届かぬことを思うなり…

こんにちは!今日は松本善之助氏の著書からアマテルカミ(天照大神)お人柄がよくわかるミコトノリをご紹介します。

ホツマツタヱ本文は「カンカガミヤタノナノアヤ」の章、該当ページは17-11~13になります。

トミタミヤタノカガミ(八咫の鏡)を拝んでいたところ、アマノコヤネさんが謹んで、

アマテルカミ(天照大神)ヤタノカガミの名前の由来を尋ねます。

アマテルカミヤタノカガミの名前の由来を説明し、古来よりアマカミ(天皇)が民を我が子のように慈しみ、教え育ててきたお話をされます。

では、早速アマテルカミのお人柄が分かる該当箇所を松本氏の書き下し文から見ていきます。

ホツマツタヱ 17アヤ11~13
むかし、神がお作りになったトホコ=(二種の神器のトとホコ)を、

イサナギ・イサナミ両神がお受けになり、それをいま私(アマテルカミ)が授かった。

トはアメナルミチの極意書で、タマはこの表徴であり、ホコはこのミチに反逆した者を

罰する重器である。ト(タマ)の心により、両神は民をわが子のように育て、厚く教えてきた。

私も及ばずながら努力してきた。しかしアメナルミチを行ずることは至難であり、

神の御加護を懸命に乞いつつ努力しているが、これでいいとはとても云えぬ。

まだまだ不十分と思うばかりである。

三種の神器のひとつヤタノカガミ

アマテルカミはカンタカラ(神器)カガミを加えたアマカミ(天皇)でもあります。

鏡は普通の状態の逆を映し出し、右が左、左が右となります。

そのため明暗、正誤を見分け、普段は見えにくい邪(よこしま)な部分を早期発見し、

人の心を健康に保つためにミクサタカラ(三種の神器)に加えられました。

(池田満氏 ホツマ辞典より)

これは、アマテルカミがオシホミミ様に三種の神器を伝授された時も、

「(八咫鏡に)汝の本当の姿が映し出されるでしょう。その姿がアメナルミチに適しているかどうか、

じっくり反省しなさい」と述べていることからも分かります。

アマテルカミ自らを振り返る

これは松本善之助氏も述べていますが、これはアマテルカミの謙虚さを窺い知る大切な下りです。

アマテルカミは国家の最高指導者でありながら、常に内省をしておられたことが分かります。

アマテルカミ

今で言うところの、瞑想みたいなこともよくされたそうです。(眷属の方談)

ここで大事なことはアマテルカミ精神的に自立した立派な人柄であり、

何かうまく行かないことがあっても、他者や外的要因のせいにしないで、

自らを省みるお方だったということです。

正真正銘の指導者に求められる素質

アマテルカミミコトノリから実に多くのことを学ぶことができます。

アマテルカミは国家の最高指導者でした。つまり、富や権力は全て持っておられたのです。

人は権力を持つと、過度の自信やメタ認知=(自分を客観視する能力)の低下により、自己評価が過大になりがちです。

そのため「自分の意見がもっとも正しい」といった誤認が生じやすくなります。

トップの立場におられるアマテルカミが謙虚に内省できる方だったというのは、

実はとても凄いことなのです。

これはトヨケカミ(豊受大神)の教育の賜物でもあるし、ご本人が持って生まれた性質もあったのでしょう。

そして、クニトコタチのトコヨクニ=(旧日本の国号)建国以来、代々のアマカミ(天皇)に受け継がれてきたミチでもありました。

自分を振り返る

美鈴も今より精神的に幼い時は誤りを認めるのは難しく、つい自己弁護をしてしまう時もありました。

しかし、悪いと思ったことは素直に認めて反省するように日々努力しています。

本当に器に広い人というのは、とっさの時にも、自らを正し、常に自分の心を見つめて、

問題解決に勤しみ、自己成長を怠らない姿を周囲に見せるのだと改めて思いました!

それでは今日はこの辺で終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

アマノコヤネさんがこちらに? 神奈川県厚木市 春日神社

こんにちは!今日は神奈川県厚木市に鎮座する春日神社をご紹介します。

神社庁のホームページをみると「春日さま」と書かれています。

春日さまといったらアマノコヤネさんのことなのですが、(理由は前回も書いたとおり、カスガマロというお名前だからです)

アマノコヤネさん

神社庁のホームページには社殿の写真も掲載されていないので、

美鈴:「ほ、本当にこの神社におでましになるのですか???」

眷属の方:「本当だ」

「うーん」眷属の方がそうおっしゃるので、早速、春日神社に伺うことにしました。

稲穂のコントラストが綺麗

春日神社へ

小雨が降りしきる中、本厚木の市街地から離れたところまで歩くと、自然豊かな場所にでました。

御祭神はこういう里山風の場所がお好きなのだろうか、、、

春日神社 外観

春日神社に来る途中はひとけが無くておっかなびっくりでした。神社手前に竹林があり、思わず眷属の方に

「み、見るからに蚊に刺される可能性大なんですけど、大丈夫ですか???」と

思わず聞いてしまいました。(蚊にはさされませんでした)

