アマテルカミの治世 ~イセノミチ~

こんにちは、今日はアマテルカミの治世~イセノミチ~という題名で、

アマテルカミ(天照大神)の行った政策の一つイセノミチについて纏めてみたいと思います。

イセノミチとは、トツギノミチを源流として進化したミチであり、男女関係にとどまらず、

家族制度の規定も詳細に定められたミチのことです。

トツギノミチ ~一夫一妻制度のはじまり~

では、一夫一妻制度はいつ頃から始まったのでしょうか。

稲作が本格的に開始される前は郡婚時代とされ、特定の夫、妻を持たない時代でした。

稲作の本格的な開始に伴い、第四代アマカミウビチニ・スビチニ様

トツギの儀式を行ったことにより、全国的に一夫一妻制度が広がります。

稲作が本格的に開始された具体的な時代は不明ですが、縄文時代後期~晩期、または弥生時代初期とされています。

イセノミチの基本構造

イセノミチは男女を太陽と月に見立てた考えに基づいていました。

この構造を縄文時代当時の社会面でみると、太陽は外側を周るため、家の外の仕事を担当し、

月は内側を周るので、家の内の仕事を担うのが良しとされました。

家の中の仕事と言っても、家族の衣服をつくるにしても、当時は草木の繊維を煮さらして

糸を作り出していたため、大変な重労働でした。

余談ですが、約1万年前には、日本列島で植物の繊維を利用して衣服や袋などを作る技術がすでに存在していました。

福井県鳥浜貝塚で約1万~1万2千年頃の衣服の素材と考えられる繊維や編み物が発見されている)

ということは、アマテルカミの治世ではかなり織物技術も進んでいたことでしょう。

ここで大切なのが、男性は外の仕事、女性は内の仕事が中心ではあっても、

男女の性別の差はわずかであって本来ヒトとして生まれたものは同一という考え方でした。

これは『ホツマツタヱ』13-8アヤに該当箇所があります。

男も女も人としては本来同一であり、タマとシヰとの根本構造に変化はない。

ヒトとして形成される際にヲ(陽)がメ(陰)を先に包んだのか、メがヲを先に包んだのかの差によって

性別の変化が生じるだけのことである。

男も女もヒトはすべて、ひとりひとりが大宇宙の縮図としての小宇宙である。

イエ制度のはじまり

ホツマツタヱ13アヤイセノミチの詳細が書かれていますが、

戦前まで続いていたイエ制度は既に、アマテルカミ(天照大神)の時代から始まっていたようです。

概要だけ説明すると、

  • 当主の長男が後継となり、適任者がいない場合は弟が選ばれる
  • 見識の高い人物をナカハシ(仲人)とし、良い将来が期待できる女性をメアハセる。
  • 実家の実父母より、婚家の儀父母を大切に扱う。
  • 世継ぎ子を望めない場合は財産に応じて、メカケや養子を迎えることも良しとされた。

