下し文と訳文を載せるのはとても畏れ多いですし、

内容も素晴らしいので、是非ヲシテ本文を直接お読みいただきたいと思います。

アマテルカミのお告げの箇所のみ池田満氏の訳文を掲載します。

ホツマツタヱ 36-37
昔私の住まいしていたサコクシロは シキナミの寄するイセノミヤである。
長くここに留まりたいので、ミヤを守って欲しい。
そしてトヨケカミとここでも御一緒でありたい。
ヤマトヒメがそのように告げると、(イクメノ)キミはたいそう喜ばれた。

晩年のヤマトヒメ

長寿だったヤマトヒメは、イソミヤ(伊勢市磯町・磯神社)に隠退し、128歳の時に甥のヤマトタケさんが訪ねてきます。

ヤマトタケさんニシキフクロムラクモノツルギを授けます。

ムラクモノツルギとニシキフクロ(あくまでイメージです)

前置きが随分長くなってしまったので、

今日はここまでにします。次回はお社とヤマトヒメ様との出会いについて書く予定です。

最後までお読みいただきありがとうございました!

伊雑宮周辺散策 三重県志摩市

こんにちは!伊雑宮の参拝を終えて、周辺にも見どころがあるようなので散策することにしました。

ヤマトヒメ(倭姫命)の旧跡地が気になったので行ってみることにしました。伊雑宮から歩いてすぐのところにあります。

【ヤマトヒメ】
第11代イクメイリヒコスヘラギ(垂仁天皇)の皇女、ヤマトタケさん(日本武尊)の叔母にあたる。
二代目のミツエシロ(斎王)を務めた。イミナはヨシコという。

ヤマトヒメゆかりの地

ヤマトヒメは内宮の地にアマテルカミ(天照大神)をお祀りする宮を建てた方でもあります。

倭姫命旧跡と書かれています。伊勢には各地にヤマトヒメの伝承があります。

鏡楠の残根天井石がお祀りされていました。

【鏡楠】
伐採して根元を掘り起こしたところ、地下に石室があり、
そこから鏡(白銅鏡)が発見されたため鏡楠と呼ばれた。

【天井石】
鏡や勾玉が納められていた石室の「屋根」の役割を果たしていた石のこと。
古代~中世の祭祀跡とされる。

出土した勾玉が、倭姫命がかつてこの地に神宝を納めたという伝説を裏付けるものと考えられたため、

倭姫命旧跡地として崇敬されるようになったということです。

実際には室町時代の出土品だそうですが、古くからこの地が祭祀の土地であったことを物語っています。

伊雑宮造営者の社

倭姫命旧跡地のすぐ横に伊佐波登美命(いさはとみのみこと)という方のお社がありました。

案内板を読むと、伊佐波登美命倭姫命に命ぜられ、伊雑宮を造営されたと伝えられています。

このお方を事前に下調べしておらず、本当に申し訳なかったのですが、

ご本人がちゃんとお社におられました✨✨✨

美鈴を見て非常に喜んでくださって、歓迎していただきました。

伊佐波登美命

本当に可愛らしい方で、当時の巫女さんに近い神職についていたようです。

伊雑宮の造営に携わった方なので、改めて感謝と御礼をお伝えしました。

土地の記憶

名所や観光地に行くと、通説に載っていない地元の人だけが語り継がれた由緒に出会うことがあります。

おとぎ話のような逸話やここは昔からこうなっているという言い伝え的な逸話もあります。

御神田
【磯部の御神田】
志摩地方に伝わる「鶴の穂落し(ほおとし)」の故事に結びついた田植神事。

倭姫命が天照大神に供える稲の適地を求めて志摩を巡行した折、
白い鶴が稲穂を落とした場所がこの磯部であったという伝承に基づく。

真実を語れなかった時代においては、口承や口伝の形で真実の歴史が残された時代もありました。

公式記録だけではなく、地元の各氏族が残してきた独自の古文献も多数存在したことでしょう。

また、その土地で生活を営んできた人々の習慣や風習は文字だけでなく、

田植えなどの慣習や身体化された記憶として残されてきました。

伊雑宮付近の土地には、時を超えて繋がる「原点」があることに改めて気づかされました。

美鈴にとっても原点回帰の参拝となりました。

最後までお読みいただきありがとうございました!