春日神社 鳥居

坂を上り切った正面左手が入口らしいです。境内に入ると穏やかなエネルギーが流れています。

小雨がぱらついてきましたが、参道にすすみます。

拝殿横の看板には以下のように書かれていました。

御祭神:武甕槌命、天児屋根命、木花咲耶姫命

由緒:1415年(室町時代)に勧請、1706年(江戸時代)の再興の棟札に神主奥田清正と載す今其の子孫村民にて当社の鍵を預かれり

アマノコヤネさんに参拝

早速、拝殿前で祝詞を奏上します。この国の発展にご尽力くださったこと、長年この国の行く末を見守って下さった御礼をお伝えすると、

アマノコヤネさんはちゃんとお出ましになられました。御魂もちゃんと写っています。

春日神社 拝殿

池田満氏の著書には、アマノコヤネさんは御母上のアサカヒメの体を受け継いだ偉丈夫な体と書かれてありましたが、背丈は中肉中背のお方でした。

確かに整った外見ではありますが、見るからにクシヒコさんフトタマさんのような為政者といった感じです。

オホナムチさんは華やかでどちらかと言えば、「企業家」「経営者」に近い方だと思いました。

アマノコヤネさん「実直」、「堅実」な方で、「無駄に税金は使いません」みたいな倹約家のオーラが出ています。

そして、これはちょっとびっくりしたのですが、アマノコヤネさんはただただ泣かれるだけで何もお話にならないのです。

「ど、どうしよう、、、」と美鈴も立ちすくんでしまったのですが、ビジョンを介してやり取りができました。

アマテルカミの素晴らしさ

アマノコヤネさんアマテルカミ(天照大神)への思い入れがお強いらしく、

大神の素晴らしさをビジョンで教えて下さったのです。

大神は率先して臣下にへりくだるので、周囲は感動して付き従ってしまうのだそうです。

アマテルカミ

普通は目下の人がまず先に上の立場の人に敬意を示し、目上の人が目下の人に目をかけると思うのですが、

アマテルカミは目上の立場にいるご自身がまず先に、目下の人を慈しむ姿勢を示すのだそうです。

そうやって人々を大切にするので、「このお方が喜ぶことは何でもして差し上げたい」と思ってしまうのだそうです。

たしかに、一国の最高指導者がそんな態度を示したら、誰だって感動してしまいます。

アマノコヤネさんは何も語らずとも、大切なことを教えて下さいました。

改めて深い御礼をお伝えして、アマノコヤネさんの御前を後にしたのでした。

藤原氏の祖神であり、このお方から数多くの歴史上の偉人が誕生しました。

そして、その多くが既に世を去り、ご本人は御魂を今にとどめておられるという非常にびっくりな状態であります。

お近くの方は是非、春日神社にご参拝ください

最後までお読みいただきありがとうございました!

夏空に舞う妖艶な蝶

こんにちは!先日鹿島神宮に参拝した時にとても美しいアゲハ蝶を見ました。

鹿島神宮の鎮守の森は、太古の昔より原生に近い生態系が保たれている日本でも数少ない貴重な社叢です。

丁度、アゲハ蝶の繁殖の時期だったので、頻繁に見かけたというのもあるのですが、

このアゲハ蝶を見ると、あるお方を思い出します。

鹿島神宮の湧水近くでみかけたモンキアゲハ

それが日本の大氏族、藤原氏の先祖、アマノコヤネさんです。

どういう訳かアマノコヤネさんに縁の場所に行くとアゲハ蝶を見ることが多いです。

境内社:春日神社

昨年の夏、伊勢原大神宮の境内社、春日神社の周りにもアゲハ蝶が飛んでいました。

アマノコヤネさんをお祀りしているところをみると、

伊勢原大神宮の方はアマノコヤネさんの子孫かもしれません)

眷属の方のお話によると、アマノコヤネさんは蝶々がお好きだったようです。

神秘的な昆虫:蝶々

蝶々はとても神秘的で、わずか1年で三~四世代と猛スピードで世代交代する昆虫です。

羽化して成虫になる頃には、既に一生の大半を終えています。

ミヤマカラスアゲハ

外敵に襲われるリスクから、鳥は一瞬で交尾を終えますが、蝶は外敵に襲われるリスクを負っても長時間かけて交尾を行います。

これは1回の交尾で確実に子孫を残すためです。

たった一度のチャンスに命をかけて子孫を残そうとする姿は、どこか心打たれるものがあります。

アマノコヤネさんもそんなひたむきな蝶々がお好きだったのではないでしょうか?

そして、不死・再生の象徴である蝶は桓武平氏の家紋として広く用いられました。

平家の家紋

藤原氏の先祖 アマノコヤネさん

アマノコヤネさんは以前にもご紹介したとおり、ヒタカミの名家タカミムスビの出身で、イミナワカヒコといいます。

ちなみにトヨケカミ(豊受大神)の曾孫(ひまご)にあたります。

御父上のココトムスビさんナカクニ(今の近畿地方)クニカミ(国司)に任命されたため、

アマテルカミ(天照大神)よりカスガトノの名を賜ったので、カスガマロと呼ばれます。

カスガというのは、恐らく悪を正すという意味なのでしょう。

カスガ:
「カ」=明るいこと、正しいこと
「ス(ル)」=為る、擦る、磨る、剃る
「ガ」=暗いこと、悪いこと
■出典:ホツマ辞典 池田満氏著

アマノコヤネさんの子孫は代々アマカミをお支えするカガミノトミ(左の臣)に任じられてゆきます。

アマノコヤネさんはどちらに?

伊勢原大神宮でわずかにアマノコヤネさんと繋がれたものの、はっきりとはお会いできませんでした。

ナミアゲハ

アマノコヤネさんに是非お会いしたいと思って、テレパシーを投げかけてみます。

でも、まったく返事が返ってきません。これはニニキネ様の時と一緒です。

もう少し範囲を広めてテレパシーを送ってみても、なしのつぶてです。

しかし、鹿島神宮参拝後にようやくアマノコヤネさんのテレパシーを受け取ることができたのです。

というのも、カシマカミ(タケミカツチさん)アマノコヤネさんは結びつきは深く、

カシマカミアマノコヤネさんにお会いできるように取り計らってくれたようです。

ちなみに義父娘婿の関係なので、アマノコヤネさんカシマカミを尊敬しておいでなのです。

アマノコヤネさんに会える神社

さて、例によって神代の時代に詳しい眷属の方にお尋ねします。

アマノコヤネさんは麗しい外見のお方らしい

「アマノコヤネさんにお会いできる神社はありますか?」と尋ねると、

神奈川県にいくつかあることが分かりました。

「では、はっきりお会いできる神社を教えて下さい」と尋ねてみます。

眷属の方はとある神社を教えてくださったのですが、

「ええっー!ほ、本当にその神社におでましになるのですか?」

と思わず、美鈴は唸ってしまうのでした。

さて、その神社とは?

