あの方とのご対面 栃木県日光 二荒山神社(後編)

こんにちは!日光 二荒山神社クシヒコさんの御父上オホナムチさんにお会いするお話の続きになります。

二荒山神社へは東武日光駅から『世界遺産めぐりバス』で15分くらいでした。

バス停を下りると朱塗りの建物が見えました。『うわー何もかもが素敵すぎる!』と思わず感激してしまいました。

バス停目の前の建物

折しも日光は小雨が降りしきり、山全体に霧がかかり、雰囲気が出ていました。

マイナスイオンで浄化される
立派な参道です

オホナムチさんはどんな方?

神門を通り抜け、手水舎で手と口を清めて、拝殿に進みます。

優しい波動に包まれる拝殿

拝殿の前に進み出ると、『あっ、これは紛れもないアマテルカミ(天照大神)の波動!

まさしく、アマテルカミ(天照大神)の御娘タケコヒメのもの!

そしてはオホナムチさんはというと、とても謙虚で控えめ、そして池田氏の著書にあったとおり本当にお優しい方でした。

お似合いなお二人

なんてお優しいお方なんだろう』と思わず見つめてしまいました。

クシヒコさんはこんなにお優しいご両親からお生まれになったのですね)

オホナムチさんはどちらかと言えば、イナダヒメに似ておられて、引き締まったお体と整ったお顔がとても素敵です。

(実は、カミヨの時代は重鎮の方も粗食でした)野菜を常食し、獣肉はよほどの場合を除いては禁忌でした。

日の光を浴びた新鮮な野菜をヒモロゲといいます

オホナムチさんの涙

早速、祝詞を奏上して、『この国の発展のご尽力くださり、ありがとうございます』とお伝えすると、

何と!オホナムチさんは涙ぐまれるではありませんか!

(自分を良く知る人の訪問は、やはり嬉しいのでしょうね)

境内にあった親子杉

タケコヒメは美鈴に話しかけることはありませんが、いつもお優しい微笑みをたたえておられます。

ちなみに、タカヒコネさんは分からなかったのですが、眷属の方のお話では、ちゃんとおられるそうです。

タケコヒメ

しばらくお二人の前にいたのですが、ツアー客の方が来られたので、お二人に改めてお礼をお伝えして御前を失礼しました。

神苑見学の前に

拝殿の左手を目ると神苑入口があり、入場料300円を払うと見学できるようでした。

すると突然、『ちょうど人も少ない、ゆっくり見学するとよい』と、オホナムチさんの声が聞こえました。

あれ!?もしかして、お話できますか?』っと、あわてて拝殿に戻って話しかけてみましたが、オホナムチさんは遠慮されているようで、何も語りませんでした。

神苑には『二荒霊泉』や銭洗所など、見どころが沢山あっておすすめです。(休憩所もあります)

二荒霊泉

この神苑には大国殿という建物があり、田道間守(たじまもり)という方がお祀りされています。

田道間守さんの像

タジマモリさんとは、日本に帰化された新羅(しらぎ)の王子アメヒボコさんの5世孫にあたる方です。

アメヒボコさん長子であったにもかかわらず、弟に王位を譲っての帰化でした。

イクメイリヒコ(垂仁)天皇のミコトノリにより、タジマモリさんヒタカミ(東北)タチバナの木の実を求めて旅立ちます。

苦労の末、タチバナの木を持ち帰るのですが、イクメノキミは既に身罷られていたのです。

絶望したタジマモリさんは陵の前で自害してしまいます。このタジマモリさんの忘れ形見がヤマトタケさんの妃ヲトタチバナヒメですね。

ヲトタチバナヒメ

オホナムチさんおすすめの景勝地

神苑を思う存分堪能した美鈴は、あらためてオホナムチさんにお礼を伝えに行きました。

去りがたい心境ではありましたが、参拝者も次第に増え始めたので、帰ることにしました。

去り際にオホナムチさんが『神橋も見ていくといい』とおっしゃたので、

ん?神橋?来る途中で見えた朱塗りの橋のことかな?