伊勢神宮参拝記はまだ続きます。

伊雑宮参拝記 三重県志摩市

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の伊勢神宮参拝にあたり、伊雑宮も参拝するがよいと眷属の方に言われたので、

行ってみることにしました。

近鉄志摩線上之郷駅から歩いてすぐのところにありました。

上之郷駅

二見浦は風が強かったのですが、こちらはポカポカと暖かいお天気でした。

この地は温暖で、当時でも住みやすい所だったのではないでしょうか?

案内板

このイサワの地は当時の大型船が停泊できる伊勢湾からも近く、気候も温暖です。

ニニキネ様が稲作の灌漑事業を最初に成功させた土地でもあります。

この灌漑事業により、全国的に稲作の多収がもたらされ、タミは豊かになっていきました。

交通の便、気候、食物の確保の点からもイサワミヤコにはうってつけの土地だったと思います。

皇大神宮別宮 伊雜宮

アマテルカミ(天照大神)トヨケカミ亡き後、人々をより幸福にするため、ハラミノミヤからイサワへの遷都を決めます。

アマテルカミマツリゴトを行ったイサワノミヤに行ってみます。

伊雑宮の鳥居

想像していたよりもお社はこぢんまりとしていましたが、その分、とても身近で落ち着いた空気を感じました。

鳥居をくぐり、手水舎で手を清めるとすぐに正殿が見えてきました。

参道にある「夫婦杉」
正殿

正殿の前にやってきました。こちらはまじかにアマテルカミにお会いできます。

他に参拝客はおられなかったので、丁寧にご挨拶をして、この国の発展にご尽力下さった感謝をお伝えします。

すると、アマテルカミは濃紺のお召し物でお出ましになられました。

いつものように慈しみ深く、あたたかいお心を感じました。

随分前にアマテルカミトヨクンヌ様と雰囲気が似ていると書いたのですが、

参拝者と距離感が近いのでそう感じました。

アマカミ(天皇)という近寄りがたい、想像の範疇を超えるイメージを払拭した方がアマテルカミなのでした。

正殿裏手の居住地

池田満氏の著書に社殿の奥に多くのお妃が生活していた台地があると書かれていましたが、

社殿の裏手に勾玉池があり、広いお庭が見えてきたので散策することにしました。

ですが、、、

光に包まれるお社でした

なんと!マムシ注意の看板が!!!社殿の奥が立ち入り禁止になったのは恐らく

マムシが出るからではないでしょうか?

安全には十分ご配慮ください。

「えっ!マムシ」っと、一瞬ひるんだのですが、

その日は、厚手のズボンに厚手の靴を履いていたので、地面が見える場所を歩き、

茂みや草むらは歩かないことを徹底して、お庭を見学させて頂くことにしました。

伊雑宮の勾玉池

勾玉池の周囲を歩くと何とも清々しく、木々の葉の合間から、ぱあーっと光が差し込んで、心が洗われるようでした。

イサワの温暖な気候もあり、ポカポカと心地よい散策になりました。

立ち入り禁止エリアを見渡すと、確かにアマテルカミ(天照大神)の13人のお妃が住むには十分な広さですが、

お付きの方々、お子様を考慮するとむしろ手狭では?と思いました。

池田氏によると、立ち入り禁止区域には杉の巨木の二樹があるそうですが、

残念ながら見学できませんでした。

忌火屋殿(いみびやでん)のすぐ裏手にもとっても素敵な夫婦木がありました。

忌火屋殿裏手の夫婦木

夫婦木の秘密

樹木の種が接近して発芽すると、幼木の段階で根が絡み合い、成長過程で組織レベルでつながる自然癒合が起こります。

この一体化により、耐風に強くなる、地盤を広く支える、養分・水分を融通し合うなどのメリットが得られます。

別々の存在でありながら、基を同じくして支え合う姿に、古くから人々は「夫婦」という名を重ねてきたのでしょう。

なんとも伊雑宮に相応しい大木ですね。

古代の息吹を感じる社叢

静寂の中を歩いていると、アマテルカミ御在位時の雰囲気を感じ取ることができました。

参拝者の方が立ち去ると、辺りは静寂に包まれて、ヒヨドリのさえずり声が響き渡ります。

イサワに遷都されたのち、アマテルカミホノコヒメ(=セオリツヒメ)との間に待望の御子、オシホミミ様が誕生します。

アマテルカミとセオリツヒメ

眷属の方に教えて頂いたのですが、実はニニキネ様伊勢のお生まれなのだそうです。

オシホミミ様に譲位した後に、アマテルカミは内宮の地にお移りになります。

巾着楠

有名な巾着楠も見学しました。

【巾着楠】

宿衛屋(しゅくえいや)近くにあるクスノキ。根元が巾着のように大きく膨らんでいることから、その名がつきました。 かつてそこにあった石を、成長とともに飲み込んでしまったためにこの形になったと言い伝えられています。 その形から「福を溜め込む」「財を成す」として、金運アップのパワースポットとしても親しまれています。