アマノコヤネさんの参拝エピソードは次回ご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ~ニニキネ様即位のミコトノリ~(後編)

こんにちは!今日は前回に引き続きアマテルカミのミコトノリを見てきたいと思います。

いつものように松本善之助氏の著書より引用させていただきます。

ホツマツタエ24アヤ10~18頁
一方、ツルギヲミがしゃんとせず、その末裔がヨタヨタしていては、
輩下のモノノベは仲間割れをし、世を奪われるような羽目に遭うのは必定です。

カガミヲミの役目は、穀物を背負って、営々として働くタミの日常がうまくゆくように
仕組みづくりを行い、心を配ることです。

ツルギヲミの役目は、不心得者を罰し、モノノベの力をもりたてることです。
このようにタカラモノをミクサに分けて授けるのは、
長くこの国が一体であるように願うからに他なりません。

大神はこう仰って、経世の文章が書かれている宝典を、お手ずから御孫ニニキネ様に
授けられた。

正妃セオリツヒメは、ミカガミをカスガに、ツ(西)ノスケキサキのハヤアキツヒメは、
ミツルギをコモリに賜った。
両大臣は深々と三度礼拝をし、恐懼して宝典を受け取った。

以上となります。松本氏がとても分かりやすく解釈を付けて下さったので、詳しい説明は省略します。

さて、ここまでアマテルカミミコトノリをご紹介しました。

あまり気の利いたことは書けませんが、

上古代の日本の最高指導者でありながら、決して驕り高ぶらず、常に謙虚な心を忘れないで、

民に恵み与えようとされていた姿勢が文面から伝わります。

アマテルカミ

そして、左右の臣、カスガとはアマノコヤネさんのことであり、コモリとはクシヒコさんの息子のコモリカミのことです。

このお二方はアマテルカミの薫育を受けた方で、寸暇を惜しんでは人々の指導にあたられていました。

最高指導者が優秀ならば、側近の方々も優秀だったのですね。

補足

前編のミコトノリにも書かれていた、カガミヲミというのはミクサタカラカガミを預かる左の臣のことで、ツルギヲミとは、ヤヘカキノツルギを預かる右の臣のことです。

モノノベは軍事・警察を司る役職でツルギヲミの管轄でした。

セオリツヒメとはアマテルカミ正妃ムカツヒメのことであり、ハヤアキツヒメとはカナサキさん(スミヨシとも呼ばれる)の娘で、アマテルカミとの間にアマツヒコネさんを儲けています。

ハヤアキツヒメ(アキコヒメ)

特筆すべき箇所

ここで大切なことは、トノヲシテアマカミが拝持し、左右の大臣が、ミクサタカラカガミとツルギを拝持したということです。

松本善之助氏も述べているように、立法、司法、行政の三権分立がわが国の古代政治(アマテルカミの治世はB.C.700~500年頃と推定)においても、独自の三鼎(みつがなえ)法によって成立していたことがホツマツタエから明らかになったことです。

このトノヲシテ(=恵民立国の精神)古代文字ヲシテにも表れています。

ヲシテ文字の『ト』

奥が深いヲシテ文字

ヲシテ文字の『ト』は上記のように書くのですが、Y(子音:t音)口(母音:ハニ)が重なり合っています。

ヲシテ文字(日本の古代文字)はこの母音と子音の組み合わせで成り立っているのですが、

この口はハニ=(土から水分を取り除いた状態)を意味しており、クニタマ(=地球)クニ(=国)という意味もあります。

そして、Yの上部のVがアマカミが天の恵みを両手を伸ばして受け取る様を表し、下の縦棒は国家の中心のアマカミ(天皇)を表しています。

つまり、国家の中心のアマカミがアメの恵みを受け、国民にあまねく分かち及ぼす形になっています。

ヲシテ文字の詳細については、池田満氏『ヲシテ 増補版 上下巻』をご参照ください。

上古代の人々は建国理念(=恵民立国の精神はヲシテ文字にも表れていたのです。

ヲシテ文字の奥深さは池田満氏著『ホツマ日本の歴史物語1 アワウタの秘密』にも書かれていますので、合わせてお読みください。

こうして、私たちが歴史から忘れ去られた尊いアマテルカミのミコトノリを読むことができるのは、遥か上古代より何世代にもわたって書き留めて下さった方々のお陰です。

分る範囲で申し訳ないのですが、ホツマツタヱの写本、研究、保管して下さった方々の名を以下に挙げます。

クシミカタマさんホツマツタヱ1~28アヤ編者クシヒコさんの曾孫
オホタタネコさんホツマツタヱ29~40アヤ編者クシヒコさんの7世孫
和邇估容聰さんホツマツタヱ/ミカサフミ/フトマニ翻訳クシミカタマさん78世の子孫
小笠原通当さん神代巻秀真政伝 出版赤左京二条坐神社神主 (清和天皇の後裔)
小笠原長弘さんホツマツタヱ奉呈文筆者赤間宮宮司
野々村立蔵さんミカサフミ/フトマニを購入式内水尾神社の社掌(神職)
正木昇之介さん秀真伝 二. 私考執筆宮城控訴院検事
松本善之助さん現代用語の基礎知識 編集長古本屋で秀真伝を発見
池田満さんホツマツタヱ原本保持ホツマツタヱを長年研究