ここで、メカケを持つことにたいし、複雑に思われた方もおられるかもしれません。

これは、水田稲作が普及した当時において「家を存続させる」ことが、

人々の幸せにつながるという社会構造の中で生まれた制度でした。

また、朝廷が暦を提供する代わりにミツホ(租税)が献上され、それを基に国家運営を行っていたため

必然的な制度であったとも言えます。

現代においては、家よりも個人の意思や権利が尊重されるようになったため、

同じような制度は必要とされなくなりました。

イセノミチは時代と共に移り変わってゆくものでありましたが、

戦前までこのイエ制度が残っていた、そしてアマテルカミの治世から取り入れられていた

制度だったというのは注目されます。

そして、『男も女も性別の差はわずかなものであって、

ひとりひとりが大宇宙の縮図としての小宇宙である。』という考えは不変であり、

アマテルカミの治世当時の考えであったことも、強調しておきたいと思います。

それでは、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

アマテルカミ(天照大神)東京の中心にお出ましに 東京都千代田区 東京大神宮

アマテルカミ(天照大神)が東京の中心にお出ましになっていると眷属の方に聞いたので、

早速、参拝に伺うことにしました。

JR飯田橋駅を降りて、ビル街を抜けていくと都心の一角に鳥居が見えてきました。

飯田橋は江戸城の外濠も近くにあり、歴史の面影を感じられる街です。

この神社にアマテルカミがお出ましになっているというのです。

鳥居

東京のお伊勢さま

東京大神宮といえば、東京のお伊勢さまで有名ですが、日本で初めて神前結婚式を執り行った神社だそうです。

案内板に由緒が書かれていました。

社殿は、切妻(屋根が三角形の形)・妻入り(建物の妻側を正面入り口とすること)の形式を取り入れています。

陽光を受けた社殿

また、拝殿には向拝(社殿の正面に突き出した屋根付きのひさし)があり、

より多くの参拝者が参拝しやすく、雨の日も参拝しやすい近代的な要素を取り入れた作りになっています。

アマテルカミ(天照大神)にご参拝

手水舎で手を清めて、早速拝殿に向かいました。

東京大神宮 拝殿

既に参拝者の方がおられたので、一番後ろに並んで待っていました。

美鈴の順番になり、前に進み出て静かに手を合わせてお祈りすると、

突然、拝殿前に誰もいなくなってしまいました。

すると、サーと拝殿奥から風が吹き抜けて、アマテルカミ(天照大神)が、

トヨケカミ(豊受大神)とご一緒にお出ましになられました。

正装でお出ましになられた

この国の発展にご尽力いただいた御礼と感謝をお伝えすると、

サーっと払ってくださいました。

いつものように、あまりにも勿体なく、畏れ多く、有難い気持ちになりました。

深々とお辞儀をしてその場を退出したのでした。

光溢れる境内

アマテルカミはとても祓う力が強いので、

境内の腰掛けで一休みしてから帰りました。

境内には綺麗なお花や樹木があり、都会のオアシスのような雰囲気でした。

アマテルカミとトヨケカミがお出ましになる東京大神宮、

お近くの方は是非お参りください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

目黒の意外な名前の由来 東京都目黒区 大鳥神社

こんにちは!先日、池田満氏ヤマトタケさん(日本武尊)のお話を読んでいたら、

東京都目黒区現:大鳥神社の地にヲシロワケスヘラギ(景行天皇)が訪れたとありましたので、

行ってみることにしました。

景行天皇が東国に行幸された背景

次期スヘラギ(天皇)候補であった、ヤマトタケさん(日本武尊)は、

若くして早世されたので、ヲシロワケスヘラギ(景行天皇)は大変悲しみます。

しかし、ヤマトタケさんの意思を継いで、国書の編纂に取り掛かります。

完成したのが、『ホツマ ツタヱ』『ミカサ フミ』『カク ミハタ』です。

お若い頃のヲシロワケスヘラギ

国書を完成させた後、亡きヤマトタケさんを回顧して、東国への行幸に向かいます。

東国入りしたスヘラギを出迎えたのが、サクラネマシさんホツミテシさんでした。

このお二人は、ヤマトタケさんの妃:ヲトタチバナヒメの親族で、

お二人の住まいが今の目黒の地にあったそうです。

武蔵国と目黒の地名の由来

この多摩川の付近にトラカシワという方が住んでいました。

この方は、ヤマトタケさん御一行が多摩川に立ち寄られた際に、

誰かが落とした鐙(あぶみ:乗馬の際に足を乗せる馬具のことに、

カグの実をさして届けてくれた方です。

拾った鐙をただ届けるだけでなく、カグの実を生け花みたいに挿してくれた、

