アマテルカミ 川崎市にもおでましに!? 天照皇大神

こんにちは!今日は神奈川県川崎市に鎮座する『天照皇大神』をご紹介します。こちらの神社は標高30mほどの加瀬山の山頂にあります。

ある日美鈴はアマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社はどこなのだろう?頭を悩ませていました。

そこで閃いたのがこの神社なのです。

実はこの神社のすぐ隣には夢見ヶ崎動物公園があるため、何度か家族で訪れていました。

夢見ヶ崎動物公園 (レッサーパンダが見学できる)

動物園を見学していたら、突如目の前に神社が現れたので非常にびっくりしたのですが、

とても良い気が流れる神社だったので覚えていたのです。

そこで、眷属の方に『この神社にアマテルカミはおでましになりますか?』と尋ねたところ、なんとおでましになるのだそうです。

ということはつまり、

ということになります。

天照皇大神の由緒

では次に神社の由緒を見ていきます。(読みやすくするため、一部手直しをしています。)

太田道潅公が夢見ヶ崎の地に築城を計画し参篭した。
道潅公の暁の夢に東北の空に丹頂鶴が舞うのを見たため、その地に千代田城を築いた。

北条氏政公により八棟造の社殿が建てられたが、北条氏滅亡時に社殿及び旧記のすべてを焼失。
江戸時代に村民が旧時を偲んで本殿と拝殿を再建した。

こういう由緒を見るにつけても、一般の方々によって多くの神社が手厚く守られてきたことが伺えます。

そもそも神様やご先祖様を大切に思う気持ちがDNAに組み込まれている。

アマテルカミはきっとそういう方々に寄り添いたいと思っておいでなのだと思う。

アマテルカミ

では、次に御祭神を見てみると、

御祭神:天照大神、撞榊厳魂天疎向津姫命、天満大自在天神(菅原道真公) 他

撞榊厳魂天疎向津姫命とは天照大神荒御魂(あらみたま)と書かれていますが、

ムカツヒメとはアマテルカミの正妃ムカツヒメ(=ホノコヒメ)のことなのです。

アマテルカミにご参拝

では早速、アマテルカミにご参拝に伺います。

この日は他の参拝者の姿はなく、境内には美鈴だけでした。波動が軽くてとても清々しい境内です。(夏場は日よけ&防虫対策がおすすめ)

祝詞を奏上し、この国の発展にご尽力下さった御礼を申し上げると、アマテルカミはちゃんとお出ましになられました。

いつものとおり、にっこり微笑まれて祓ってくださったのです。(ちゃんと染色を施したお召し物を着ておられます)

こちらの神社も神明造

丁寧にお辞儀をして、アマテルカミの御前を失礼します。

以前にも書いたと思うのですが、アマテルカミがお出ましになる神社の周辺は、広範囲に渡って良い波動が流れています。

ちょっと考古学的な話

さて、天照皇大神が存在する加瀬山縄文~弥生時代の貝塚が発見されており、また4世紀~7世紀に築造されたと考えられる加瀬台古墳群が存在しています。

そして、加瀬山山頂からは市街地が良く見渡せます。

神社x遺跡の組み合わせは神奈川県ではよく見られる光景なのですが、

加瀬山以外にも、相模原市の有鹿神社奥宮 x 勝坂遺跡、そして伊勢原市の比々多神社 x 下谷戸縄文遺跡などがあります。

いずれも高台に位置しており、市街地が見渡せる共通点があります。古代の人が高台を好んだ理由は、

①高所を神聖視した ②作物育成のため日当たりを重視 ③周囲を見渡せる心理的な安心感

このあたりかなと勝手に想像しております。

古墳ブームの背景

余談ですが、池田満氏の著書『ホツマで読むヤマトタケ』に面白い記述があったので紹介します。

古代から古墳山や丘など地形を利用して築造されました。しかし、豊作が続き、食料が余剰になると備蓄やストックが発生します。

備蓄が積み上がると必要な人の所に物資が回らないため、社会事業の一環として古墳の造営事業が始まります。

古墳造営は社会事業の一環でもあった

一旦古墳作りがブームになると、より大規模な古墳を造営する地域も出てきます。

過度な造営により財政難に陥ると、ミツホ(租税)の横領や納税拒否などの社会問題までに発展することもあったようです。

そして納税拒否の反乱軍を平定するために陣頭指揮をとったのがヤマトタケ(日本武尊)さんなのでした。

加瀬山の不思議

天照皇大神の由緒にあるとおり、太田道灌公がこの地を訪れた後、暁に瑞祥の夢を見たことがきっかけで夢見ヶ崎の名が付いたと思われます。

確かにこの地には不思議なパワーみたいなものを感じました。

長さ750mほどの規模の丘にも関わらず、天照皇大神、浅間神社、熊野神社、了源寺、寿福寺と寺社が集中しています。

動物園側の入り口

そして、加瀬台9号墳の周辺を歩いていると何やら地面から温かいものを感じました。(スピリチュアル次元の話です)

古代の人が何らかの神秘を感じて、この地に古墳や寺社を造営していたのかもしれませんね。

アマテルカミがお出ましになる天照皇大神に是非ご参拝ください。

(涼しい時間帯、涼しい季節のご参拝がおすすめです)

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマで読むヤマトタケ』池田満氏著

アシツヒメの父君 大山阿夫利神社 神奈川県伊勢原市

こんにちは!今日は前回ご紹介したコノハナサクヤヒメことアシツヒメの父君四代目ヤマスミカグヤマさんが鎮座する大山阿夫利神社をご紹介します。

訪問した当時はホツマツタヱを知りませんでしたが、参拝したいと思った矢先に呼んで頂きました。

大山阿夫利神社の下社は山の中腹にあり、麓から登山道を歩くと約1.5時間かかります。そのため多くの参拝者はケーブルカーを利用します。

大山のケーブルカー

こちらの神社におられるカグヤマさんの系図をおさらいしたいと思います。カグヤマさんアマテルカミ(天照大神)正妃ホノコヒメ(瀬織津姫)を輩出した名門の家柄オオヤマスミ家のご出身です。

オオヤマスミ家の系図

ホノコヒメ二代目オオヤマスミサクラウチさんコノハナサクヤヒメ四代目カグヤマさんです。

初代オオヤマスミイサナギ・イサナミ様ウヲヤヲキナ(後見の臣)二代目サクラウチさん・三代目カグスミさんは宮中に左近の桜、右近の橘を初めて植えた方々です。

長らく朝廷の重鎮であった由緒正しい家柄と言えます。

大山阿夫利神社由緒

大山阿夫利神社の由緒を見ると、相模国延喜式内の一社、創建は崇神天皇の時代とあります。山頂には祭祀に使われたとみられる縄文土器が発掘されており、この神社の歴史の古さを物語っています。

大山阿夫利神社 拝殿

本社・下社の主祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)、摂社の奥社祭神が大雷神(おおいかつちのかみ)、摂社の前社祭神が高龗神(たかおかみ)となっています。

御祭神にご対面

ケーブルカーを降りて、参道を歩くと大山阿夫利神社の下社に到着しました。

自己紹介と祝詞を奏上すると、御祭神は美鈴の来訪を喜んでおられたものの、深い悲しみに包まれていました。

『一体、どうされたのだろう』と思って見ていると、御祭神は『どうして人々は争うのか、、、』と漏らされたのです。

実は、美鈴が参拝したのは世界の情勢が不安定になった頃でした。連日参拝者の方が祈りに来られていたのでしょうね。

御祭神は世界で何が起きているのかをご存じで、胸を痛めておられたのです。

後々ホツマツタヱを読み、この御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと分かりました。

お若い頃のカグヤマさん:眷属の方に聞いて再現

これは美鈴の推測ですが、恐らくカグヤマさん大山にお入りになられたのだと思います。というのも、大山全体カグヤマさんの気で満ちていたのです。

カグヤマさん第九代アマカミオシホミミ様とは従兄弟同士でもあります。

オシホミミ様箱根の神山にお入りになられたのだから、カグヤマさんが大山にお入りになられたとしても、不思議ではありません。

情けを知る家柄

カグヤマさんにお会いして、オオヤマスミ家が長らく朝廷の重鎮であった理由が分かりました。一言で言うと『情けを知る家柄』なのです。

この情けとは人の心の働きを示す『ヰクラナサケヱダからきており、『他人に良くしようという心根』を指します。

カグヤマさんから感じたのは野心ではなく、ヲヲヤケを立てる精神、哀れ情けを知る高い精神性でした。

心の働きは明確に定義されていた

なぜカグヤマさんだと分かったか

さて、オオヤマスミとは代々世襲されていた名前で、オオヤマスミとだけ聞くと何代目なのか分かりません。

カグヤマさんが『我こそはコノハナサクヤヒメの父である』と名乗った訳でもありません。

では、なぜ御祭神がカグヤマさんだと分かったのかを書きたいと思います。

大山阿夫利神社の下社には、隣接した茶寮があり、中に入ると御祭神をより身近に感じることができます。

茶寮で休憩を取り、次に参拝予定であった近隣にある出雲大社相模分詞を調べていると、

出雲大社 相模分詞

御祭神が『出雲大社に行くのか?御祭神は良く知っているから伝えておこう』と楽しそうにおっしゃったのです。

美鈴はびっくりして思わず振り返ってしまいました。

そして、出雲大社相模分詞クシヒコさんオオクニヌシノミコトと呼ばれる)に大歓迎されるのですが、

この時点ではクシヒコさんのことはよく分かっていませんでした。

出雲の神様と大山の神様がツーカーな理由

当時は『近隣の神社の御祭神同士で交流があるのかな?』と思っていたのですが、

後にホツマツタヱを読んで、カグヤマさん(大山阿夫利神社の祭神)とクシヒコさん(出雲大社の祭神)は同時期にニニキネ様の兄、アスカヲキミに仕えた同僚であり、

義理の叔父、甥の関係であったことも判明します。

クシヒコさん

そして、クシヒコさんの歓迎ぶりから、大山阿夫利神社の御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと悟ったのです。

二代目オオヤマスミサクラウチさんではクシヒコさんと年代が合いませんし、恐らく面識もなかったと思います。

カグヤマさんの涙

実はカグヤマさん伊勢神宮の内宮の地にも御娘のコノハナサクヤヒメと共にお祀りされています。

この時は既にホツマツタヱを読んでいたので、一般的に知られているオオヤマツミノカミカグヤマさんだと分かっていました。

摂社ではありましたが、カグヤマさんはちゃんとお社におられました。

丁寧に参拝した後で、美鈴は思わず『カグヤマさんですよね?』と尋ねたのです。

参拝直前まで晴れていた摂社

すると突然バケツをひっくり返したような大雨が降りました。

美鈴が伊勢神宮に参拝した日は雨の予報でしたが、内宮に滞在している間中晴れていたのです。

『これはカグヤマさんの涙なのだ。きっと色々誤解されてお辛かったのだと思う』

深々とお辞儀をして、カグヤマさんの御前を後にしたのでした。

美鈴がお会いしたオオヤマツミノカミは愛情深い、とっても愛嬌のある優しい方でした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマ辞典』:池田満氏著

アシツヒメの涙 公所浅間神社 神奈川県大和市

こんにちは!今日はコノハナサクヤヒメことアシツヒメに縁の神社をご紹介します。

アシツヒメとは、皇孫ニニキネ様の正妃であり、アマテルカミ(天照大神)の孫でもあります。そして、

コノハナサクヤヒメを詳しく知りたい方は以下の記事をお読みください。

【お二人のエピソードをお読みになりたい方はこちらをクリック】
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(前編)
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(後編)
皇孫ニニキネ様

