アマテルカミ 横須賀にもおでましに?

こんにちは!先日アマノコヤネさんがお出ましになる神社を探していたところ、偶然にもアマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社を見つけたのでご紹介します。

横須賀市長沢に鎮座する天照大神(てんしょうだいじん)です。

天照大神の境内
【御祭神】

大日・貴尊、木花咲夜毘売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大雀命、天児屋命 (神奈川県神社庁ホームページより)

眷属の方のお話では、なんとアマノコヤネさんはこちらの神社にもお出ましになるようです。

「この神社はアマテルカミをお祀りする神社のようですが?アマテルカミもお出ましになられていますか?」と尋ねたところ、

ちゃんとお出ましになるのだそうです。

早速、横須賀の天照大神に参拝に伺うことにしました。

京急久里浜線YRP野比駅からバスに乗るそうですが、歩くことにしました。

汗ばむ中、上り坂を歩くと、立派な社号碑が見えてきました。

実物はかなり大きいです

入り組んだ住宅街の中にあり、ちょっと迷ったのですが、案内の社標のお陰でようやく鳥居に辿り着きました。

小高い丘の上にあり、地元の方に大切にお祀りされている神社のようです。

由緒を伝える石碑があったので読んでみます。(随所略)

【由緒】

当社は天照大神を主祭神とし、口承によれば江戸時代のお伊勢参りの盛んな頃、
里人の三家(げんぜむ、きゅうぜむ、さんぜむ)が長澤のお伊勢山の地に伊勢の御分霊を勧請し、
長沢の鎮守さまとして、奉斎したのがその始まりと伝えられています。

アマテルカミ(天照大神)の御神徳を肌で感じておられる石碑に感銘を受けました。

拝殿横の看板には、

天照大神はいつの時代にも変わりなく、厳然として地域社会に存在しています。そして、毎年繰り返される祭りを通じ、伝統を継承し、社会秩序の安定に寄与し、人の和、地域の和を広げそのきづなを固く、つよくして下さいます。

きっとアマテルカミ(天照大神)の本質を理解されている方が書かれたのだと思います。

以上を踏まえて、早速アマテルカミに参拝したいと思います。

いつものように祝詞を奏上し、日々の感謝をお伝えすると、アマテルカミは神々しいばかりにお出ましになられました。今日はまた一段と光り輝いておられます。

今回は濃紺のお召し物を身にまとっておいででした。いつものようにニコニコ微笑まれています。アマノコヤネさんも嬉しそうに見守っておられます。

深々と一礼をして、御前を失礼しました。

拝殿

神社周辺も気の流れが良く、アマテルカミがお出ましになる神社に共通している特徴ですね。

清々しい気持ちになれる、天照大神(てんしょうだいじん)に是非ご参拝ください。

おまけ

折角なので、参拝後にYRP野比駅周辺を散策する事にしました。

駅から徒歩10分ぐらいになる野比海岸に行ってみました。

ヨコスカの看板が印象的

海岸から房総半島が見渡せました。日暮れ前に帰宅したので見れなかったのですが、夕日も綺麗だそうですよ。

ちょっとした公園もあったので、お子様連れの方も楽しめそうなエリアでした。

それでは今日はこの辺で終わりにします。

最後までお読みいただきありがとうございました!

オキツヒコさんに見る夫婦の教え

こんにちは!今日はホツマツタヱからオキツヒコさんのエピソードをご紹介します。

このオキツヒコさんは一般的には竈神(かみどかみ)=『家庭の火を司り、煮炊きを助ける神』として信仰されているそうです。

では、ホツマツタヱではどのように記載されているのか見ていきたいと思います。

その前に、オキツヒコさんとは誰なのかを説明します。

オキツヒコさん

オキツヒコさんとは

オキツヒコさんソサノヲさんの孫にあたる方です。ニニキネ様コノハナサクヤヒメのエピソードでも出てこられる方ですが、

ニニキネ様アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)ウタを送る際に、勅使に選ばれた方です。

ニニキネ様の側近だったのでしょうね。)

もっと厳密に言うと、ソサノヲさんの6番目の御子、クラムスビさんの息子にあたります。

竈(かまど)の歴史

さて、オキツヒコさんのエピソードに入る前にちょっと竈(かまど)の歴史について触れたいと思います。

ホツマツタヱではミカマト(御竈所)の名称で出てきます。ということは、カミヨ(上古代)の時代に既に竈が存在していたことになります。

煮炊きで食生活が豊かに

カマト(竈)が存在しているのですから、当然カマ(釜)ニステカマ、ナベ・テナベ等、調理具に関する用語が出てきます。

池田満氏によると、カマトに掛けられていた用具は土器であり、考古学の研究に拠れば土器の存在は優に1万年は遡るのだそうです。

実際に神奈川県の下溝遺跡群で頂いたパンフレットには、縄文時代中期(5,500~4,400年前)には煮炊き用貯蔵用の土器が存在し、煮炊きができるようになったことで人々の食生活が安全で豊かになったと書かれています。

4,400年前に煮炊き用の鍋があったならば、アマテルカミの時代(B.C700~500年頃とされる)にはもっと使い勝手の良い鍋になっていたことでしょう。

どうしてミカマト(御竈所)の神になったのか?

それでは、オキツヒコさんのエピソードをホツマツタヱ本文から見ていきたいと思います。

今回は日本の古代文字ヲシテ語で掲載します。

ホツマツタヱ13アヤ 19-22
23アヤ 23-25

以上、ヲシテ本文からの引用です。

現代では使われない言い回し等あるため、随所で分からない箇所もありますが、美鈴なりに訳を考えてみました。

(何分素人の訳文ですので、誤りがある場合は何卒ご了承ください)

あるときオキツヒコさんは妻と仲たがいをし、縁が切れてしまいます。

父のウホトシさんが身内を呼んで、伊勢の宮にてマフツの鏡を覗いてみると、
夫がニステガマを分けて、妻はツクマナベを隠しています。

なんとかよりを戻して欲しいのに、とうとう夫も立ち去ろうとしています。

そこで、父親のクラムスビさんがオキツヒコさんを叱ります。
そして、汚れてしまったニステガマを磨くように言うのでした。


オキツヒコさんは親の言うとおりにして、再び妻とよりを戻します。
めでたく仲睦まじくなった二人はイモヲセ=(夫婦)の道を
守り、諸国を巡りこの逸話を世に知らせます。

アマテルカミはこのことをお褒めになって、
カマトカミの褒め名を与え、汚れてしまったテナベも
磨けば光ると仰せられました。

それで、オキツヒコさんは竈神(かまどかみ)としてお祀りされているという訳なのでした。

上古代のアマカミ(天皇)であられた、アマテルカミ(天照大神)が説いた夫婦のミチを『イセノミチ』と言います。

このオキツヒコさんのエピソードは、アマテルカミが説いたイモヲセのミチが詳細に書かれている、

ホツマツタヱ13アヤに記載がありますので、興味のある方は是非お読みください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

参考図書:池田満氏『ホツマ辞典』