トラカシワさんの気遣いにヤマトタケさんはちゃんと答えます。

ヤマトタケさんは、ミサシ(実挿し)クニと名付けます。

鐙に飾ったカグの実

ミサシクニがのちに武蔵国(むさしこく)となったそうです。

そして、ヲシロワケスヘラギ行幸の際には、トラカシワさんは、

榊の枝から人形を作ってくれました。

黒い瞳が生き生きとして、ヤマトタケさんが生きているようだったので、

ホツミテシさんとサクラネマシさんの館をメクロ(目黒)の館と名付けたのでした。

さて、以上を踏まえて大鳥神社にご参拝に向かいます。

ヤマトタケさんにご参拝

御祭神日本武尊、弟橘媛、国常立尊と書かれています。

目黒ヤマトタケさん、ヲシロワケスヘラギ(景行天皇)お立ち寄りの地ですが、

今となっては大都会の一角を成す街となっています。

大鳥神社の鳥居

お正月の清々しい気で満ちた鳥居前にやってきました。

ヤマトタケさんは美鈴の参拝を待っておられたようで、

到着した途端、歓迎していただきました。

ヲトタチバナヒメもご一緒でした。とても美しい方でした。

ヲトタチバナヒメヤマトタケさんより一つ年上、ヤマトタケさんとの間に7人の御子をもうけられた)

ヤマトタケさんとヲトタチバナヒメ

お二人とも美鈴に話しかけることはありませんでしたが、とても歓迎してくださいました。

ヤマトタケさん寒田神社でお会いした時は、ちょっとお疲れに見えたのですが、

すっかりお元気なご様子でした。

(というか、お会いした時は時代的に大変でしたという感じでした)

ヤマトタケさんの切実な祈りは数多く建てられた社が物語っている気がします。

大鳥神社 拝殿

ホツマとは、『まことの中のまこと』という意味なのですが、

美鈴は『本物の中の本物』とも思っていて、

ヤマトタケさんもこのホツマに値する方と思っております。

御神木

ヤマトタケさんに再度お礼をお伝えして、大鳥神社を後にしたのでした。

余談ですが、トラカシワさんという方は多摩川沿いに住んでおられたそうで、

トラカシワさんの村をヤマトタケさんが『タマガワアブミ』と命名されたそうです。

そのタマガワアブミの地が現在の東京都調布市 虎柏神社付近とのことです。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

ヲシテ文献にみる自然界の5大基本要素

こんにちは!今日はヲシテ文献(漢字が導入される前に使われていた古代文字)で書かれた、

ホツマツタヱに出てくる、自然にまつわる言葉について書きたいと思います。

では、まずホツマツタヱ本文から見ていきたいと思います。

ホツマツタヱ 18-10

ホツマツタヱ 18-10

この文は、「ウツホ、カゼ、ホ、ミヅ、ハニがバランスよく混ざり

ミナカヌシ(=人類第一号)が発生した」と書かれています。

では、それぞれどういう意味なのでしょうか?以下の表にまとめたのでご覧ください。

ハニという言葉は、一見すると?と思ってしまいますが、

現代日本語では土が乾いていても、湿っていてもです。

なので、厳密に言うと土壌の固層でしょうか。

表の右側に書かれている「ヲ」「陽」「メ」「陰」を意味します。

ウツホ・ホ・カゼのは軽いが集まって「ヒ(太陽)」となり、

ミヅハニは重たいが集まって「ツキ(月)」となったと

(ミカサフミ120頁参照

この5大基本要素が大宇宙の生成に深く関わっていたとミカサフミに書かれています。

自然神として祀られたカミ

この5大要素を擬人化して、祀られたカミが存在します。

皆さんもご存じかと思いますが、

ミヅを擬人化したミヅハノメハニを擬人化したハニヤスメ

いずれもメ(陰)であるため、女性カミです。

丹生川上神社

ミヅハノメを祀る代表的な神社が奈良県吉野郡に鎮座する丹生川上神社であり、

主祭神罔象女神(ミヅハノメ)となっています。

ミズハノメ:あくまでイメージです

ヲシテ文字を漢字に当てはめるとどうなるか?

ホツマツタヱ関連著書の池田氏はヲシテ文献に出てくる言葉を漢字に当てはめるのは、

オリジナルの正しい意味から乖離してしまうと述べています。

例えば、ヲシテ文献に出てくる「ウツホ」「空」という漢字に当てはめてしまうと、

本来のウツホが持つ「気体」の意味が伝わらなくなります。

これは翻訳につきまとう問題です。

英語で説明するのが適切かは分かりませんが、

例えば「空」でも、インド哲学では「ether」仏教では「emptiness」にニュアンスが近く、

ウツホの「気体」=「gas」とは全く意味が異なってしまいます。

そもそも「地水火風空」五元素と呼ぶのは、

化学の元素を連想させるため、ちょっと違うのでは?