ホツマツタヱ和邇估容聰さん→三尾社→小笠原通当さんに伝わり、

ミカサフミ・フトマニ和邇估容聰さん→野々村家→小笠原長弘さんが謄写し、小笠原家へと伝わったようです。

小笠原通当さん、アマテルカミの貴重なミコトノリが書かれた秘伝の書を、

本当にありがとうございます

→小笠原長弘さんが原本の他に複写を保持されていたため、松本氏の手に渡りました。

何世代にも渡り、書き写されてきたホツマツタヱの内容と、美鈴が実際にお会いしたアマテルカミやクシヒコさんの人柄が文献の内容とほぼ一致していたという

多少の誤記や写し間違いがあったにせよ、概ね正しく内容が書き写されてきたのでしょう。

そしてアマテルカミの尊いミコトノリを現代においても読めるのはひとえにこの方々のお陰なのです。

本当にありがとうございます。(深々と拝礼)

ご興味ある方は是非ホツマツタヱ関連本をお読みください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考図書:
秘められた日本古代史(続)ホツマツタヱ 松本善之助氏著
ホツマ辞典 池田満氏著
ヲシテ 増補版 上巻 池田満氏・辻 公則氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ~ニニキネ様即位のミコトノリ~

こんにちは!今日は皇孫ニニキネ様即位の際に出されたアマテルカミ(天照大神)ミコトノリをご紹介します。

以前に一部を紹介していますが、今回は全文での紹介です。

いつものように松本善之助氏の著書から抜粋します。

アマテルカミ(天照大神)ミコトノリを読むことが、アメナルミチを真に理解する近道であると思いますし、

ヤマトタケさんのアメナルミチを後代に伝えたい意図を知ることにも繋がりますので、是非お読みください。

美鈴がアマテルカミのミコトノリを読んで感じることは、

ということです。

そして、このヲシテ文字で書かれたフミはアマテルカミご自身が『ヲシデは温かい心の贈り物です』と語っておられるとおり、

先代アマカミから連綿と後代へ受け継がれた愛情のこもったお文でもあります。

それでは早速見ていきたいと思います。

ニニキネ様即位の際のミコトノリ

はじめに、松本善之助氏が書かれた書き下し文から見ていきます。

ホツマツタヱ24アヤ10頁
アマテルカミ(天照大神)は、尊いアメナルミチの極意を書いた御文を、皇孫ニニキネ様に賜り、
そして、ミカガミをコヤネに、ミツルギをコモリに授けた。
そこで、大神は次のように仰せられた。

『先にミクサのタカラモノを我が子オシヒトに授けたが、
このミクサはオシヒトから汝の兄ホノアカリに譲られてはいない』

その時、左右に侍る大臣はフトタマとカクヤマでした。

そこで今、汝に直接ミクサのタカラモノを授けようと思います。
左に侍る大臣はコヤネ、右はコモリです。
国がうまくゆくには、キミとトミとタミとの心が、ひとつになることです。

仮に日の光を体一杯湛えた鳥が居たとします。
その胴体をタミに見立てます。首はキミです。
カガミとツルギの両大臣は左右の羽、足はモノノベです。
この各々がバラバラに動いたのでは、鳥は到底満足には飛べないでしょう。
だから、心一つになるのは、何にもまして大事なことです。

カガミヲミがしっかりせず、その子孫が滅んでしまえば、
タミの心は離れるに決まっています。
そうなれば、キミは御位につくことができません。

では、前編は一旦ここで区切りたいと思います。

アマテルカミキミ(君)・トミ(臣)・タミ(民)が一つになることの重要さを語られるミコトノリです。

鳥は日本国のモノザネ

アマテルカミキミ(君)・トミ(臣)・タミ(民)を一羽の鳥に見立てています。

というのも、鳥はト=(トノヲシテ)、リ=(有)に通じることから、日本国のモノザネとされていました。

このモノザネとは、『目に見えないものを目に見える形に表現すること』です。

鳥の体の部分が同じ方向を向くことで真っすぐ飛ぶことができますが、

各部位がケガしていたり、よそ見をしていると鳥はまっすぐ飛ぶことができません。

そのため、心を一つにすることの大切さをアマテルカミは述べています。

二のこころ

とはいうものの、心を一つにすることはなかなか難しいことでもあります。

お互いの意見が合わないこともありますし、相手が聞く耳を持たないこともあるでしょう。

晩年のアマテルカミ

アマテルカミが常に大切にされていたのが、『二のこころ』です。

『ニ』成ってゆくこころ、相手をいつくしむこころを意味します。

お互いの足りない部分を補う、サポートし合う、庇い合うも『二のこころ』に通じます。

お互いの足りない部分を非難するより、足りない部分を補い合う方が物事がより発展する気がします。

アマテルカミもこの『ニのこころ』を曇らさないために毎朝『アワウタ』を朗誦されていたそうです。

上の立場の者が下を慈しむのは感動を呼びますが、実践するのはなかなか難しいものです。

アマテルカミのミコトノリを読んで、深く心に落とし込んでいきたいと思うばかりです。

前編は以上となります、最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書
秘められた日本古代史『ホツマツタヱ』:松本善之助氏著
ホツマ日本の歴史物語1 『アワウタの秘密』:池田満氏著

