伊勢神宮参拝記 外宮編

こんにちは!今回は伊勢神宮参拝記の様子を書こうと思います。

2025年某日、この一年間、トヨケカミ(豊受大神)アマテルカミ(天照大神)にお守りいただいた感謝をお伝えするため、1年ぶりに伊勢の地に到着したのでした。

早速、伊勢市駅から外宮に向かって歩き始めた途端、美鈴の頭上を大きなアオサギが飛翔していきました。

アオサギ(蒼鷺)
サギ科に属する最大級のサギ類、日本各地の田畑や川辺に生息、魚などを捕食。およそ200万年以上前(更新世)から、現在とほぼ同じ姿で生きていたとされる。
イラストにて再現

あっ!あれはまさしくトヨケカミ!」(トヨケカミアオサギのお姿でお出ましになることが多いです)

アオサギは「とにかく動かない鳥」、時には数十分も獲物を狙って動かないこともあります。

時の境目に立つようなその姿は、世の変遷をじっと見つめておられた、トヨケカミのお姿そのもの。。。

トヨケカミは海辺にもおでましに

トヨケカミの歓迎をありがたく受け取った美鈴は外宮へ向かったのでした。

ここで美鈴はとある変化に気づきました。「ん?」

昨年はここにコンビニあったっけ?昨年より外国人観光客が多い気がするけど気のせいかなぁ?

明らかに伊勢市のインフラがより整備されて、利便性が向上しているような気がするが、、、

首をかしげながら、外宮に到着すると、、、

そこで美鈴は驚愕の事実を目の当たりにします。

「えっ!?明らかに昨年の3倍以上の人がいる」

そう言っている間にも、大型観光バスが次々と外宮にやってくるではありませんか!

外宮の鳥居

「えっ?今日は平日なのに、こ、これは一体どういうことだろう?」

手水舎で身を清めた後、鳥居をくぐりぬけて、いそいそと外宮の参道を歩いていきました。

誠にお喜びのトヨケカミ

道中多くの方々とすれ違いましたが、どなたも幸せそうなお顔なのです。

トヨケカミはさぞお喜びだろう。

早速トヨケカミの御正宮前に行くと、多くの方々がおられました。

トヨケカミ

トヨケカミ真のリーダーの姿はどういうものか?みずからの立ち振る舞いや姿勢でお示しになられたお方。

あらゆる有名氏族の総氏神にあたり、まさに国民を腕にかき抱く父親のようなお方なのです。

早速ご挨拶に伺うと、普段は冷静なトヨケカミも多くの方々の参拝にとても喜んでおられました!

昨年は、あまり感情をお示しにならない御様子でしたが、満面の笑みをたたえておられます。

あのイサコヒメの父、ワカヒメ様の祖父ですから!

改めて深々とお辞儀をして、トヨケカミの御前を失礼したのでした。

伊勢神宮参拝記は続きますが、

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

アマテルカミ(天照大神)の真の価値

こんにちは!今日はアマテルカミ(天照大神)の真の価値について考えてみたいと思います。

アマテルカミは歴代のアマカミ(天皇)の中でも、実に70万9千人という膨大な人数のハタレと対峙したアマカミでもありました。

ハタレとはホツマツタエ関連書籍の著者、池田満氏の言葉をお借りすると、

「人々を混乱に陥らせて身ぐるみを剥いでしまおうとする悪辣な者たち」を指します。

それでは、どうして人々がハタレに陥るのか?その心の動きを見ていきます。

ハタレの心のうち

池田氏の著書「ホツマツタエを読み解く」には次のように書かれています。

幸せそうな他人を見るとたぶらかして、その富や幸せを横取りしたいと思う
他人の不幸は蜜の味という減算幸福感が顕著に際立った人達
他人との幸福比べに終始し、他人の幸せを横取りしようという思い

ハタレの集団はこの心の奥底にある不安や畏れから人々をたぶらかして、金品をかすめ取りました。

皆さんはここで挙げた項目を見て、何かお気づきになられたでしょうか?

実は、いずれも【他人】という文字が入っているのです。

つまり不幸の根源とは【他人軸で生きている状態】ではないでしょうか?

他人が考えた価値観、世間一般の価値観や幸せの概念、それがイコール真の幸せであるとは限りません。

多額のお金を得て裕福になるのが幸せという人もいれば、夫婦でほのぼのお茶をすするのが幸せという人もいるでしょう。

つまるところ、真の幸せとは【既成概念に囚われず、本当の自分の価値を見出し、己を真に愛し、認めることで、他者も受け入れられる境地】ではないでしょうか?

結局、他人と比べている状態では、真の自分がおろそかになっている状態なのですから、根底に不安がつきまとうのも無理はありません。

真の幸せに必要なもの:自我の確立

そして、当時のアマカミ(天皇)であられたアマテルカミは、

例え物質的に豊かになったとして、『自我の確立=(アイデンティティ)』なくしては、本来的な幸せの実現は不可能であると、二千年以上も前に悟られたお方なのです。

そして、第三番目のカンタカラ=神器にヤタノカガミを追加しました。

ヤタノカガミには、『全ての人々の心に自立心が育つように』という強い願いが込められています。

『人の真の幸せとは何か?』この壮大なテーマを2千年以上前に悟られていた、これがアマテルカミ(天照大神)の本当の価値であり、

最高神としてお祀りされているゆえんなのだと美鈴は思います。

アマテルカミのすごさを更に解く

繰り返しになりますが、アマテルカミがアマカミ(天皇)というお立場で、冷静に人の心の動きを読み取り、

2千年以上も前に『人の真の幸せ』気づいたことが本当にすごいことなのです。

【本当の自分】、【人としての真の価値】を見抜くとは、自分がその境地にいないと気付けません。

これを仏教における【解脱】、【悟り】と言い換えることもできると思います。

そして、それこそがあらゆる宗教が目指していたゴールではないでしょうか?