と思ってしまいます。

これは、明治時代インド・仏教五大(Five elements)

日本語で『五元素』と翻訳されたからです。

地水火風空「自然界の5大要素」

または「5つの物質的属性」と呼んだ方がしっくりきます。

このように、ドンピシャの訳語をあてるということは難しいものです。

日本語→外国語、外国語→日本語も然りです。

誤翻訳や誤解を避けるため、

美鈴も極力、ヲシテ文字で書かれた原本を読むようにしています。

最後はちょっと余談になってしまいましたが、

今日は、ヲシテ文献に見る、自然界の5大基本要素ということでお話しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

アマテルカミの治世 ~罪の計量化~

こんにちは!今日はアマテルカミの治世 ~罪の計量化~というタイトルで、

アマテルカミ(天照大神)が行ったマツリゴトの改革のうち、罪人が犯した罪の計量化について説明します。

アマテルカミの治世には、水田稲作によって人々の生活は格段に豊かになったものの、

他人を妬む心やうらみが蔓延し、多くの諸問題が発生した時期でもありました。

そして、タミ(民)を教え導くトミ(臣)も驕りや傲慢さゆえに、

罪を犯し、ヲヲヤケ(朝廷)を蔑ろにする事態も発生していました。

罪の計量化の背景

それでは、具体的にどのようなトミ(臣)の横暴があったのでしょうか。見ていきたいと思います。

ネノクニ(今でいう北陸道)クニカミ(国司)カンミムスビ(トヨケカミの子)という方ががおられました。

そして、マスヒト(準国司)の役職には、イサナギ様の弟クラキネさんとその継子(つぎこ)シラヒト

という人物がついていました。

一方、サホコ(山陰道)には、コクミというシラヒトの仲間がいました。

この二人はアメナルミチに背くような悪だくみを行っていました。

そして、美女のサシミメという女性をクラキネさんの妾に送りこみ、そのかわりにコクミマスヒトに任命されます。

クラキネさんが亡くなると、今度はクラキネさんの子シラヒトが、

父の妾のサシミメさんに対して乱行し、その娘であり、妻でもあるクラコヒメをぞんざいに扱い、

挙句の果てに二人をコクミの元へ追いやってしまいます。

このような出来事もあり、アマテルカミ(天照大神)刑法における罪を計量化しました。

余談ですが、大祓詞の一節に出てくる天の益人とは恐らくシラヒトコクミのことを言っているのだと思います。

大祓詞の一部抜粋

罪の重さの尺度

それでは、具体的にアマテルカミ(天照大神)が定められた罪の重さの尺度をもとに、

シラヒト・コクミが犯した罪の重さを計量化すると、以下のようになります。

これを見るとシラヒト・コクミへの罪の計量は370クラになります。

そして、ヲヲヤケに対する信頼低下に対して、

極めて重い計量がなされていることは注目されます。

では、370クラとは具体的にどのような処罰となるのか?処罰の区分けを見ていきましょう。

これを見ると、死罪を賜ったということになります。

このシラヒトという人物はアマテルカミにとっても従兄弟にあたるので、

重苦の決断だったとは思いますが、シラヒトコクミが行った、

権力(チカラ)をみだりに貸与することは、朝廷を蔑ろにする行為であるため、

最も重い罪を課せられたのでした。

アマテルカミの治世当時に、

公正を旨とした、量刑法を施行したことは、画期的な刷新であったと思います。

今日は、アマテルカミ(天照大神)が行ったマツリゴトの改革のうち、

罪の計量化について焦点を当てました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

アマテルカミおでましに 神奈川県川崎市 琴平神社

こんにちは!眷属の方より、神奈川県川崎市麻生区に鎮座する琴平神社アマテルカミ(天照大神)がお出ましになっているという情報を聞いたので、早速行ってみることにしました。