カシマカミにご参拝(後編)~知られざる鹿島神宮の魅力~

今回は前回に引き続き鹿島神宮のお話です。特に天然記念物に指定されている『鹿島神宮の森』の魅力を中心にご紹介します。

奥宮と有名な『要石(かなめいし)』はこの鹿島神宮の森(鎮守の森)の奥にあるとのことなので、早速行ってみることにしました。

境内案内

20万坪に及ぶ敷地に800種を超える草木が生育とパンフレットに書かれています。

美鈴は日本各地に存在する有名神社には行っているのですが、こちらの鎮守の森は特にすごいと思いました。

多くの鎮守の森はその地に存在する森に職人さんの手が加わり、壮麗な景観が保たれているのですが、

入り口付近から撮影

こちらの鎮守の森は、それこそ『カシマカミ御在所時のまま残されてきたのでは?』と思うくらい『原生』に近い状態なのです。

かつ御神域なので、スピリチュアル的な明るさと波動の高さがまさに格別。この森は必見の価値があります。

(夏場は蜂も飛んでいますので、虫よけと日よけ対策がおすすめです)

奥宮にご参拝

さて、奥参道を進むと奥宮があります。御祭神は武甕槌大神荒魂となっています。

丁寧にご挨拶して、再度お招きいただいた御礼をお伝えします。こちらでもカシマカミの温かい歓迎のエネルギーを感じることができました。

誠にお喜びの御様子

要石『かなめいし』

奥宮を右手に行くと要石(かなめいし)があります。この要石タケミカツチさん(ちなみにイミナヒサヒコといいます)が地震を鎮めるために据えたものです。

要石を祀る

この要石はヲシテ文献ミカサフミ(編者:初代伊勢神宮神主クニナヅ・オホカシマ)に記載があります。

池田満氏著『新訂ミカサフミ・フトマニ』を参考にして書き下し文を書いてみました。(何分素人ですので、誤りがある可能性はご容赦ください)

ミカサフミ 1章21節

ミカサフミの写本は琵琶湖西北岸:高島町野々村家の土蔵に保管されていました。

保管されていた写本に要石のことまで書かれていたのですから、本当に驚くべきことです。

必見の禊の池:御手洗池(みたらしいけ)

案内板を見てみると、奥宮を左手に御手洗池があるとのことで、早速行ってみることにしました。

案内板

長いスロープを下っていくとお茶屋さん『湧水茶屋 一休』があり、その向かいに御手洗池があります。

ちなみにこのお茶屋さんは御手洗池の清水を使っているそうです。

冷やしぜんざいを頂きました
御手洗池

古くから神職や参拝者の潔斎の池で、神代の時代に御祭神(タケミカツチさん)が天曲弓で掘られた際に、一夜にして湧水したそうです。

タケミカツチさんが直々にこの池を掘られたのか~』と感動しました。それにしても、一夜にして湧水させてしまうとは、、、

こちらの湧き水は持ち帰ることもできます。(飲用の際は必ず煮沸との注意書き有り)

御手洗池口鳥居

東日本大震災より9年と5か月の時を経て竣工となったと鹿島神宮のホームページに記載がありました。

震災で大鳥居と御手洗池口鳥居が倒壊したそうですが、その他に甚大な被害はなかったそうです。

とても素敵な鳥居だったので、思わず撮影しました。

カシマカミご自慢の鳥居なのだろうか

さて、今回はカシマカミご自慢の鎮守の森をはじめ、主要な見学ポイントをご紹介しました。

記事に掲載しきれない見どころも沢山ありますので、是非足を運んでみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマ辞典』/『新訂ミカサフミ・フトマニ』 池田満氏著

カシマカミにご参拝(前編) 茨城県鹿嶋市 鹿島神宮

こんにちは!今回は茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮参拝記を書きたいと思います。

鹿島神宮 鳥居

神奈川県大和市に鎮座する深見神社タケミカツチさん(カシマカミ)にお会いした際に、

「鹿島神宮にも参拝に伺いたいです!」とお伝えしたのは既に昨年の話。

タケミカツチさん

あれから随分経過してしまったのですが、先日ようやく参拝が叶いました。

カシマカミは非常に喜ばれて(本当に謙虚な方なのです)、ご丁寧に東京駅から鹿島神宮まで高速バスが出ていることまで教えて頂きました。

長らく謎だった鹿島神宮

鹿島神宮は美鈴にとって、長らく謎の神社のひとつでした。

創建が紀元前660年頃とのことですが、なぜ茨城県にこんなに古い神社が存在するのだろう?

御祭神:武甕槌大神

武甕槌命(タケミカヅチノミコト)鹿島神宮から神鹿に乗って、奈良の春日大社にこられた由緒は何かで見たのですが、

では武甕槌命が一体誰で、なぜ春日大社に来られたのかが全く分からなかったのです。

その疑問に答えてくれたのがホツマツタヱでした。

【タケミカツチさん(カシマカミ)の詳細を知りたい方はこちらをクリック】
カシマカミとの出会い

カシマカミ神代・第九代アマカミ(天皇)のオシホミミ様に仕えていた方で、鹿島神宮は元々タケミカツチさんの本拠地であったカシマミヤだったのです。

そして、後世の藤原氏が祖神であるタケミカヅチノミコト鹿島神宮から春日大社に勧請したために神鹿が尊ばれたと分かりました。

『そうだったのか。タケミカツチさんアマカミ(天皇)に仕えていた重鎮で、現鹿島神宮の地にお住まいだったのか』と納得したのです。

カシマカミにご対面

鹿島神宮に到着すると、まず鳥居の大きさに圧倒されます。『うわぁ大きいなぁ』と思わず見上げてしまいました。

さすがに神宮だけあって広大な敷地を有しています。

令和8年に十二年に一度の御船祭が斎行される

境内に入ると、心地よい御神気が漂います。そしてどこかで感じたようなこの雰囲気はまさしく、、、

『伊勢神宮!!』

そうなのです。伊勢神宮の雰囲気が漂うということは、タケミカツチさんはアマテルカミ(天照大神)と今もお心を一つにしておられるということなのです。

早速拝殿前に進み出ると、なんと!『タケミカツチさんがお静まり遊ばされている!!!』

拝殿

(こちらの写真にはタケミカツチさん御魂も写っていますが、掲載しても大丈夫!と許可を頂きました)