来る途中で、大きな橋を見かけたのですが、二荒山神社の一部だったのですね。

折角、オホナムチさんがすすめて下さったので、見学して帰ることにしました。

神橋:霊域への入口を示す

拝観料300円を払うと、橋を渡ることができます。見ごたえのある立派な橋でした。

二荒山神社を思う存分堪能した、ようやく帰途に就くのでした。

オホナムチさんは自国の出雲を豊かにし、朝廷を軽く見るようになり、右の臣を解任されることになります。

そんな過去があったなんて驚くほどに、とても謙虚な方でした。本当にタケコヒメと仲睦まじかったと思います。

オホナムチさんに会える神社、日光二荒山神社を是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏著

あのお方とのご対面 栃木県日光 二荒山神社(前編)

こんにちは!さて、今回は『あのお方の御父上』と対面が叶いましたので、そのエピソードを書きたいと思います。

『以前は色んな神社に呼ばれていたのに、伊勢神宮参拝後はめっきり呼ばれなくなった』とブログで書きました。

美鈴をしきりに呼んで下さった方の一人が、クシヒコさん(一般的にはオオクニヌシと呼ばれる)の御父上のオホナムチさんだったのです。

オホナムチさんはタケミナカタさんの父でもある

そこで『オホナムチさんにお会いしようと思うのですが、いかがでしょう?』と眷属の方に尋ねると、

ぜひ行くがよい。さぞ喜ばれるであろう』ということで、

早速、日を選んでオホナムチさんが呼んでくださった二荒山神社(栃木県日光市鎮座)に向かったのでした。

(ちなみに栃木県は関東なので、日光はさほど遠くないです)

日光二荒山の由来

ホツマツタヱによると、カミヨ(上古代)の時代の重鎮、ヲバシリさん(=香取神宮の祭神 フツヌシさんと同一人物とされる馬術の名手でした。

そこで、オホナムチさんの次男アチスキタカヒコネさんはヲバシリさんから馬術を習得します。

高度な乗馬術、『アレノリワザ』を習得したタカヒコネさんは、アマテルカミ(天照大神)から『フタアレカミ』の褒め名を賜ります。

この『フタアレ』に後世、『二荒』の漢字があてられ、『二荒』を音読みして『ニコウ、ニッコウ』という名称になったそうです。

日光一帯はタカヒコネさんが馬術練習を行うのに最適な地であったと池田氏は述べています。

なんと!ニニキネ様ホホテミ様まで、タカヒコネさんに馬術を教わりにお出ましになられたそうです。(凄い方だったんですね!)

ちなみに要人お迎えした行宮宇都宮市に鎮座する二荒山神社と想定されています。

二荒山神社の鳥居

日光二荒山の御祭神

二荒山神社のホームページを見ると、御祭神大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)とあります。

オホナムチさんは、ご自身を祭る神社が多数あるなかでも、日光二荒山を指定されました。

恐らくこの神社の方はオホナムチさんの由緒をちゃんとわかっておられて、オホナムチさんを大切にお祀りしているのだと思います。

二荒山の案内板

オホナムチさん国譲りの後、ツガル(岩木山山麓一帯)で豊かな国をつくり、ウツクシタマの讃え名が与えられたあります。

きっと、東北方面に向かった史実が正しいと伝えたいご意思もあったのかもしれませんね。

オホナムチ=オオクニヌシは同一人物?

さて、一般的にはオホナムチさん(大貴己命)オオクニヌシ(大国主)同一人物説があるようです。

ホツマツタヱでは、オオクニヌシオホナムチさんの息子のクシヒコさんとなっています。

オホナムチさんの息子:クシヒコさん

では実際に美鈴が参拝したところ、オオクニヌシを祀る神社では、息子のクシヒコさんにお会いしました。

今回初めて、オホナムチさんとはっきりご対面するので、ちょっとドキドキしましたが、早速鳥居を抜けて、二荒山神社へ参拝に向かいます。

折しも雨が降っていて、日光一帯に霧がかかっていました。

さて、オホナムチさんは一体どんな方だったのでしょうか?

長くなりましたので、続きは次回紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著

ソサノヲ夫婦登場! 相模国総社 六所神社

こんにちは!今日は神奈川県中郡大磯町鎮座する相模国総社の六所神社を紹介します。

総社とは特定地域の神社を合祀した神社のことです。こちらの御祭神は櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊の三柱です。

なんと、この六所神社は御祭神のソサノヲさんイナダヒメがリアルにお出ましになります。

六所神社に限らず、神奈川は上古代(カミヨの時代)の御祭神がリアルにお出ましになる神社が多いです。

これは恐らく、神奈川の海岸沿いは富士南麓にあったアマテルカミ(天照大神)のミヤコ(ハラミノミヤ)に近く、ヒタカミ(東北)に向かう交通の要所であったためと思われます。

では、今回は六所神社とソサノヲ夫婦の魅力をたっぷり紹介したいと思います。

六所神社

毎年5月5日に、国府祭(こうのまち)というお祭りが大磯町で開催されます。

このお祭りでは、相模国一之宮から五の宮までの神輿が集い、神揃山の『座問答』をはじめ様々な神事が執り行われます。

ゴールデンウイークということもあり、久しぶりに御祭神のソサノヲさんにご挨拶に伺おうと、息子を連れて六所神社に向かったのでした。(これは2024年5月5日のお話)