小田急線柿生駅よりバスが出ています。早速、由緒を見てみます。

琴平神社 由緒

この由緒を見ると、琴平神社はもともと伊勢信仰として成立し、江戸後期金刀比羅信仰が重層化した神社であることが分かります。

実は、金毘羅信仰航海安全の神として、伊勢信仰と並ぶくらい江戸時代においてはブームだったのです。

その背景を纏めましたのでご覧ください。

金毘羅信仰が流行した背景

金刀比羅宮は庶民にとって開かれていたため、江戸期に爆発的に金毘羅信仰が広がったようです。

神明社の御祭神:天照大神と琴平社の御祭神:大物主神がお祀りされている神社になります。

オオモノヌシと言ったらクシヒコさんのことなのですが、

何とこちらの神社はアマテルカミクシヒコさんのお二人がお出ましになる神社だということです。

クシヒコさんアマテルカミ(天照大神)の外孫で三輪氏の祖)

クシヒコさん

早速、本殿に参拝に向かいました。

琴平神社本殿

本殿は大鳥居前の交差点を渡った、石段の上にありました。

石段の上が小高い丘になっていたので、こちらが由緒にあった伊勢山ではないかと思います。

ちなみに伊勢山とは、一生に一度行けるかいけないか分からないくらい、

遠い伊勢神宮を身近で参拝するために、

小高い山や丘に神明社を建てて、伊勢の神域を再現していた場所です。

そのため、各地に伊勢山が存在します。

早速、本殿の前で祝詞を奏上すると、

アマテルカミクシヒコさんのお二人がお出ましになられました。

いつものように感謝をお伝えすると、お二人ともにこにこ微笑んで、

サーっと祓ってくださいました。

お二人に御礼をお伝えして、今度は大鳥居のある儀式殿に向かいました。

琴平神社のここがすごかった

儀式殿に向かったのですが、この神社にはかなり驚きました。

まず、総社並みの鳥居の立派さ、

背後に龍雲出てました

人工芝の敷かれた手水舎は初めて見ました。

そして、2007年に放火により焼失した拝殿が2011年には修復されるという対応の早さ、

そして、総社並みの社殿の立派さに改めて驚きました。

さらにすごいのが、63枚の天井画がすべて焼失したとのことですが、

画家である宮司さんが、すべてご自身で復元されたそうです。

(社務所に問合わせると見学できるようです)

儀式殿の前で手を合わせてお祈りすると、

こちらでも、アマテルカミクシヒコさんはちゃんとおでましになられました。

こちらはクシヒコさんもお出ましになっておられるので、出雲大社と気の流れが似ています。

お社全体が参拝者に配慮された作りになっていたのも良かったです。

お近くの方は是非ご参拝ください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

アマテルカミお出ましに 神奈川県川崎市 二子神社

こんにちは、今日は神奈川県川崎市高津区に鎮座する二子神社を紹介します。

あちらこちらの眷属の方のお話によると、

なんとここ最近、アマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社が最近とても増えているのだそうです。

二子神社もその一つということで、早速行ってみることにしました。

その前に、以前ブログで神奈川県には神明社が多い気がすると書いたのですが、

その理由を少し探ってみたいと思います。

神奈川県に神明社が多い理由

かつて、神奈川県東部の広い範囲は橘樹郡(たちばなぐん)と呼ばれていました。

この地域は現在の川崎市全域横浜市北部~中部あたりです。

皆さんもこのエリアに神明社および、アマテルカミ(天照大神)を祀る神社が多いことは

気づかれたかもしれません。

その理由は主に三つあります。以下の図をご覧ください。

つまり、時代的に神明社が増える要因のあったエリアだったようです。

二子神社について

二子神社は東急田園都市線の二子新地駅から徒歩5分の立地にあり、すぐそばに多摩川が流れています。

古くから地元の人から崇敬されている神社といった感じでした。

御祭神天照皇大神、創建は1641年(寛永18年) – 武田家の旧臣・小山田兵部により天照皇大神を守護神として祠が立てられたとのこと。(Wikipediaより)