美鈴をご覧になると『よく来た』と仰せられ、全身で歓迎をお示しになられたのです。

深見神社でお会いした時よりも畏まっておられました)

深々とお辞儀をして、この国の発展にご尽力いただいた御礼をお伝えします。

今もなお、この国の行く末を見守って下さることが有難く、涙がポロポロこぼれてしまいました。

沢山の愛を頂いた美鈴は、再び深々とお辞儀をしてカシマカミの御前を失礼したのでした。

タケミカツチさん鹿島神宮へのご参拝を本当に喜ばれます。お近くの方や興味をお持ちの方は是非ご参拝ください。

(涼しい時間帯、涼しい季節のご参拝をおすすめします

さて、鹿島神宮にはその他にも見どころが沢山あります。それはまた後編でご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏著

アマテルカミ 川崎市にもおでましに!? 天照皇大神

こんにちは!今日は神奈川県川崎市に鎮座する『天照皇大神』をご紹介します。こちらの神社は標高30mほどの加瀬山の山頂にあります。

ある日美鈴はアマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社はどこなのだろう?頭を悩ませていました。

そこで閃いたのがこの神社なのです。

実はこの神社のすぐ隣には夢見ヶ崎動物公園があるため、何度か家族で訪れていました。

夢見ヶ崎動物公園 (レッサーパンダが見学できる)

動物園を見学していたら、突如目の前に神社が現れたので非常にびっくりしたのですが、

とても良い気が流れる神社だったので覚えていたのです。

そこで、眷属の方に『この神社にアマテルカミはおでましになりますか?』と尋ねたところ、なんとおでましになるのだそうです。

ということはつまり、

ということになります。

天照皇大神の由緒

では次に神社の由緒を見ていきます。(読みやすくするため、一部手直しをしています。)

太田道潅公が夢見ヶ崎の地に築城を計画し参篭した。
道潅公の暁の夢に東北の空に丹頂鶴が舞うのを見たため、その地に千代田城を築いた。

北条氏政公により八棟造の社殿が建てられたが、北条氏滅亡時に社殿及び旧記のすべてを焼失。
江戸時代に村民が旧時を偲んで本殿と拝殿を再建した。

こういう由緒を見るにつけても、一般の方々によって多くの神社が手厚く守られてきたことが伺えます。

そもそも神様やご先祖様を大切に思う気持ちがDNAに組み込まれている。

アマテルカミはきっとそういう方々に寄り添いたいと思っておいでなのだと思う。

アマテルカミ

では、次に御祭神を見てみると、

御祭神:天照大神、撞榊厳魂天疎向津姫命、天満大自在天神(菅原道真公) 他

撞榊厳魂天疎向津姫命とは天照大神荒御魂(あらみたま)と書かれていますが、

ムカツヒメとはアマテルカミの正妃ムカツヒメ(=ホノコヒメ)のことなのです。

アマテルカミにご参拝

では早速、アマテルカミにご参拝に伺います。

この日は他の参拝者の姿はなく、境内には美鈴だけでした。波動が軽くてとても清々しい境内です。(夏場は日よけ&防虫対策がおすすめ)

祝詞を奏上し、この国の発展にご尽力下さった御礼を申し上げると、アマテルカミはちゃんとお出ましになられました。

いつものとおり、にっこり微笑まれて祓ってくださったのです。(ちゃんと染色を施したお召し物を着ておられます)

こちらの神社も神明造

丁寧にお辞儀をして、アマテルカミの御前を失礼します。

以前にも書いたと思うのですが、アマテルカミがお出ましになる神社の周辺は、広範囲に渡って良い波動が流れています。

ちょっと考古学的な話

さて、天照皇大神が存在する加瀬山縄文~弥生時代の貝塚が発見されており、また4世紀~7世紀に築造されたと考えられる加瀬台古墳群が存在しています。

そして、加瀬山山頂からは市街地が良く見渡せます。

神社x遺跡の組み合わせは神奈川県ではよく見られる光景なのですが、

加瀬山以外にも、相模原市の有鹿神社奥宮 x 勝坂遺跡、そして伊勢原市の比々多神社 x 下谷戸縄文遺跡などがあります。

いずれも高台に位置しており、市街地が見渡せる共通点があります。古代の人が高台を好んだ理由は、

①高所を神聖視した ②作物育成のため日当たりを重視 ③周囲を見渡せる心理的な安心感

このあたりかなと勝手に想像しております。

古墳ブームの背景

余談ですが、池田満氏の著書『ホツマで読むヤマトタケ』に面白い記述があったので紹介します。

古代から古墳山や丘など地形を利用して築造されました。しかし、豊作が続き、食料が余剰になると備蓄やストックが発生します。

備蓄が積み上がると必要な人の所に物資が回らないため、社会事業の一環として古墳の造営事業が始まります。

古墳造営は社会事業の一環でもあった

一旦古墳作りがブームになると、より大規模な古墳を造営する地域も出てきます。

過度な造営により財政難に陥ると、ミツホ(租税)の横領や納税拒否などの社会問題までに発展することもあったようです。

そして納税拒否の反乱軍を平定するために陣頭指揮をとったのがヤマトタケ(日本武尊)さんなのでした。

加瀬山の不思議

天照皇大神の由緒にあるとおり、太田道灌公がこの地を訪れた後、暁に瑞祥の夢を見たことがきっかけで夢見ヶ崎の名が付いたと思われます。

確かにこの地には不思議なパワーみたいなものを感じました。

長さ750mほどの規模の丘にも関わらず、天照皇大神、浅間神社、熊野神社、了源寺、寿福寺と寺社が集中しています。

動物園側の入り口

そして、加瀬台9号墳の周辺を歩いていると何やら地面から温かいものを感じました。(スピリチュアル次元の話です)