主要な宗教・思想における「解脱の概念」一覧

各宗教と照らし合わせるため、この場では解脱という言葉をお借りしましたが、アマテルカミ(天照大神)の思想はあくまでも縄文哲学です。

アマテルカミ(天照大神)の
縄文哲学
自我=(アイデンティティ)の確立ミカクウツワハモトノモリ
ホツマツタエ17-80
仏教 (Buddhism)涅槃(ねはん)(ニルヴァーナ, Nirvāṇa) 解脱 (Vimukti/Mokṣa)煩悩の火が「吹き消された」状態。苦しみと輪廻から完全に解放され、心の究極的な平和を得た境地。
ヒンドゥー教 (Hinduism)モークシャ (Mokṣa) ムクティ (Mukti)輪廻転生 (Samsāra) のサイクルから解放され、個の魂(アートマン)が宇宙の根源(ブラフマン)と合一した永遠の自由の境地。
ジャイナ教 (Jainism)カイヴァリヤ (Kaivalya) モークシャ (Mokṣa)「孤独」「独立」**という意味。魂(ジーヴァ)がカルマの束縛を完全に断ち切り、完全な知識と永遠の至福を得た状態。
ヨガ/サーンキヤ学派カイヴァリヤ (Kaivalya)精神(プルシャ)**が物質(プラクリティ)の働きから完全に分離し、真の自己として独立した状態。

自分の心をチェックする

現代社会は情報が多岐に渡り、何が真実なのか?何が正しいのか?分からなくなることもあると思います。

そんな時には他人軸で生きている状態と、自分軸で生きている状態を比較すると分かりやすいと思います。

ここに一覧に纏めましたので、是非、参考にしていただきたいと思います。

😱 他人軸に囚われている状態 (苦しみの原因)✨ 解脱・悟りの境地 (真の自由)
自分の価値の軸外部にある (他者の評価、実績、世間の基準、組織への貢献度)内側にある (自分の存在そのもの、無条件の自己愛)
感情のサイン心がざわざわする、苦しい、不安、自己否定心の平和、安心感、喜び、満たされている
自己認識「〜でないと価値がない」 (条件付きの愛)「ありのままの自分で良かった」 (無条件の受容)
他者との関係比較、競争、嫉妬、分離(自分と他者を対立)受容、共感、尊重、ワンネス(すべてが繋がっている)
言葉の表現真実の感情を抑え込む、言いたいことを飲み込む真実を愛をもって表現する (健全な自己主張)
苦しみ束縛 (煩悩、執着) の中にいる状態解放 (自由) された状態

結論

以上のことを踏まえまして、美鈴が導き出した結論は、

ホツマツタヱ奉呈文4-5にかけて、以下のように書かれています。

ホツマツタヱ奉呈文4-5
後世のアマカミの治世のお手本とするため、
恐れ多くも、褒めたたえて、
ホツマツタヱの書にしたためました。
これを読んだ人は、どのような強気な者でも
真実の心で出会えた時には、
花が咲く御代となり、春が訪れるだろう。

真実の心と向き合い、本当の自分として生きることはこの上なく幸せであると思います。

だからきっと、「春やきぬらん」なんだと思う、と美鈴は強く感じるのでした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:
ホツマツタヱを読み解く 池田満氏著

アマテルカミ 横須賀にもおでましに?

こんにちは!先日アマノコヤネさんがお出ましになる神社を探していたところ、偶然にもアマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社を見つけたのでご紹介します。

横須賀市長沢に鎮座する天照大神(てんしょうだいじん)です。

天照大神の境内
【御祭神】

大日・貴尊、木花咲夜毘売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大雀命、天児屋命 (神奈川県神社庁ホームページより)

眷属の方のお話では、なんとアマノコヤネさんはこちらの神社にもお出ましになるようです。

「この神社はアマテルカミをお祀りする神社のようですが?アマテルカミもお出ましになられていますか?」と尋ねたところ、

ちゃんとお出ましになるのだそうです。

早速、横須賀の天照大神に参拝に伺うことにしました。

京急久里浜線YRP野比駅からバスに乗るそうですが、歩くことにしました。

汗ばむ中、上り坂を歩くと、立派な社号碑が見えてきました。

実物はかなり大きいです

入り組んだ住宅街の中にあり、ちょっと迷ったのですが、案内の社標のお陰でようやく鳥居に辿り着きました。

小高い丘の上にあり、地元の方に大切にお祀りされている神社のようです。

由緒を伝える石碑があったので読んでみます。(随所略)

【由緒】

当社は天照大神を主祭神とし、口承によれば江戸時代のお伊勢参りの盛んな頃、
里人の三家(げんぜむ、きゅうぜむ、さんぜむ)が長澤のお伊勢山の地に伊勢の御分霊を勧請し、
長沢の鎮守さまとして、奉斎したのがその始まりと伝えられています。