他のアマテルカミをお祀りする神社同様、周囲には心地よい気が流れています。

早速、拝殿に向かい、アマテルカミ(天照大神)に日頃の感謝とこの国の発展にご尽力下さった御礼をお伝えします。

いつも同じ内容の祈りなのですが、拝殿前はポカポカと暖かい日差しが差し込み、

濃紺のお召し物でアマテルカミがお出ましになられました。

いつものように穏やかな眼差しで、微笑んでおられました。

アマテルカミは時々、御髭を生やした様子でお出ましになるのですが、

晩年は御髭も生やされていたようですね。

誰かがお供えしたのか、小さなお菓子が賽銭箱に置かれていました。

時代を感じさせる御神木

社は近年の創建ですが、祈りの場所としての起源は古くまで遡るような感じがしました。

鰹木の上の鳩

二子神社の関連神社

さて、こちらの二子神社は同じ川崎市高津区に鎮座する溝口神社が兼務する神社だそうです。

この溝口神社が兼務する神社は他にも4社あり、そのうち3社である久本神社久地神社新城神社(中原区)

兼務元の溝口神社はいずれもアマテルカミ(天照大神)主祭神としています。

そしてなんと!全ての神社でアマテルカミがちゃんとお出ましになっているということです。

この4社は全て川崎市(旧橘樹郡)に鎮座しており、まさに伊勢と東国を繋ぐ

御厨(みくりや)御師(おんし)の流れが垣間見える神社だと言えそうですね。

お近くにお住まいの方はぜひ、溝口神社、久地神社、久本神社新城神社、

それから、御嶽神社にもご参拝ください。(御嶽神社にはヤマトタケさんがちゃんとお出ましになっているそうです)

最後までお読みいただきありがとうございました!