古代の人が何らかの神秘を感じて、この地に古墳や寺社を造営していたのかもしれませんね。

アマテルカミがお出ましになる天照皇大神に是非ご参拝ください。

(涼しい時間帯、涼しい季節のご参拝がおすすめです)

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマで読むヤマトタケ』池田満氏著

アシツヒメの父君 大山阿夫利神社 神奈川県伊勢原市

こんにちは!今日は前回ご紹介したコノハナサクヤヒメことアシツヒメの父君四代目ヤマスミカグヤマさんが鎮座する大山阿夫利神社をご紹介します。

訪問した当時はホツマツタヱを知りませんでしたが、参拝したいと思った矢先に呼んで頂きました。

大山阿夫利神社の下社は山の中腹にあり、麓から登山道を歩くと約1.5時間かかります。そのため多くの参拝者はケーブルカーを利用します。

大山のケーブルカー

こちらの神社におられるカグヤマさんの系図をおさらいしたいと思います。カグヤマさんアマテルカミ(天照大神)正妃ホノコヒメ(瀬織津姫)を輩出した名門の家柄オオヤマスミ家のご出身です。

オオヤマスミ家の系図

ホノコヒメ二代目オオヤマスミサクラウチさんコノハナサクヤヒメ四代目カグヤマさんです。

初代オオヤマスミイサナギ・イサナミ様ウヲヤヲキナ(後見の臣)二代目サクラウチさん・三代目カグスミさんは宮中に左近の桜、右近の橘を初めて植えた方々です。

長らく朝廷の重鎮であった由緒正しい家柄と言えます。

大山阿夫利神社由緒

大山阿夫利神社の由緒を見ると、相模国延喜式内の一社、創建は崇神天皇の時代とあります。山頂には祭祀に使われたとみられる縄文土器が発掘されており、この神社の歴史の古さを物語っています。

大山阿夫利神社 拝殿

本社・下社の主祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)、摂社の奥社祭神が大雷神(おおいかつちのかみ)、摂社の前社祭神が高龗神(たかおかみ)となっています。

御祭神にご対面

ケーブルカーを降りて、参道を歩くと大山阿夫利神社の下社に到着しました。

自己紹介と祝詞を奏上すると、御祭神は美鈴の来訪を喜んでおられたものの、深い悲しみに包まれていました。

『一体、どうされたのだろう』と思って見ていると、御祭神は『どうして人々は争うのか、、、』と漏らされたのです。

実は、美鈴が参拝したのは世界の情勢が不安定になった頃でした。連日参拝者の方が祈りに来られていたのでしょうね。

御祭神は世界で何が起きているのかをご存じで、胸を痛めておられたのです。

後々ホツマツタヱを読み、この御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと分かりました。

お若い頃のカグヤマさん:眷属の方に聞いて再現

これは美鈴の推測ですが、恐らくカグヤマさん大山にお入りになられたのだと思います。というのも、大山全体カグヤマさんの気で満ちていたのです。

カグヤマさん第九代アマカミオシホミミ様とは従兄弟同士でもあります。

オシホミミ様箱根の神山にお入りになられたのだから、カグヤマさんが大山にお入りになられたとしても、不思議ではありません。

情けを知る家柄

カグヤマさんにお会いして、オオヤマスミ家が長らく朝廷の重鎮であった理由が分かりました。一言で言うと『情けを知る家柄』なのです。

この情けとは人の心の働きを示す『ヰクラナサケヱダからきており、『他人に良くしようという心根』を指します。

カグヤマさんから感じたのは野心ではなく、ヲヲヤケを立てる精神、哀れ情けを知る高い精神性でした。

心の働きは明確に定義されていた

なぜカグヤマさんだと分かったか

さて、オオヤマスミとは代々世襲されていた名前で、オオヤマスミとだけ聞くと何代目なのか分かりません。

カグヤマさんが『我こそはコノハナサクヤヒメの父である』と名乗った訳でもありません。

では、なぜ御祭神がカグヤマさんだと分かったのかを書きたいと思います。

大山阿夫利神社の下社には、隣接した茶寮があり、中に入ると御祭神をより身近に感じることができます。

茶寮で休憩を取り、次に参拝予定であった近隣にある出雲大社相模分詞を調べていると、

出雲大社 相模分詞

御祭神が『出雲大社に行くのか?御祭神は良く知っているから伝えておこう』と楽しそうにおっしゃったのです。

美鈴はびっくりして思わず振り返ってしまいました。

そして、出雲大社相模分詞クシヒコさんオオクニヌシノミコトと呼ばれる)に大歓迎されるのですが、

この時点ではクシヒコさんのことはよく分かっていませんでした。

出雲の神様と大山の神様がツーカーな理由

当時は『近隣の神社の御祭神同士で交流があるのかな?』と思っていたのですが、

後にホツマツタヱを読んで、カグヤマさん(大山阿夫利神社の祭神)とクシヒコさん(出雲大社の祭神)は同時期にニニキネ様の兄、アスカヲキミに仕えた同僚であり、

義理の叔父、甥の関係であったことも判明します。

クシヒコさん

そして、クシヒコさんの歓迎ぶりから、大山阿夫利神社の御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと悟ったのです。