アマテルカミ(天照大神)の御神徳を肌で感じておられる石碑に感銘を受けました。

拝殿横の看板には、

天照大神はいつの時代にも変わりなく、厳然として地域社会に存在しています。そして、毎年繰り返される祭りを通じ、伝統を継承し、社会秩序の安定に寄与し、人の和、地域の和を広げそのきづなを固く、つよくして下さいます。

きっとアマテルカミ(天照大神)の本質を理解されている方が書かれたのだと思います。

以上を踏まえて、早速アマテルカミに参拝したいと思います。

いつものように祝詞を奏上し、日々の感謝をお伝えすると、アマテルカミは神々しいばかりにお出ましになられました。今日はまた一段と光り輝いておられます。

今回は濃紺のお召し物を身にまとっておいででした。いつものようにニコニコ微笑まれています。アマノコヤネさんも嬉しそうに見守っておられます。

深々と一礼をして、御前を失礼しました。

拝殿

神社周辺も気の流れが良く、アマテルカミがお出ましになる神社に共通している特徴ですね。

清々しい気持ちになれる、天照大神(てんしょうだいじん)に是非ご参拝ください。

おまけ

折角なので、参拝後にYRP野比駅周辺を散策する事にしました。

駅から徒歩10分ぐらいになる野比海岸に行ってみました。

ヨコスカの看板が印象的

海岸から房総半島が見渡せました。日暮れ前に帰宅したので見れなかったのですが、夕日も綺麗だそうですよ。

ちょっとした公園もあったので、お子様連れの方も楽しめそうなエリアでした。

それでは今日はこの辺で終わりにします。

最後までお読みいただきありがとうございました!

オキツヒコさんに見る夫婦の教え

こんにちは!今日はホツマツタヱからオキツヒコさんのエピソードをご紹介します。

このオキツヒコさんは一般的には竈神(かみどかみ)=『家庭の火を司り、煮炊きを助ける神』として信仰されているそうです。

では、ホツマツタヱではどのように記載されているのか見ていきたいと思います。

その前に、オキツヒコさんとは誰なのかを説明します。

オキツヒコさん

オキツヒコさんとは

オキツヒコさんソサノヲさんの孫にあたる方です。ニニキネ様コノハナサクヤヒメのエピソードでも出てこられる方ですが、

ニニキネ様アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)ウタを送る際に、勅使に選ばれた方です。

ニニキネ様の側近だったのでしょうね。)

もっと厳密に言うと、ソサノヲさんの6番目の御子、クラムスビさんの息子にあたります。

竈(かまど)の歴史

さて、オキツヒコさんのエピソードに入る前にちょっと竈(かまど)の歴史について触れたいと思います。

ホツマツタヱではミカマト(御竈所)の名称で出てきます。ということは、カミヨ(上古代)の時代に既に竈が存在していたことになります。

煮炊きで食生活が豊かに

カマト(竈)が存在しているのですから、当然カマ(釜)ニステカマ、ナベ・テナベ等、調理具に関する用語が出てきます。

池田満氏によると、カマトに掛けられていた用具は土器であり、考古学の研究に拠れば土器の存在は優に1万年は遡るのだそうです。

実際に神奈川県の下溝遺跡群で頂いたパンフレットには、縄文時代中期(5,500~4,400年前)には煮炊き用貯蔵用の土器が存在し、煮炊きができるようになったことで人々の食生活が安全で豊かになったと書かれています。

4,400年前に煮炊き用の鍋があったならば、アマテルカミの時代(B.C700~500年頃とされる)にはもっと使い勝手の良い鍋になっていたことでしょう。

どうしてミカマト(御竈所)の神になったのか?

それでは、オキツヒコさんのエピソードをホツマツタヱ本文から見ていきたいと思います。

今回は日本の古代文字ヲシテ語で掲載します。

ホツマツタヱ13アヤ 19-22
23アヤ 23-25

以上、ヲシテ本文からの引用です。

現代では使われない言い回し等あるため、随所で分からない箇所もありますが、美鈴なりに訳を考えてみました。

(何分素人の訳文ですので、誤りがある場合は何卒ご了承ください)

あるときオキツヒコさんは妻と仲たがいをし、縁が切れてしまいます。

父のウホトシさんが身内を呼んで、伊勢の宮にてマフツの鏡を覗いてみると、
夫がニステガマを分けて、妻はツクマナベを隠しています。

なんとかよりを戻して欲しいのに、とうとう夫も立ち去ろうとしています。

そこで、父親のクラムスビさんがオキツヒコさんを叱ります。
そして、汚れてしまったニステガマを磨くように言うのでした。


オキツヒコさんは親の言うとおりにして、再び妻とよりを戻します。
めでたく仲睦まじくなった二人はイモヲセ=(夫婦)の道を
守り、諸国を巡りこの逸話を世に知らせます。

アマテルカミはこのことをお褒めになって、
カマトカミの褒め名を与え、汚れてしまったテナベも
磨けば光ると仰せられました。

それで、オキツヒコさんは竈神(かまどかみ)としてお祀りされているという訳なのでした。

上古代のアマカミ(天皇)であられた、アマテルカミ(天照大神)が説いた夫婦のミチを『イセノミチ』と言います。

このオキツヒコさんのエピソードは、アマテルカミが説いたイモヲセのミチが詳細に書かれている、

ホツマツタヱ13アヤに記載がありますので、興味のある方は是非お読みください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