ソサノヲさん(アマテルカミの弟)

六所神社由緒とクシイナダヒメ

神社の由緒を見ると、崇神天皇の時代に出雲より移住し、この付近を開墾した人々が柳田郷と名付け、出雲の祖神である櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊をお祀りしたとあります。

とういことは、恐らくこの地に移住した人はソサノヲさんの子孫なのでしょう。クシイナダヒメとはソサノヲさんの妻であり、当時島根県を治めていたアシナツチという豪族の娘にあたる方ですね。

アシナツチさんには8人の娘がいて、ソサノヲさんと縁談話が持ち上がるたびにハヤコヒメソサノヲさんの兄、アマテルカミの妃、ソサノヲさんと恋仲になる)に殺されてしまいます。

覚悟を決めたソサノヲさんハヤコヒメを斬り、アシナツチさんの8番目の娘であるイナタヒメを妻に迎えます。

ソサノヲさんのお呼び出し

JR東海道線二宮駅からバスに乗り、六所神社最寄りのバス停で降りると、丁度、国府祭の目玉である『神揃山の座問答』が始まるようで、バスを降りた人が一斉に神揃山に向かいます。

神揃山の神事かぁ、それはちょっと見たいかも』と、思わず行列の後を歩くと、

突然、ソサノヲさんから『こちら(六所神社)にいる』と言われました。(丁度今、神社は人が少ないので来るがよいという意味ですね)

美鈴『はい!ソサノヲさん、ただいま!』とUターンして六所神社へ向かうのでした。

ここで美鈴は『ん?神揃山の神事があるのに、どうしてソサノヲさんは六所神社におられるのだろう?』と不思議に思っていると、

六所神社鳥居
六所神社境内

本殿でも神事が行われていたので、ソサノヲさんは神社におられたようです。入り口付近の池には色鮮やかな鯉も泳いでいて、とても素敵な神社ですね。

鯉の餌も売っていました

早速、本殿に向かい、仲良く並んでお出ましになっているソサノヲさんイナタヒメにご挨拶をします。

ソサノヲさんとイナタヒメの婚儀

イナタヒメの意外な素顔

奥様のイナタヒメとはっきり対面でお会いするのは初めてなので少し緊張します。

『この国の発展にご尽力くださり、感謝申し上げます』とお伝えし、おずおずとイナタヒメを見つめると、『あれ?』と思いました。

てっきり、ソサノヲさんに守られているか弱い女性をイメージしていたのですが、ちょっと違いました。

いわゆる『できる女性』なのです。今風に言うならば『ビジネスセンスというか、商才がある方』なんです。

そうか!ソサノヲさんバイタリティとこの方の商才が掛け合わさり、オホナムチさんという優れた息子が生まれ、出雲の国を爆発的に豊かにしたのか!と納得したのでした。

イナタヒメ商売繁盛を祈願するのは理にかなっていると言えますね。

神事でお忙しいのか、イナタヒメは美鈴に話しかけることはありませんでした。何度も御礼をお伝えして、御前を失礼しました。

イナタヒメ、一押しの授与品

授与所を覗いてみると、『湯津爪櫛』という櫛の形をした根付が売っていました。

クシイナダヒメクシから取っているのかな?』と興味を持ち、

緑色の根付を選んで買いました。(根付の色は黄色やピンクなど何種類もありました)

湯津爪櫛の根付

すると、神事の途中なのに、突然『そうか!そなたはそれが気に入ったのか?』イナタヒメ美鈴に話しかけてニコニコ笑っておられます。

どうやらイナタヒメは御自身由来の『湯津爪櫛』気に入っているようなのです。

(美鈴がこの根付を選んだら、非常に喜んでおられた)やはり商才のあるイナタヒメなのでした。

ソサノヲさんの不思議な波動

六所神社の裏に小さな公園があるので、お子様連れの方は嬉しいですね。

参拝を終えて息子と公園で遊んでいると、子どもが大好きなソサノヲさんは、神事の最中にも関わらず、こちらに意識を投げかけてくれます。

波動の良い神社は、光の流線やオーブが良く写ります

公園から丁度本殿の裏手が見えます。

ソサノヲさんは独特な波動をお持ちの方で、じんわりとポカポカ暖かい、遠赤外線のような波動をお出しになる方なのです。

色んな御祭神にお会いしていますが、この波動を出される方はソサノヲさんだけで、この波動に触れただけでソサノヲさんだとすぐに分かります。

ソサノヲさんはとても暖かく心地よいエネルギーで包んでくださるので、ずっとその神社に居たくなってしまうのです。

頭上には飛行機雲

ソサノヲさんは息子の上空に飛行機雲を飛ばせてみたり、息子の近くにスズメを歩かせたり、あの手この手で息子を喜ばせようとしてくれます。

(本当に子供がお好きなのです)