二代目オオヤマスミサクラウチさんではクシヒコさんと年代が合いませんし、恐らく面識もなかったと思います。

カグヤマさんの涙

実はカグヤマさん伊勢神宮の内宮の地にも御娘のコノハナサクヤヒメと共にお祀りされています。

この時は既にホツマツタヱを読んでいたので、一般的に知られているオオヤマツミノカミカグヤマさんだと分かっていました。

摂社ではありましたが、カグヤマさんはちゃんとお社におられました。

丁寧に参拝した後で、美鈴は思わず『カグヤマさんですよね?』と尋ねたのです。

参拝直前まで晴れていた摂社

すると突然バケツをひっくり返したような大雨が降りました。

美鈴が伊勢神宮に参拝した日は雨の予報でしたが、内宮に滞在している間中晴れていたのです。

『これはカグヤマさんの涙なのだ。きっと色々誤解されてお辛かったのだと思う』

深々とお辞儀をして、カグヤマさんの御前を後にしたのでした。

美鈴がお会いしたオオヤマツミノカミは愛情深い、とっても愛嬌のある優しい方でした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマ辞典』:池田満氏著

アシツヒメの涙 公所浅間神社 神奈川県大和市

こんにちは!今日はコノハナサクヤヒメことアシツヒメに縁の神社をご紹介します。

アシツヒメとは、皇孫ニニキネ様の正妃であり、アマテルカミ(天照大神)の孫でもあります。そして、

コノハナサクヤヒメを詳しく知りたい方は以下の記事をお読みください。

【お二人のエピソードをお読みになりたい方はこちらをクリック】
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(前編)
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(後編)
皇孫ニニキネ様

例によって、神奈川県神社庁のホームページで浅間神社の一覧を見ていたところ、

神奈川県大和市に鎮座する公所(ぐぞと読むらしい)浅間神社が気になったので訪問することにしました。

アシツヒメの地元

アシツヒメアマテルカミの正妃ムカツヒメのご実家オオヤマスミ家のご出身です。

浅間神社の多さから見ても、富士南麓~大山周辺アシツヒメの地元であることは動かないと思います。

公所浅間神社 鳥居

この神社のすぐ傍には下鶴間甲一合遺跡もあるし、見るからにアシツヒメがお出ましになりそうな神社です。

古墳時代後期の遺跡らしい

こちらの神社は入口が2つあって、拝殿正面の鳥居ではなく、社務所の方から入ってしまいました。

いきなり目の前に神明造の拝殿が現れたのでびっくりしましたが、丁寧にお辞儀をしてご挨拶をします。

神奈川県は神明造の社が多い気がします

アシツヒメはスピリチュアルなお方

実はアシツヒメの母君であるエノシマカミ(江島神社 辺津宮祭神)には何度もお会いしていたのですが、御娘のアシツヒメとご対面するのは初めてなので少し緊張しました。

ニニキネ様の疑いを晴らすために、ご自身がお産みになられた三人の御子と共に小屋に入り、

火を放ったエピソードはあまりに衝撃的で、一体どんな方なのだろう?と思っていました。

頻繁に参拝に来ているらしい男性が去った後、拝殿前には美鈴一人になりました。

早速祝詞を奏上すると、突如拝殿手前の木に何十匹もの鳥の大群が飛んできました。

拝殿手前の木

通常、夕方になると鳥の大群がねぐらがある木に飛んできます。しかし今は朝一番、鳥の大群がねぐらに帰る時間ではありません。

そして、大群の鳥たちとともにアシツヒメがお出ましになったのです。

アシツヒメの涙

自己紹介と多大な貢献をして下さった感謝をお伝えすると、なんとアシツヒメはお泣きになるではありませんか。

言うに言えない思いを抱え、感極まって泣いているという感じです。

(余談ですが、泣き方までウガヤフキアハセズ様にそっくりでした)

『あのう。。。』と問いかけても、お返事がありません。

思わず『そんなにお泣きにならないでください』と言いかけた時、ふっと、アシツヒメの気配がなくなりました。

『どういうことなんだろう?』ずっと頭に疑問が残り、その後も何度か参拝にお伺いしたのですが、アシツヒメの気配は感じるものの、美鈴の前に姿を現さなかったのです。

涙の理由

美鈴なりにアシツヒメの涙の理由を考えてみました。母君のエノシマカミと未だに確執がある?いやいや、既に二千年以上も前の話です。

母君のタキコヒメ:目鼻立ちがはっきりしているところが似ています

それに三男のホホテミ様は立派なアマカミ(天皇)にまでなられています。

もしかして、通説とホツマツタヱの逸話が違うからかな?』と思ったのです。

実は美鈴は一般的に知られている内容をほとんど知りません。そこでニニキネ様とアシツヒメの一般的に知られている内容をネットで探して読んでみました。

正直、ショックを受けました。ホツマツタヱに書かれている内容とあまりにかけ離れているし、御父上のヤマスミさんニニキネ様に対して、かなりぞんざいな物の言い方をしています。

これは事実ではありません。御父上のヤマスミさん大山阿夫利神社でお会いしていますが、とっても愛情あふれる優しい方だったのです。

それに、全国的に功績を立てられたニニキネ様に対して、ぞんざいな口をきける人など一人もいなかったはずです。

恐らくこれなんだと思う。(それにニニキネ様の功績が知られていないのもお辛いのだと思う)

アシツヒメその後

昨年末、ニニキネ様小田原の賀茂神社でお会いしたことをきっかけに、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの記事を書いた後に、再びアシツヒメにお会いしました。

なんと、アシツヒメはお顔も明るく晴々として、それはお喜びだったのです。

『やはりそうでしたか、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの真実のエピソードを知って欲しかったんですね』

美鈴が公所浅間神社でお会いしたのは、二千年以上経っても一途にニニキネ様を思い続けるコノハナサクヤヒメ)の姿だったのです。

おまけ

アシツヒメは実に様々な姿でお出ましになることがあります。

ある時は可愛らしい龍雲でお出ましになられたり、、、

アシツヒメの龍雲

またある時はヒヨドリの姿でお出ましになります。

何故ヒヨドリなのかは分かりません

もし、皆さんの周りに大きな龍雲や、ヒヨドリが現れたら、アシツヒメ=コノハナサクヤヒメが見守って下さっているサインかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました!