身分・家柄問いません~上古代のトミに求められた素質とは~

こんにちは!前回の記事で第三代アマカミ(天皇)トヨクンヌ様の時代にキミ(君)トミ(臣)タミ(民)の三階層が生じたと書きました。

今回は、このトミ(臣)中間指導者層の役割についてフォーカスを充てていきます。

上古代(カミヨ)の中間指導者層に求められた素質とは、人々にミチを教え、民の暮らしをより豊かにすることでした。

前回の記事でもご紹介したワカヒメ様オモイカネさんの間に産まれたタチカラヲさんは、アマテルカミ(天照大神)の甥御さんたちの中でもひときわ優秀なトミでした。

タチカラヲさん(イミナはシツヒコ、別名トカクシともいう)

タチカラヲさんは暇があれば全国各地を巡行し、人々にミチ(農業指導)を教え、食料の増産に貢献していました。

そんなタチカラヲさんアマテルカミ(天照大神)はお褒めの言葉を賜ります。

少しの暇を見つけては人々の指導に赴こうとする尊い姿勢はあたかも、第七代アマカミのイサナギ様のようだ。
思えば、イサナギ様は次のようなウタをお詠みになられた。
イサナギ様の詠まれたウタ

美鈴は色んなワカに親しんできましたが、これほどまでに素晴らしいウタを詠んだのは初めてでした。

まず、身分が物を言う時代には、到底有り得ないことが書かれています。

では、早速ウタの意味を見ていきましょう。

上古代のトミに求められた素質

アマテルカミが上記のイサナギ様のワカを朗誦すると、その場に居合わせたアマノコヤネさんは次のように解説をしました。

とても分かりやすい内容ですので、是非お読みください。

アマノコヤネさん 眷属の方にお話を聞いたイメージ
マツリゴトの基本姿勢はタミの一人一人にまでも親身になって、その人に合った指導を
わだかまりの心なしに行き渡らせることが大切です。
農耕技術やその他の手仕事の技術も教えて、タミの一人一人の暮らしが立つようにすることです。
人々が仕事に精を出すように仕向ければ、それぞれのイエも豊かになって、
国家運営の礎の税の増収につながります。
人々を導き、豊かな社会を具現する人があれば、たとえ身分の低い出自であっても
上位のトミ(臣)として、任じられるでありましょう。

トミは一般の人々にミチ(トノヲシテを基本として生じたアメノミチ)を教え、人々の幸せのために尽くそうとする精神が求められました。

優秀な人材確保の課題

トミにはまた、トノヲシテ(初代クニトコタチが樹立した建国の理念を指す)を広める役割もありました。

しかし、その責務をなかなか果たせない現状にあったために、イサナギ様は世襲制が主流だった身分制度に改革を加えようとされました。

第七代アマカミ イサナギ様

このウタからも「自分が、自分が」ではなく「世のため・人のため」という精神が上古代の指導者に根付いていたことが分かります。

たとえ、地位や身分があったとしても、求められる職務をこなせないのでは、業務が回らなくなり、効率も悪くなります。

イサナギ様の試みは民の生活をより豊かにするうえでも必然であったのでしょう。

ヲヲヤケ(Public)の重要性

また、トミの地位にいる人には、ヲヲヤケを立てることが求められました。

これは、オホナムチさんの例を見ると分かりやすいと思います。

オホナムチさんは自国の出雲を豊かにしたことで驕慢となり、朝廷を軽く見たため右の臣を解任されます。

そのため、息子のクシヒコさんが、

と諫めをします。

クシヒコさん(オオクニヌシノミコトと呼ばれる)

つまり「一国の幸せよりも、全体の幸せを実現することの方がより尊い」という意味が込められています。

現代におけるトミの役割

現代においてはこのトミ(臣)に相当するポジションがほぼ皆無であると池田氏は述べています。

そのため、一般の人々が自らを律してゆく術を身に着けて、トミの役割を担っていく必要に迫られています。

アマテルカミは次のように仰いました。

よりよい世の中にするためにも、一人一人がより精神的に自立することで、よりよい社会になっていくのではないかと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマツタヱ』を読み解く 池田満氏著

フレンドリーなアマカミ 神奈川県伊勢原 比々多神社

こんにちは!今回は神奈川県伊勢原市に鎮座する延喜式内社比々多神社をご紹介します。

比々多神社は以前にもブログで紹介していますが、境内地・近隣より縄文時代中期に遡る環状配石が発見された神社です。

その歴史は古く、一万年以上前に遡ると言われています。さて、そんな比々多神社におられる御祭神はどなたなのでしょうか?

柔らかな波動に包まれる比々多神社

御祭神豊斟渟尊(とよくむぬのみこと、天明玉命(あめのあかるたまのみこと)、稚日女尊(わかひるめのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)と書かれています。

豊斟渟尊とは、ホツマツタヱでは、第三代アマカミ(天皇)トヨクンヌ様を指します。

カミヨ(上古代)の時代の中でも上代のアマカミですが、どのような方だったのでしょうか?

ヲシテ文献を読みながら、探ってみたいと思います。何分素人の書き下し文にて、至らぬ点はご容赦ください。

ミカサフミ 2アヤ(※ホツマツタヱ 2アヤとほぼ同じ)から引用

ミカサフミ 2アヤ
初代アマカミ クニトコタチの世継ぎの神は、国を清やかな霊力をもって治めたことから、
クニサツチと呼ばれた。
(※八人のクニサツチのうち、ヱノミコトとトノミコトが二代目のアマカミになられた)


クニサツチの世継ぎの神はトヨクンヌであった。
トヨクンヌの御治世にキミ(君)トミ(臣)タミ(民)の三階層が生じた。
トヨクンヌには120人もの御子がおられ、結婚制度を持たないアメナルミチの治世が三代続いた。

※ここでのアメナルミチとは人々が守りゆくべき規範のこと)

器の広いトヨクンヌ様

ヲシテ文献を読むと、トヨクンヌ様は実に120人もの御子がおられ、いずれも男子だったそうです。

何とも、バイタリティ溢れるアマカミだったのですね!

トヨクンヌ様の治世では、結婚制度が確立していない郡婚時代であったので、特定のお妃はおられなかったのでしょう。

120人も御子がおられたのですから、トヨクンヌ様の器の広さにも納得です。

トヨクンヌ様は長身で目鼻立ちのはっきりした方です

歓迎をお示しになるトヨクンヌ様

比々多神社にお伺いした当時はホツマツタヱを知らなかったので、トヨクンヌ様のこともあまり良く分かっていませんでした。

それにも関わらず、トヨクンヌ様は美鈴の姿を見ると、禊の雨を降らせたり、キジのつがいを歩かせてみたりと、あらゆる方法で歓迎をお示しになられました。

キジのつがい(元宮に行く途中で遭遇)

そして、参拝者との距離感がとっても近いアマカミでした。(孫が会いに来た!みたいな感じでした)

どうしてこんなに歓迎して下さるのだろう、、、』と不思議に思っていましたが、

感激でいっぱいになった美鈴は、トヨクンヌ様に御礼をお伝えし、御前を後にしました。

こちらの神社も波動が心地よく、暫く境内を散策しました。古代の遺跡(下谷戸縄文遺跡)は元宮に行く途中で見学できます。

晴れた日には、元宮から伊勢原市街地を一望できるのでおすすめです。

稚日女尊とは?

さて、御祭神のお名前に稚日女尊(わかひるめのみこと)と書かれていますが、このお方はアマテルカミ(天照大神)の姉君のワカヒメ様で、イミナをヒルコといいます。

アマテルカミの姉君:ワカヒメ様

ワカヒメ様イサナギ・イサナミ様長女としてお生まれになりますが、ご両親が厄年であったため捨て子となり、カナサキさん(近畿地方のクニカミスミヨシとも呼ばれる)に育てられます。

捨て子といっても、本当に捨てられたという意味ではなく、『いったん捨てた子を拾って育てると丈夫に育つ』という伝承に乗っ取った、形式に沿ったものと思われます。

琴と和歌に秀でたワカヒメ様は、後にアマテルカミの左の臣となったオモイカネさんに恋心を抱きます。

恋心が募ったワカヒメ様は、遂にウタミ(短冊のようなもの)に恋歌を書いてオモイカネさんに贈るのでした。

気が動転するオモイカネさん

オモイカネさんウリフツキ(潤月)を取り入れたコヨミ(暦)を改新するほど頭脳明晰な方なのですが、思いがけない恋歌に驚いてしまいます。

そして、ワカヒメ様からのお歌を養父のカナサキさん(→同じく和歌の達人)に見せます。

カナサキさんは『これは廻り歌で、上から読んでも下から読んでも同じ意味になり、替えごとならぬ(結婚するしかない)ウタです』とオモイカネさんに伝えるのでした。

かくして、オモイカネさんワカヒメはめでたくゴールインするのでした。

ホツマツタヱはやはり胸キュンエピソードが多いのであった

参拝当時はワカヒメ様のことも良く分からなかったのですが、あの柔らかな波動はきっとワカヒメ様のものでもあったのでしょう。

トヨクンヌ様にお会いできる比々多神社に是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/ミカサフミ・フトマニ:池田満氏著、秘められた日本古代史ホツマツタヘ/松本善之助氏著