上古代における大宇宙の理解

こんにちは、今回は上古代における大宇宙の理解について書きたいと思います。

以前にも取り上げた内容ですが、紀元前の日本において、大宇宙の理解がなされていました。

漢字、ひらがな、カタカナ導入以前に使用していたヲシテ文字で書かれた文献、

『ミカサフミ』を参考にしながら見ていきたいと思います。

アマテルカミの天体の教え

この内容はミカサフミ『タカマナルアヤ』に書かれていますが、

第八代アマカミ(天皇)アマテルカミ(天照大神)が祖父のトヨケカミ(豊受大神)から教わった内容と書かれています。

トヨケカミの時代は紀元前700年~500年頃と想定されます。

特筆すべき点は、宇宙の生成について詳細に書かれていることです。

では、ミカサフミ本文を『池田満氏著書 ホツマ日本の歴史物語2』の解説を参考にして見ていきます。

ミカサフミ 118頁
アメツチがまだ現れていない大昔、

大宇宙の生成以前に、アメミヲヤ(大宇宙の創造祖)の

なすイキが際限なく巡り及んできました。

アモトカミ(大宇宙の中心)が成り出でます。
ミカサフミ 119頁
ウツホ(気体)がグルグルと回転し、

軽いものと、重いものが分離していきます。

天地に届くミハシラ(生じてきた柱)を廻りつつ、

軽量の分離が続きます。
ミカサフミ 119頁
アワ(比較的軽いもの)はキヨク(透き通っている)て

ムネヲカミと言い、ウヒ(比較的重いもの)はニゴリ(透き通っていない)、

ミナメカミと言います。

ヲは軽くてキヨイ(来易い)ので、アメ(天)になり、


メは重く、
ミカサフミ 120頁
(メは重く)固まってくるのでクニノタマ(地球)になりました。

最も軽いウヲセノムネが集まり、ヒのワ(太陽)になりました。

最も重いウメのミナモトが集まり、ツキ(月)となりました。

ここにクニタマとヒとツキと三つの天体が生成されました。

太陽の化学組成

ミカサフミ本文の中に見られる『ウヲセノムネ』という言葉は、現代風に言うと、水素の意味になります。

太陽の化学組成

つまり、太陽は軽いものが集まって燃えていることをアマテルカミトヨケカミがご存命だった

縄文時代には既に理解されていたということになります。

今日はこの辺で終わりにします。最後までお読みいただきありがとうございました。

政り事のヨヂ ータテとヨコの話ー

こんにちは!今日は政り事のヨヂ タテヨコの話というタイトルで、上古代のマツリゴトの在り方について書いてみたいと思います。

今回はオホカシマさんが書かれたミカサフミの本文を参考にしています。

上古代では、政り事を良し悪しを、織物のタテ糸ヨコ糸に例えて考えていました。

具体的には、朝廷からトミ(臣)トミ(臣)からタミ(民)への教導をタテ糸に見立て、

民衆の生活をヨコ糸に見立てる考え方です。

このタテ糸ヨコ糸がバランスよく織られることで、朝廷からの恵みが万遍なく民に行き渡ります。

しかし機織りの際に、ヨコ糸の締め方が強いと布がよじれてしまいます。

この状態では、朝廷からの教導が上手く下に伝わらず、停滞すると恵みが万遍なく、

行き渡らなくなってしまいます。

この状態をヨコシマと言います。

ヲシテ文字では以下のように書きます。紀元前から存在していた言葉です。

そのため、ヨコを取り締まる、ヨコベ(今で言う検察官)という役職も存在していました。

ミカサフミから出典

では、この内容が書かれている箇所を、ヲシテ文献ミカサフミから抜粋しましたので、ご覧ください。

ミカサフミ 49
アマノコヤネがミカサヤ(現:春日大社)で諸人に講義を始めた。

「私がとくフミはタテ糸にヨコ糸を織り合わせていくところの

マツリゴトと同じで、タテとヨコのヨヂを締めて、混乱がないようにしてこそ、

はじめて世の中をうまく収めることができることを説明します」
ミカサフミ 51-52
ハタノミチ(治世のミチ)における、ツカサ(=人々を指導する役割・官職)の

カミ(長)のクニを治める心構えは、

内には締めて(怠惰や傲慢にならず、富を独り占め等しないこと)

下にタス(潤す)ことにつきます。

ヨコ糸が引きつれてしまうと下々への恵みが滞ってしまうので、

ヨコ糸をしっかり締め込んで、アマカミ(上古代の天皇)からの


恵み潤しを十分に行き届かせることがポイントです。

まとめ

ここまでタテヨコの話を見てきましたが、

マツリゴトにおけるタテヨコとは、

アマカミがもたらしたメグミ(恵)に人々が感謝することで王権が成立し、

ツカサがバランスよくヨコをしっかり張ることで、ヨヂが整うことを、

上古代では、織物のタテ糸ヨコ糸になぞらえいたというお話でした。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!

ツキヨミさんにご参拝 月讀神社 神奈川県川崎市

こんにちは!川崎市にツキヨミさんをお祀りする社があるとのことで、参拝に行ってきました。

神奈川県川崎市に鎮座する月読神社です。

神明造のお社

お社の由緒を簡単にご説明します。

規模は控えめですが、地元の人に大切にお祀りされているようで、落ち着いた雰囲気のお社でした。

ツキヨミさんとは、アマテルカミ(天照大神)御弟君です。イミナモチキネといいます。

昨年、豊受大神宮別宮月夜見宮でお会いしていたので、2度目の参拝でした。

丁度年始で、参拝の方の列ができていたので、後ろに並んで待ちました。

ツキヨミさん

お社の前で祝詞を奏上すると、ツキヨミさんはちゃんとお出ましになられました。

美鈴の参拝をとても喜んで下さって、歓迎していただきました。

お顔はソサノヲさんよりもアマテルカミに似ておられます。長身ではないです。(中肉中背くらい)

眷属の方のお話によると、アマテルカミとは仲睦まじかったようです。

ちょっとびっくりしたのが、明らかに関東に土地勘がおありのようで、割とはっきり出てこられました。

ホツマツタヱ関連著者、池田氏によると、ヒタカミ(東北)アマテルカミと共に帝王教育に励み、ハラミノミヤに戻られたそうなので、

それで関東にも土地勘がおありなのだと思いました。

神楽殿でしょうか?

新春の参拝だったので、神社の方にお神酒を振る舞っていただき、温かくもてなしていただきました。

新春の幟が出ていました

全国的にも月讀神社の社号は珍しいようです。(全国で12社あまり)

ツキヨミさんにお参りできる神社、月讀神社に是非ご参拝ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。