参考図書:池田満氏『ホツマ辞典』

届かぬことを思うなり…

こんにちは!今日は松本善之助氏の著書からアマテルカミ(天照大神)お人柄がよくわかるミコトノリをご紹介します。

ホツマツタヱ本文は「カンカガミヤタノナノアヤ」の章、該当ページは17-11~13になります。

トミタミヤタノカガミ(八咫の鏡)を拝んでいたところ、アマノコヤネさんが謹んで、

アマテルカミ(天照大神)ヤタノカガミの名前の由来を尋ねます。

アマテルカミヤタノカガミの名前の由来を説明し、古来よりアマカミ(天皇)が民を我が子のように慈しみ、教え育ててきたお話をされます。

では、早速アマテルカミのお人柄が分かる該当箇所を松本氏の書き下し文から見ていきます。

ホツマツタヱ 17アヤ11~13
むかし、神がお作りになったトホコ=(二種の神器のトとホコ)を、

イサナギ・イサナミ両神がお受けになり、それをいま私(アマテルカミ)が授かった。

トはアメナルミチの極意書で、タマはこの表徴であり、ホコはこのミチに反逆した者を

罰する重器である。ト(タマ)の心により、両神は民をわが子のように育て、厚く教えてきた。

私も及ばずながら努力してきた。しかしアメナルミチを行ずることは至難であり、

神の御加護を懸命に乞いつつ努力しているが、これでいいとはとても云えぬ。

まだまだ不十分と思うばかりである。

三種の神器のひとつヤタノカガミ

アマテルカミはカンタカラ(神器)カガミを加えたアマカミ(天皇)でもあります。

鏡は普通の状態の逆を映し出し、右が左、左が右となります。

そのため明暗、正誤を見分け、普段は見えにくい邪(よこしま)な部分を早期発見し、

人の心を健康に保つためにミクサタカラ(三種の神器)に加えられました。

(池田満氏 ホツマ辞典より)

これは、アマテルカミがオシホミミ様に三種の神器を伝授された時も、

「(八咫鏡に)汝の本当の姿が映し出されるでしょう。その姿がアメナルミチに適しているかどうか、

じっくり反省しなさい」と述べていることからも分かります。

アマテルカミ自らを振り返る

これは松本善之助氏も述べていますが、これはアマテルカミの謙虚さを窺い知る大切な下りです。

アマテルカミは国家の最高指導者でありながら、常に内省をしておられたことが分かります。

アマテルカミ

今で言うところの、瞑想みたいなこともよくされたそうです。(眷属の方談)

ここで大事なことはアマテルカミ精神的に自立した立派な人柄であり、

何かうまく行かないことがあっても、他者や外的要因のせいにしないで、

自らを省みるお方だったということです。

正真正銘の指導者に求められる素質

アマテルカミミコトノリから実に多くのことを学ぶことができます。

アマテルカミは国家の最高指導者でした。つまり、富や権力は全て持っておられたのです。

人は権力を持つと、過度の自信やメタ認知=(自分を客観視する能力)の低下により、自己評価が過大になりがちです。

そのため「自分の意見がもっとも正しい」といった誤認が生じやすくなります。

トップの立場におられるアマテルカミが謙虚に内省できる方だったというのは、

実はとても凄いことなのです。

これはトヨケカミ(豊受大神)の教育の賜物でもあるし、ご本人が持って生まれた性質もあったのでしょう。

そして、クニトコタチのトコヨクニ=(旧日本の国号)建国以来、代々のアマカミ(天皇)に受け継がれてきたミチでもありました。

自分を振り返る

美鈴も今より精神的に幼い時は誤りを認めるのは難しく、つい自己弁護をしてしまう時もありました。

しかし、悪いと思ったことは素直に認めて反省するように日々努力しています。

本当に器に広い人というのは、とっさの時にも、自らを正し、常に自分の心を見つめて、

問題解決に勤しみ、自己成長を怠らない姿を周囲に見せるのだと改めて思いました!

それでは今日はこの辺で終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

アマノコヤネさんがこちらに? 神奈川県厚木市 春日神社

こんにちは!今日は神奈川県厚木市に鎮座する春日神社をご紹介します。

神社庁のホームページをみると「春日さま」と書かれています。

春日さまといったらアマノコヤネさんのことなのですが、(理由は前回も書いたとおり、カスガマロというお名前だからです)

アマノコヤネさん

神社庁のホームページには社殿の写真も掲載されていないので、

美鈴:「ほ、本当にこの神社におでましになるのですか???」

眷属の方:「本当だ」

「うーん」眷属の方がそうおっしゃるので、早速、春日神社に伺うことにしました。

稲穂のコントラストが綺麗

春日神社へ

小雨が降りしきる中、本厚木の市街地から離れたところまで歩くと、自然豊かな場所にでました。

御祭神はこういう里山風の場所がお好きなのだろうか、、、

春日神社 外観

春日神社に来る途中はひとけが無くておっかなびっくりでした。神社手前に竹林があり、思わず眷属の方に

「み、見るからに蚊に刺される可能性大なんですけど、大丈夫ですか???」と

思わず聞いてしまいました。(蚊にはさされませんでした)

春日神社 鳥居

坂を上り切った正面左手が入口らしいです。境内に入ると穏やかなエネルギーが流れています。

小雨がぱらついてきましたが、参道にすすみます。

拝殿横の看板には以下のように書かれていました。

御祭神:武甕槌命、天児屋根命、木花咲耶姫命

由緒:1415年(室町時代)に勧請、1706年(江戸時代)の再興の棟札に神主奥田清正と載す今其の子孫村民にて当社の鍵を預かれり

アマノコヤネさんに参拝

早速、拝殿前で祝詞を奏上します。この国の発展にご尽力くださったこと、長年この国の行く末を見守って下さった御礼をお伝えすると、

アマノコヤネさんはちゃんとお出ましになられました。御魂もちゃんと写っています。

春日神社 拝殿

池田満氏の著書には、アマノコヤネさんは御母上のアサカヒメの体を受け継いだ偉丈夫な体と書かれてありましたが、背丈は中肉中背のお方でした。

確かに整った外見ではありますが、見るからにクシヒコさんフトタマさんのような為政者といった感じです。

オホナムチさんは華やかでどちらかと言えば、「企業家」「経営者」に近い方だと思いました。

アマノコヤネさん「実直」、「堅実」な方で、「無駄に税金は使いません」みたいな倹約家のオーラが出ています。

そして、これはちょっとびっくりしたのですが、アマノコヤネさんはただただ泣かれるだけで何もお話にならないのです。

「ど、どうしよう、、、」と美鈴も立ちすくんでしまったのですが、ビジョンを介してやり取りができました。

アマテルカミの素晴らしさ

アマノコヤネさんアマテルカミ(天照大神)への思い入れがお強いらしく、

大神の素晴らしさをビジョンで教えて下さったのです。

大神は率先して臣下にへりくだるので、周囲は感動して付き従ってしまうのだそうです。

アマテルカミ

普通は目下の人がまず先に上の立場の人に敬意を示し、目上の人が目下の人に目をかけると思うのですが、

アマテルカミは目上の立場にいるご自身がまず先に、目下の人を慈しむ姿勢を示すのだそうです。

そうやって人々を大切にするので、「このお方が喜ぶことは何でもして差し上げたい」と思ってしまうのだそうです。

たしかに、一国の最高指導者がそんな態度を示したら、誰だって感動してしまいます。

アマノコヤネさんは何も語らずとも、大切なことを教えて下さいました。

改めて深い御礼をお伝えして、アマノコヤネさんの御前を後にしたのでした。

藤原氏の祖神であり、このお方から数多くの歴史上の偉人が誕生しました。

そして、その多くが既に世を去り、ご本人は御魂を今にとどめておられるという非常にびっくりな状態であります。

お近くの方は是非、春日神社にご参拝ください

最後までお読みいただきありがとうございました!

夏空に舞う妖艶な蝶

こんにちは!先日鹿島神宮に参拝した時にとても美しいアゲハ蝶を見ました。

鹿島神宮の鎮守の森は、太古の昔より原生に近い生態系が保たれている日本でも数少ない貴重な社叢です。

丁度、アゲハ蝶の繁殖の時期だったので、頻繁に見かけたというのもあるのですが、

このアゲハ蝶を見ると、あるお方を思い出します。

鹿島神宮の湧水近くでみかけたモンキアゲハ

それが日本の大氏族、藤原氏の先祖、アマノコヤネさんです。

どういう訳かアマノコヤネさんに縁の場所に行くとアゲハ蝶を見ることが多いです。

境内社:春日神社

昨年の夏、伊勢原大神宮の境内社、春日神社の周りにもアゲハ蝶が飛んでいました。

アマノコヤネさんをお祀りしているところをみると、

伊勢原大神宮の方はアマノコヤネさんの子孫かもしれません)

眷属の方のお話によると、アマノコヤネさんは蝶々がお好きだったようです。

神秘的な昆虫:蝶々

蝶々はとても神秘的で、わずか1年で三~四世代と猛スピードで世代交代する昆虫です。

羽化して成虫になる頃には、既に一生の大半を終えています。

ミヤマカラスアゲハ

外敵に襲われるリスクから、鳥は一瞬で交尾を終えますが、蝶は外敵に襲われるリスクを負っても長時間かけて交尾を行います。

これは1回の交尾で確実に子孫を残すためです。

たった一度のチャンスに命をかけて子孫を残そうとする姿は、どこか心打たれるものがあります。

アマノコヤネさんもそんなひたむきな蝶々がお好きだったのではないでしょうか?

そして、不死・再生の象徴である蝶は桓武平氏の家紋として広く用いられました。

平家の家紋

藤原氏の先祖 アマノコヤネさん

アマノコヤネさんは以前にもご紹介したとおり、ヒタカミの名家タカミムスビの出身で、イミナワカヒコといいます。

ちなみにトヨケカミ(豊受大神)の曾孫(ひまご)にあたります。

御父上のココトムスビさんナカクニ(今の近畿地方)クニカミ(国司)に任命されたため、

アマテルカミ(天照大神)よりカスガトノの名を賜ったので、カスガマロと呼ばれます。

カスガというのは、恐らく悪を正すという意味なのでしょう。

カスガ:
「カ」=明るいこと、正しいこと
「ス(ル)」=為る、擦る、磨る、剃る
「ガ」=暗いこと、悪いこと
■出典:ホツマ辞典 池田満氏著

アマノコヤネさんの子孫は代々アマカミをお支えするカガミノトミ(左の臣)に任じられてゆきます。

アマノコヤネさんはどちらに?