本来ソサノヲさんはこういう方なのだと思う。ソサノヲさんの過去はもうずっと昔の話、死の境地をも超えたソサノヲさんは、今は慈愛の波動で包まれています。

ずっと居たくなる六所神社の不思議な空間

ソサノヲさんイナタヒメにお会いできる六所神社に是非ご参拝ください。

国府祭(こうのまち)も是非チェックしてみてください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の大きな決断

こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇「ハツクニシラスミマキノヨ」と詠われたマツリゴトの内容を紐解いていきたいと思います。

その前に、ミマキイリヒコ(崇神)天皇が行ったマツリゴトで、特に祭祀にまつわる事項を以下にまとめました。

ミマキイリヒコ天皇の祭祀については、また別の機会に述べたいと思いますので、概要のみ簡単に掲載します。

以下、補足説明
・トヨスキヒメ=崇神天皇皇女で、16歳で斎王としてアマテルカミに奉仕
・ヌナギヒメ=同じく崇神天皇皇女で、オオクニタマに奉仕
・カサヌヒ=現:奈良県桜井市三輪山山麓とされる
・ヤマベ=現:奈良県天理市大和神社とされる

それでは、いつものようにホツマツタヱ本文から詳細を読み込んで、「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相に迫りたいと思います。

池田満氏の訳文を参考にし、書き下し文を書いてみましたので、ご参照ください。

※何分素人の書き下し文ですので、至らぬ点はご了承ください。

ホツマツタヱ 34アヤ 21~25項
第十代 ミマキ(崇神)天皇十二年三月十一日、ミマキイリヒコ(崇神)天皇がミコトノリを発した。

天つ日嗣を私が引き継いでから、国家国民を案ずること十分に為し得るに至らなかった。

天候も不順となり、ついに疾病(えやみ)が流行し、国民の半ば近くが病没する惨状となった。

ミマキイリヒコ天皇
これらのことを起こさせたる主因は、我が父が押し通した過ちにあったのではなかろうか。

その他にも、諸ごとにおいて差し障りがあったことも想像されるので、全てのツミを祓い除かねばならないと手段を講じてきた。

そもそもアマテルカミとオオクニタマは特に尊ぶべきであると、専門に祭祀するために、トヨスキヒメとヌナギヒメをミツエシロ(斎王)として奉仕させた。

自らを省みる謙虚な姿勢が伺えます、また御自身の父親の誤りを包み隠さず露わにし、反省する姿に感銘を覚えます。

では続いて見ていきます。

それでも大規模な疾病の流行が起きたのでついに我が父に過ちがあったことを知るところとなった。

それはスヘラギである私自らの出生にも関わるため、特に世の中に悪影響が広がったのであろう。(中略)


よく考えてみると、指導者層に較べて一般国民の疲弊は、なお重いようだ。そこでタミに課せられているユハズ・タズエのミツギ(税)をこの年は免除することにした。

こうした配慮もあって、重い疾病災害からの復興も成し遂げられた。

ミツギ(税)免除という思い切った政策は、それ以前に例が無かったことから、ミマキイリヒコ天皇の治世は『ハツクニシラスミマキノヨ』と名付けられた。

さて、以上の内容を紐解いてみると、重い疫病からタミの負担を軽くするために税を免除したというのが「ハツクニシラスミマキノヨ」の真相であることが分かりました。

ミマキイリヒコ天皇のお心に学ぶアメナルミチ

税の徴収とは、朝廷の運営にあたり国会維持に必要な経費です。

しかし、疾病による国民の疲弊を考慮し、税の免除をお考えになった崇神天皇のお心は尊く、『キミが国民の全てを慈しみ恵もうとする』というアメナルミチに依拠しているといえます。

池田氏の言葉をお借りすると、結局のところ治世の要諦というものは、「タミヤスク」(国民の幸福の実現)に尽きるということが分かります。

アマテルカミアメノミチに対して抱いていたイメージは、「ヒトグサノナゲキヲヤワス」(国民の嘆きを和す)マツリゴトを実現していくことでした。

アマテルカミ

このアメナルミチの精神がヒトノヨの時代、ミマキイリヒコ天皇の受け継がれて、ホツマツタヱに記載されていたことは改めて強調しておきたいと思います。

そして、このアメナルミチの精神は現代に生きる私たちにも重要な教えであると感じざるを得ません。

今後もアメナルミチをより探求していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 / 『ホツマツタヱを読み解く』池田満氏著

ミマキイリヒコ(崇神)天皇のお心に学ぶアメナルミチ

こんにちは!今日はミマキイリヒコ(崇神)天皇にフォーカスをあてて、アメナルミチの考察をより深めていきたいと思います。

突然ですが、皆さんは崇神天皇と聞いて、何をされた方と思い浮かべるでしょうか?

確か崇神天皇の御代に大規模な疫病が起こったぐらいしか、美鈴には思い出せませんでした。

実は、アメナルミチを大成させた素晴らしいスメラギ(天皇)であったことがホツマツタヱに書かれています。

※ヒトノヨの時代になると天皇の呼び名がアマカミからスヘラギ、スメラギに代わります。

ミマキイリヒコ(崇神)天皇カミヨからずっと時代が下ったヒトノヨ第十代天皇で、ヲシロワケ(景行)天皇の祖父にあたる方ですね。

第十代ミマキイリヒコ(崇神)天皇
第十一代イクメイリヒコ(垂仁)天皇
第十二代ヲシロワケ(景行)天皇
イクメイリヒコ(垂仁)天皇

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の素顔

崇神天皇の素晴らしさは、第十一代 イクメイリヒコ(垂仁)スメラギミコトノリから伺い知ることができます。松本善之助氏の著書から書き下し分を見ていきたいと思います。

※松本氏の書き下し分を紹介させて頂いておりますが、ここまで分かりやすく説明して下さっている松本氏並びに池田氏に対し、改めて畏敬の念を表します)

ホツマツタヱ 36アヤ13頁
第十一代スヘラギ ヰソサチ・イクメイリヒコ(垂仁天皇)二十五年 二月八日に、
※(ヰソサチとは恐らくイミナのこと)

次のようなミコトノリ(勅)がタケヌガワケ、クニフク、ミカサ・カシマ、トイチネとタケヒの
五重臣に出された。

「我が御親、第十代 ミマキノキミ(崇神)は聡明で、日本古道アメノミチを悟っておられた

御日常を拝すれば、常に自らを省みておいでだった。

御自分の誤りをただすのには厳しく、御人柄は誠に謙虚である。

崇神の念あつく、ここに一身をこめる。このようであったからこそ、

天地もこれに和して五穀や野菜などの食料は豊作になり、民もゆたかだった。

私も先皇にならって怠らずに、神まつりしてゆく決心である」

いかがでしょうか?ホツマツタヱを読むまでは、崇神天皇がこのように謙虚で素晴らしいお人柄であったと知る由もありませんでした。

ミマキイリヒコ天皇の功績

それでは、ミマキイリヒコ天皇は一体どのような功績を立てられたのでしょうか?

実は崇神天皇は、「ハツクニシラスミマキノヨ(=これまでに前例がないミマキ天皇の御治世)」

とまで詠われた方だったのです。さて、前例のないマツリゴトとは一体どのようなものだったのでしょうか?

ちなみにネットの情報では、戸口を調査して、初めて課役を科した天皇と書かれています。

しかし、ホツマツタヱを読むと、租税は既にカミヨ(上古代)の時代に「ミズホ」「チカラ」、「ハツホ」として存在していました。

以下の一文をご覧ください。

ホツマツタヱ24アヤ75頁
ミヤコトリ(イワツバメを指す)に雌花を投げてやると喜んで弄んだので、その様子を衣装のデザインにして、

トリタスキと呼んだ。またそのごとく、マツリゴトを行った結果、多くのチカラ(租税)が献上された。

コモリカミはチヨミクサ(薬草)をミハ(御衣)のデザインにした

この一文から、既に税収(ミズホ・チカラ)があったことが分かります。

また、戸籍については、以前に一人のモノノベ(現在の警察官)は一夫婦を一家族として、3,200家族の面倒を見ていたと書かれているので、既にカミヨの時代にあったと想定されます。

となると、「ハツクニシラスミマキノヨ」(前例がない崇神天皇の御治世)という表現では、矛盾が生じてしまいます。

ハツクニシラスミマキノヨの本当の意味

では、何をもってハツクニシラスミマキノヨとまで詠われたのでしょうか?

ミマキイリヒコ(崇神)天皇

その内容はホツマツタヱにきちんと書かれているので、次回紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ 松本善之助氏 / ホツマツタヱを読み解く 池田満氏