終始、光に包まれた参拝になりました。

古代の息吹が感じられ、光が織りなす神秘的な空間の伊雑宮に是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

伊勢神宮参拝記はまだ続きます。

【参考図書】

ホツマ辞典/池田満氏著

龍と鳳凰が出会う瞬間(とき) 二見浦

こんにちは!前回ご紹介した二見浦での見学の様子を書きたいと思います。

昨年訪れた二見浦は急ぎ足での見学だったので、今年はゆっくり見学の時間を取ることにしました。

幻想的な夫婦岩の夜明け

色々調べてみると、なんと二見輿玉神社は終日参拝可能な神社だそうで、夫婦岩の日の出を拝みに行くことにしました。

夜も白々と明けてきて、明るくなってきた海岸を歩ていると、

早朝からヨガスタイルの外国人のグループとすれ違いました。(二見の地はスピリチュアルワークの地なのでしょうか?)

幻想的な雲

この二見で第八代アマカミのアマテルカミ(天照大神)は禊をされたのかと感慨深げに歩きました。

古代の禊とは

古代における禊とは今で言うところの身を清める行為、すなわち入浴に相当するものです。

現代でも体に着いた埃や皮脂の汚れを落とすためにお風呂に入ります。

入浴は身体の汚れだけでなく、目に見えない汚れ、穢れを浄化(クリーニング)する効果もあります。

特に海水に含まれる塩分は強力な浄化作用が期待されました。

ただし、海水はべたつき感があるため、禊の後には湧き水や川水で塩分を洗い流していたようです。

さて、美鈴が眷属の方に聞いたお話では、アマテルカミは衣服を着用して禊をされていたそうです。

海水は真夏でも冷たいし、なんといってもアマカミ(天皇)という尊い御身、

人前に肌をさらすのは、はばかられたようです。

美鈴が訪問した日は横に広がる帯状の雲が伸びていて、アマテルカミを連想させる鳳凰雲のようでした。

夫婦岩に近づくと、ますます鳳凰の翼に見えるような雲です。

朝焼けがとても美しく、空と海と夫婦岩の対比が印象的でした。

ハタレに陥った人々がマフツノカガミ(=ヤタノカガミ)を見て、自らのアイデンティティを確立し、

普通の人に戻ることが願われた地、まさに再生の地に相応しい場所でした。

サコクシロの意味

ちょっとここで、内宮の話になるのですが、内宮サコクシロとも呼ばれていました。

池田満氏の著書「縄文人のこころを旅する」を見ると、

サコクシロとは、ハタレの乱で短命に終わった人の鎮魂と、

一般の人々に真の幸せを及ぼすための教導の内容を意味すると書かれています。

晩年のアマテルカミ

アマテルカミのお告げ

アマテルカミは没後、ヤマトヒメ(垂仁天皇の皇女)にお告げをします。

昔、私の住まいしていたサコクシロはシキナミの寄するイセノミヤである。

長くここに留まりたいので、ミヤを守って欲しい。

このシキナミには【シ】=(為しゆくこと)、【キ】=(エネルギー)

ヒトのアモト(宇宙の源)から降されてきている意味

つまり、生まれ変わり=再生の意味とも取れると思いました。

龍と鳳凰が出会う瞬間(とき)

二見浦が強烈な禊と再生の地と悟った美鈴は心身ともにクリアーなエネルギーで浄化された気がしました。

写真には写っていませんが、数十名の方々がカメラを構えて撮影していました。

『それにしても、この雲はアマテルカミの鳳凰雲に見えるなぁ』と思いながら、

二見輿玉神社の参道を歩くうちに、とうとう鳥居の入口に辿り着きました。

そして、鳥居を出て空を見上げると、そこには、、、

『あ!あれは!!!まさしく』

アマテルカミ(👆左の鳳凰雲)とホノコヒメ(👆右の龍雲)

最強かつ最高のお二人がお出ましになられました!

アマテルカミとセオリツヒメ

ちなみに、、、

最強の禊の地で、この最強のお二人がお出ましになられたということは、

👆お正月っぽくしてみました

皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

伊勢神宮参拝記はまだまだ続きます。

【参考図書】
縄文人のこころを旅する/ホツマ辞典 池田満氏著

二見浦の誓い 三重県伊勢市

こんにちは!伊勢神宮内宮を参拝し終えた美鈴はバスに乗って二見浦(ふたみがうら)にやってきました。

二見浦(ふたみがうら)は、伊勢湾に面した海辺で、夫婦岩と朝日の美しい景観で知られています。

古くから禊の地とされ、伊勢参拝のはじまりに心を整える場所として親しまれてきました。

二見輿玉神社(2024年撮影)

バス停を降りて、二神輿玉神社の参道を歩いていると目の前に夫婦岩が見えてきました。

参道から近距離で見学できるので、かなり迫力があります。

夫婦岩(2024年撮影)

太古の時代の二見浦

現在は二見浦の名称ですが、古くはフタイワウラ(二つの岩がある浦)と呼ばれていました。

古来からの景勝時でアマテルカミ(天照大神)が禊をされた場所でもあります。

禊をされるアマテルカミ

歴史的な重要地

アマテルカミ御在位時に国内最大級の騒乱、ハタレの乱が起こります。

ハタレとは他人をたぶらかして金品をせしめる者の集団で、その乱に加わった人々は総勢70万9千人にも及んだそうです。

関東で猛威を振るったハタレのうち、ハルナを首領とする一派はこのフタイワウラめがけて押し寄せます。

あわよくば当時のミヤコであったイサワ(現:伊雑宮)にまで到達しかねない勢いです。

そこでアマテルカミは御自ら乱の平定に御出立されたのでした。

このフタイワウラの地は、ハタレの乱の決戦地でもあり、ここでハルナは捕縛されます。

乱の平定後、正妃ムカツヒメ(=セオリツヒメ)マフツノカガミ(=ヤタカガミ)を置いたため、

フタミノイワと名付けられました。

セオリツヒメと鏡

フタミの意味

マフツノカガミハタレの乱に加わった人々が、その鏡を見ることで、

再び普通のタミに戻れるようにとの願いがこめられ、フ=(普通の)タミ(民)と名付けられました。

ヤタノカガミはこんな感じで置かれていたようです(眷属の方談)

アマテルカミはハタレの乱の再発を防ぐためには人々の心の内側を整えることが最重要であると認識されたため、

ミクサタカラ(=三種の神器)ヤタノカガミを追加しました。

ヤタノカガミには【全ての人々の心に自立心が育つように】という願いが込められています。

現代においても必要な教え

このハタレの乱の教訓は現代を生きる私たちにも通じる重要な教えになります。

自分のアイデンティティが確立されると、他人がどうであれ「それもその人の人生」であり、

「私は私」であると成熟した心の余裕が持てます。

自分の中に価値を置くと、充足感で満たされて、行動にも自信が持てます。

悠久の歴史のなかで、いつしか忘れ去られてしまった出来事ですが、

二見浦の地は上古代においては、とても意義深い重要な場所なのでした。

伊勢神宮参拝記はまだまだ続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

【参考図書】
ホツマ辞典/縄文人の心を旅する:池田満氏著

伊勢神宮参拝記 内宮編

こんにちは!前回の伊勢神宮参拝記の続きになります。今日は内宮に参拝した様子をご紹介します。

外宮をゆっくり参拝するとお昼過ぎになってしまうのですが、一刻も早くアマテルカミにお会いしたいのでそのまま内宮に向かいます。

多くの参拝者で賑わう内宮

この内宮の地はアマテルカミ(天照大神)が晩年にお住まいになったウヂミヤです。(サコクシロとも呼ばれる)

アマテルカミは美鈴の人生観や価値観をがらっと変えてしまったお方。

人生で先延ばしにしてきた問題、幾多の越えられない壁を乗り越えられたのも、すべてこのお方のお陰でした。

そして、日本で最も祓い清められる神社(と美鈴は思っております。)

内宮は【アマテルカミの御魂をお祀りする社】、肉体はお持ちではありませんが、スピリットな存在としてちゃんと内宮におられます。

アマテルカミは国民の全てを慈しむお方、愛が溢れているお方でありながら、放つオーラは男性特有の力強いものです。

(波動だけでも、男性か女性かははっきり分かります)

そして、上古代のアマカミ(天皇)に共通しているのが、【特定の参拝者をえこひいきせず、特別扱いしない】ということです。

あくまで平等なんですね。

五十鈴川のほとり

いときょう氏の本に「アマテルカミは晩年になっても度々内宮より小舟に乗って、五十鈴川を下って二見浦を訪れていた」

と書かれていますが、これは合っていると思います。

実際にアマテルカミは舟で移動されるのがお好きだったようです。(眷属の方談)

実際にお会いした時も、じっとしている方ではなく、フットワークの軽い方という感じがしました。

多くの参拝者の後に続いて、御正宮の前に着きました。

早速、御正宮の前に進み出て、アマテルカミにこの一年の感謝をお伝えすると全身白い御装束でお出ましになられました。

どうやらこの日は神事におでましになるようでした。

今も現世に御魂をとどめておられることに、もったいなくも、ありがたく、畏れ多い思いで胸がいっぱいになりました。

多くの参拝者の方がおられたので、深々とお辞儀をして、アマテルカミの御前を退出したのでした。

内宮の御手洗池

アマテルカミは美鈴に話しかけることはありませんが、

アマテルカミがどのように祈りをささげておられたか分かる一説をご紹介します。

アマカミ(天皇)は毎朝国民の幸せを祈ることを日課となさっています。
冬の雪降る日も、地面に伏してお祈りくださいます。

それは国民の幸せを願ってのことで、人の魂の源のタマの源泉である
宇宙の中心に祈りを捧げて下さいます。

出典:新訂ミカサフミ・フトマニ 池田満氏著

地面に伏してお祈りされる姿に感動さえ覚えるのですが、これはアメ(天)に対する敬意を表しています。

一般的には伏拝(ふしおがみ)と言って、より深い敬虔さを表す拝礼になります。

フトマニアマテルカミの人生哲学書とも言うべき書物なのでとてもおすすめです。

伊勢神宮参拝記はまだまだ続きますが、内宮編はこの辺で終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

伊勢神宮参拝記 外宮編

こんにちは!今回は伊勢神宮参拝記の様子を書こうと思います。

2025年某日、この一年間、トヨケカミ(豊受大神)アマテルカミ(天照大神)にお守りいただいた感謝をお伝えするため、1年ぶりに伊勢の地に到着したのでした。

早速、伊勢市駅から外宮に向かって歩き始めた途端、美鈴の頭上を大きなアオサギが飛翔していきました。

アオサギ(蒼鷺)
サギ科に属する最大級のサギ類、日本各地の田畑や川辺に生息、魚などを捕食。およそ200万年以上前(更新世)から、現在とほぼ同じ姿で生きていたとされる。
イラストにて再現

あっ!あれはまさしくトヨケカミ!」(トヨケカミアオサギのお姿でお出ましになることが多いです)

アオサギは「とにかく動かない鳥」、時には数十分も獲物を狙って動かないこともあります。

時の境目に立つようなその姿は、世の変遷をじっと見つめておられた、トヨケカミのお姿そのもの。。。

トヨケカミは海辺にもおでましに

トヨケカミの歓迎をありがたく受け取った美鈴は外宮へ向かったのでした。

ここで美鈴はとある変化に気づきました。「ん?」

昨年はここにコンビニあったっけ?昨年より外国人観光客が多い気がするけど気のせいかなぁ?

明らかに伊勢市のインフラがより整備されて、利便性が向上しているような気がするが、、、

首をかしげながら、外宮に到着すると、、、

そこで美鈴は驚愕の事実を目の当たりにします。

「えっ!?明らかに昨年の3倍以上の人がいる」

そう言っている間にも、大型観光バスが次々と外宮にやってくるではありませんか!

外宮の鳥居

「えっ?今日は平日なのに、こ、これは一体どういうことだろう?」

手水舎で身を清めた後、鳥居をくぐりぬけて、いそいそと外宮の参道を歩いていきました。

誠にお喜びのトヨケカミ

道中多くの方々とすれ違いましたが、どなたも幸せそうなお顔なのです。

トヨケカミはさぞお喜びだろう。

早速トヨケカミの御正宮前に行くと、多くの方々がおられました。

トヨケカミ

トヨケカミ真のリーダーの姿はどういうものか?みずからの立ち振る舞いや姿勢でお示しになられたお方。

あらゆる有名氏族の総氏神にあたり、まさに国民を腕にかき抱く父親のようなお方なのです。

早速ご挨拶に伺うと、普段は冷静なトヨケカミも多くの方々の参拝にとても喜んでおられました!

昨年は、あまり感情をお示しにならない御様子でしたが、満面の笑みをたたえておられます。

あのイサコヒメの父、ワカヒメ様の祖父ですから!

改めて深々とお辞儀をして、トヨケカミの御前を失礼したのでした。

伊勢神宮参拝記は続きますが、

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!