伊勢原大神宮でわずかにアマノコヤネさんと繋がれたものの、はっきりとはお会いできませんでした。

ナミアゲハ

アマノコヤネさんに是非お会いしたいと思って、テレパシーを投げかけてみます。

でも、まったく返事が返ってきません。これはニニキネ様の時と一緒です。

もう少し範囲を広めてテレパシーを送ってみても、なしのつぶてです。

しかし、鹿島神宮参拝後にようやくアマノコヤネさんのテレパシーを受け取ることができたのです。

というのも、カシマカミ(タケミカツチさん)アマノコヤネさんは結びつきは深く、

カシマカミアマノコヤネさんにお会いできるように取り計らってくれたようです。

ちなみに義父娘婿の関係なので、アマノコヤネさんカシマカミを尊敬しておいでなのです。

アマノコヤネさんに会える神社

さて、例によって神代の時代に詳しい眷属の方にお尋ねします。

アマノコヤネさんは麗しい外見のお方らしい

「アマノコヤネさんにお会いできる神社はありますか?」と尋ねると、

神奈川県にいくつかあることが分かりました。

「では、はっきりお会いできる神社を教えて下さい」と尋ねてみます。

眷属の方はとある神社を教えてくださったのですが、

「ええっー!ほ、本当にその神社におでましになるのですか?」

と思わず、美鈴は唸ってしまうのでした。

さて、その神社とは?

アマノコヤネさんの参拝エピソードは次回ご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ~ニニキネ様即位のミコトノリ~(後編)

こんにちは!今日は前回に引き続きアマテルカミのミコトノリを見てきたいと思います。

いつものように松本善之助氏の著書より引用させていただきます。

ホツマツタエ24アヤ10~18頁
一方、ツルギヲミがしゃんとせず、その末裔がヨタヨタしていては、
輩下のモノノベは仲間割れをし、世を奪われるような羽目に遭うのは必定です。

カガミヲミの役目は、穀物を背負って、営々として働くタミの日常がうまくゆくように
仕組みづくりを行い、心を配ることです。

ツルギヲミの役目は、不心得者を罰し、モノノベの力をもりたてることです。
このようにタカラモノをミクサに分けて授けるのは、
長くこの国が一体であるように願うからに他なりません。

大神はこう仰って、経世の文章が書かれている宝典を、お手ずから御孫ニニキネ様に
授けられた。

正妃セオリツヒメは、ミカガミをカスガに、ツ(西)ノスケキサキのハヤアキツヒメは、
ミツルギをコモリに賜った。
両大臣は深々と三度礼拝をし、恐懼して宝典を受け取った。

以上となります。松本氏がとても分かりやすく解釈を付けて下さったので、詳しい説明は省略します。

さて、ここまでアマテルカミミコトノリをご紹介しました。

あまり気の利いたことは書けませんが、

上古代の日本の最高指導者でありながら、決して驕り高ぶらず、常に謙虚な心を忘れないで、

民に恵み与えようとされていた姿勢が文面から伝わります。

アマテルカミ

そして、左右の臣、カスガとはアマノコヤネさんのことであり、コモリとはクシヒコさんの息子のコモリカミのことです。

このお二方はアマテルカミの薫育を受けた方で、寸暇を惜しんでは人々の指導にあたられていました。

最高指導者が優秀ならば、側近の方々も優秀だったのですね。

補足

前編のミコトノリにも書かれていた、カガミヲミというのはミクサタカラカガミを預かる左の臣のことで、ツルギヲミとは、ヤヘカキノツルギを預かる右の臣のことです。

モノノベは軍事・警察を司る役職でツルギヲミの管轄でした。

セオリツヒメとはアマテルカミ正妃ムカツヒメのことであり、ハヤアキツヒメとはカナサキさん(スミヨシとも呼ばれる)の娘で、アマテルカミとの間にアマツヒコネさんを儲けています。

ハヤアキツヒメ(アキコヒメ)

特筆すべき箇所

ここで大切なことは、トノヲシテアマカミが拝持し、左右の大臣が、ミクサタカラカガミとツルギを拝持したということです。

松本善之助氏も述べているように、立法、司法、行政の三権分立がわが国の古代政治(アマテルカミの治世はB.C.700~500年頃と推定)においても、独自の三鼎(みつがなえ)法によって成立していたことがホツマツタエから明らかになったことです。

このトノヲシテ(=恵民立国の精神)古代文字ヲシテにも表れています。

ヲシテ文字の『ト』

奥が深いヲシテ文字

ヲシテ文字の『ト』は上記のように書くのですが、Y(子音:t音)口(母音:ハニ)が重なり合っています。

ヲシテ文字(日本の古代文字)はこの母音と子音の組み合わせで成り立っているのですが、

この口はハニ=(土から水分を取り除いた状態)を意味しており、クニタマ(=地球)クニ(=国)という意味もあります。

そして、Yの上部のVがアマカミが天の恵みを両手を伸ばして受け取る様を表し、下の縦棒は国家の中心のアマカミ(天皇)を表しています。

つまり、国家の中心のアマカミがアメの恵みを受け、国民にあまねく分かち及ぼす形になっています。

ヲシテ文字の詳細については、池田満氏『ヲシテ 増補版 上下巻』をご参照ください。

上古代の人々は建国理念(=恵民立国の精神はヲシテ文字にも表れていたのです。

ヲシテ文字の奥深さは池田満氏著『ホツマ日本の歴史物語1 アワウタの秘密』にも書かれていますので、合わせてお読みください。

こうして、私たちが歴史から忘れ去られた尊いアマテルカミのミコトノリを読むことができるのは、遥か上古代より何世代にもわたって書き留めて下さった方々のお陰です。

分る範囲で申し訳ないのですが、ホツマツタヱの写本、研究、保管して下さった方々の名を以下に挙げます。

クシミカタマさんホツマツタヱ1~28アヤ編者クシヒコさんの曾孫
オホタタネコさんホツマツタヱ29~40アヤ編者クシヒコさんの7世孫
和邇估容聰さんホツマツタヱ/ミカサフミ/フトマニ翻訳クシミカタマさん78世の子孫
小笠原通当さん神代巻秀真政伝 出版赤左京二条坐神社神主 (清和天皇の後裔)
小笠原長弘さんホツマツタヱ奉呈文筆者赤間宮宮司
野々村立蔵さんミカサフミ/フトマニを購入式内水尾神社の社掌(神職)
正木昇之介さん秀真伝 二. 私考執筆宮城控訴院検事
松本善之助さん現代用語の基礎知識 編集長古本屋で秀真伝を発見
池田満さんホツマツタヱ原本保持ホツマツタヱを長年研究

ホツマツタヱ和邇估容聰さん→三尾社→小笠原通当さんに伝わり、

ミカサフミ・フトマニ和邇估容聰さん→野々村家→小笠原長弘さんが謄写し、小笠原家へと伝わったようです。

小笠原通当さん、アマテルカミの貴重なミコトノリが書かれた秘伝の書を、

本当にありがとうございます

→小笠原長弘さんが原本の他に複写を保持されていたため、松本氏の手に渡りました。

何世代にも渡り、書き写されてきたホツマツタヱの内容と、美鈴が実際にお会いしたアマテルカミやクシヒコさんの人柄が文献の内容とほぼ一致していたという

多少の誤記や写し間違いがあったにせよ、概ね正しく内容が書き写されてきたのでしょう。

そしてアマテルカミの尊いミコトノリを現代においても読めるのはひとえにこの方々のお陰なのです。

本当にありがとうございます。(深々と拝礼)

ご興味ある方は是非ホツマツタヱ関連本をお読みください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考図書:
秘められた日本古代史(続)ホツマツタヱ 松本善之助氏著
ホツマ辞典 池田満氏著
ヲシテ 増補版 上巻 池田満氏・辻 公則氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ~ニニキネ様即位のミコトノリ~

こんにちは!今日は皇孫ニニキネ様即位の際に出されたアマテルカミ(天照大神)ミコトノリをご紹介します。

以前に一部を紹介していますが、今回は全文での紹介です。

いつものように松本善之助氏の著書から抜粋します。

アマテルカミ(天照大神)ミコトノリを読むことが、アメナルミチを真に理解する近道であると思いますし、

ヤマトタケさんのアメナルミチを後代に伝えたい意図を知ることにも繋がりますので、是非お読みください。

美鈴がアマテルカミのミコトノリを読んで感じることは、

ということです。

そして、このヲシテ文字で書かれたフミはアマテルカミご自身が『ヲシデは温かい心の贈り物です』と語っておられるとおり、

先代アマカミから連綿と後代へ受け継がれた愛情のこもったお文でもあります。

それでは早速見ていきたいと思います。

ニニキネ様即位の際のミコトノリ

はじめに、松本善之助氏が書かれた書き下し文から見ていきます。

ホツマツタヱ24アヤ10頁
アマテルカミ(天照大神)は、尊いアメナルミチの極意を書いた御文を、皇孫ニニキネ様に賜り、
そして、ミカガミをコヤネに、ミツルギをコモリに授けた。
そこで、大神は次のように仰せられた。

『先にミクサのタカラモノを我が子オシヒトに授けたが、
このミクサはオシヒトから汝の兄ホノアカリに譲られてはいない』

その時、左右に侍る大臣はフトタマとカクヤマでした。

そこで今、汝に直接ミクサのタカラモノを授けようと思います。
左に侍る大臣はコヤネ、右はコモリです。
国がうまくゆくには、キミとトミとタミとの心が、ひとつになることです。

仮に日の光を体一杯湛えた鳥が居たとします。
その胴体をタミに見立てます。首はキミです。
カガミとツルギの両大臣は左右の羽、足はモノノベです。
この各々がバラバラに動いたのでは、鳥は到底満足には飛べないでしょう。
だから、心一つになるのは、何にもまして大事なことです。

カガミヲミがしっかりせず、その子孫が滅んでしまえば、
タミの心は離れるに決まっています。
そうなれば、キミは御位につくことができません。

では、前編は一旦ここで区切りたいと思います。

アマテルカミキミ(君)・トミ(臣)・タミ(民)が一つになることの重要さを語られるミコトノリです。

鳥は日本国のモノザネ

アマテルカミキミ(君)・トミ(臣)・タミ(民)を一羽の鳥に見立てています。

というのも、鳥はト=(トノヲシテ)、リ=(有)に通じることから、日本国のモノザネとされていました。

このモノザネとは、『目に見えないものを目に見える形に表現すること』です。

鳥の体の部分が同じ方向を向くことで真っすぐ飛ぶことができますが、

各部位がケガしていたり、よそ見をしていると鳥はまっすぐ飛ぶことができません。

そのため、心を一つにすることの大切さをアマテルカミは述べています。

二のこころ

とはいうものの、心を一つにすることはなかなか難しいことでもあります。

お互いの意見が合わないこともありますし、相手が聞く耳を持たないこともあるでしょう。

晩年のアマテルカミ

アマテルカミが常に大切にされていたのが、『二のこころ』です。

『ニ』成ってゆくこころ、相手をいつくしむこころを意味します。

お互いの足りない部分を補う、サポートし合う、庇い合うも『二のこころ』に通じます。

お互いの足りない部分を非難するより、足りない部分を補い合う方が物事がより発展する気がします。

アマテルカミもこの『ニのこころ』を曇らさないために毎朝『アワウタ』を朗誦されていたそうです。

上の立場の者が下を慈しむのは感動を呼びますが、実践するのはなかなか難しいものです。

アマテルカミのミコトノリを読んで、深く心に落とし込んでいきたいと思うばかりです。

前編は以上となります、最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書
秘められた日本古代史『ホツマツタヱ』:松本善之助氏著
ホツマ日本の歴史物語1 『アワウタの秘密』:池田満氏著

カシマカミにご参拝(後編)~知られざる鹿島神宮の魅力~

今回は前回に引き続き鹿島神宮のお話です。特に天然記念物に指定されている『鹿島神宮の森』の魅力を中心にご紹介します。

奥宮と有名な『要石(かなめいし)』はこの鹿島神宮の森(鎮守の森)の奥にあるとのことなので、早速行ってみることにしました。

境内案内

20万坪に及ぶ敷地に800種を超える草木が生育とパンフレットに書かれています。

美鈴は日本各地に存在する有名神社には行っているのですが、こちらの鎮守の森は特にすごいと思いました。

多くの鎮守の森はその地に存在する森に職人さんの手が加わり、壮麗な景観が保たれているのですが、

入り口付近から撮影

こちらの鎮守の森は、それこそ『カシマカミ御在所時のまま残されてきたのでは?』と思うくらい『原生』に近い状態なのです。

かつ御神域なので、スピリチュアル的な明るさと波動の高さがまさに格別。この森は必見の価値があります。

(夏場は蜂も飛んでいますので、虫よけと日よけ対策がおすすめです)

奥宮にご参拝

さて、奥参道を進むと奥宮があります。御祭神は武甕槌大神荒魂となっています。

丁寧にご挨拶して、再度お招きいただいた御礼をお伝えします。こちらでもカシマカミの温かい歓迎のエネルギーを感じることができました。

誠にお喜びの御様子

要石『かなめいし』

奥宮を右手に行くと要石(かなめいし)があります。この要石タケミカツチさん(ちなみにイミナヒサヒコといいます)が地震を鎮めるために据えたものです。

要石を祀る

この要石はヲシテ文献ミカサフミ(編者:初代伊勢神宮神主クニナヅ・オホカシマ)に記載があります。

池田満氏著『新訂ミカサフミ・フトマニ』を参考にして書き下し文を書いてみました。(何分素人ですので、誤りがある可能性はご容赦ください)

ミカサフミ 1章21節

ミカサフミの写本は琵琶湖西北岸:高島町野々村家の土蔵に保管されていました。

保管されていた写本に要石のことまで書かれていたのですから、本当に驚くべきことです。

必見の禊の池:御手洗池(みたらしいけ)

案内板を見てみると、奥宮を左手に御手洗池があるとのことで、早速行ってみることにしました。

案内板

長いスロープを下っていくとお茶屋さん『湧水茶屋 一休』があり、その向かいに御手洗池があります。

ちなみにこのお茶屋さんは御手洗池の清水を使っているそうです。

冷やしぜんざいを頂きました
御手洗池

古くから神職や参拝者の潔斎の池で、神代の時代に御祭神(タケミカツチさん)が天曲弓で掘られた際に、一夜にして湧水したそうです。

タケミカツチさんが直々にこの池を掘られたのか~』と感動しました。それにしても、一夜にして湧水させてしまうとは、、、

こちらの湧き水は持ち帰ることもできます。(飲用の際は必ず煮沸との注意書き有り)

御手洗池口鳥居

東日本大震災より9年と5か月の時を経て竣工となったと鹿島神宮のホームページに記載がありました。

震災で大鳥居と御手洗池口鳥居が倒壊したそうですが、その他に甚大な被害はなかったそうです。

とても素敵な鳥居だったので、思わず撮影しました。

カシマカミご自慢の鳥居なのだろうか

さて、今回はカシマカミご自慢の鎮守の森をはじめ、主要な見学ポイントをご紹介しました。

記事に掲載しきれない見どころも沢山ありますので、是非足を運んでみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマ辞典』/『新訂ミカサフミ・フトマニ』 池田満氏著