例によって、神奈川県神社庁のホームページで浅間神社の一覧を見ていたところ、

神奈川県大和市に鎮座する公所(ぐぞと読むらしい)浅間神社が気になったので訪問することにしました。

アシツヒメの地元

アシツヒメアマテルカミの正妃ムカツヒメのご実家オオヤマスミ家のご出身です。

浅間神社の多さから見ても、富士南麓~大山周辺アシツヒメの地元であることは動かないと思います。

公所浅間神社 鳥居

この神社のすぐ傍には下鶴間甲一合遺跡もあるし、見るからにアシツヒメがお出ましになりそうな神社です。

古墳時代後期の遺跡らしい

こちらの神社は入口が2つあって、拝殿正面の鳥居ではなく、社務所の方から入ってしまいました。

いきなり目の前に神明造の拝殿が現れたのでびっくりしましたが、丁寧にお辞儀をしてご挨拶をします。

神奈川県は神明造の社が多い気がします

アシツヒメはスピリチュアルなお方

実はアシツヒメの母君であるエノシマカミ(江島神社 辺津宮祭神)には何度もお会いしていたのですが、御娘のアシツヒメとご対面するのは初めてなので少し緊張しました。

ニニキネ様の疑いを晴らすために、ご自身がお産みになられた三人の御子と共に小屋に入り、

火を放ったエピソードはあまりに衝撃的で、一体どんな方なのだろう?と思っていました。

頻繁に参拝に来ているらしい男性が去った後、拝殿前には美鈴一人になりました。

早速祝詞を奏上すると、突如拝殿手前の木に何十匹もの鳥の大群が飛んできました。

拝殿手前の木

通常、夕方になると鳥の大群がねぐらがある木に飛んできます。しかし今は朝一番、鳥の大群がねぐらに帰る時間ではありません。

そして、大群の鳥たちとともにアシツヒメがお出ましになったのです。

アシツヒメの涙

自己紹介と多大な貢献をして下さった感謝をお伝えすると、なんとアシツヒメはお泣きになるではありませんか。

言うに言えない思いを抱え、感極まって泣いているという感じです。

(余談ですが、泣き方までウガヤフキアハセズ様にそっくりでした)

『あのう。。。』と問いかけても、お返事がありません。

思わず『そんなにお泣きにならないでください』と言いかけた時、ふっと、アシツヒメの気配がなくなりました。

『どういうことなんだろう?』ずっと頭に疑問が残り、その後も何度か参拝にお伺いしたのですが、アシツヒメの気配は感じるものの、美鈴の前に姿を現さなかったのです。

涙の理由

美鈴なりにアシツヒメの涙の理由を考えてみました。母君のエノシマカミと未だに確執がある?いやいや、既に二千年以上も前の話です。

母君のタキコヒメ:目鼻立ちがはっきりしているところが似ています

それに三男のホホテミ様は立派なアマカミ(天皇)にまでなられています。

もしかして、通説とホツマツタヱの逸話が違うからかな?』と思ったのです。

実は美鈴は一般的に知られている内容をほとんど知りません。そこでニニキネ様とアシツヒメの一般的に知られている内容をネットで探して読んでみました。

正直、ショックを受けました。ホツマツタヱに書かれている内容とあまりにかけ離れているし、御父上のヤマスミさんニニキネ様に対して、かなりぞんざいな物の言い方をしています。

これは事実ではありません。御父上のヤマスミさん大山阿夫利神社でお会いしていますが、とっても愛情あふれる優しい方だったのです。

それに、全国的に功績を立てられたニニキネ様に対して、ぞんざいな口をきける人など一人もいなかったはずです。

恐らくこれなんだと思う。(それにニニキネ様の功績が知られていないのもお辛いのだと思う)

アシツヒメその後

昨年末、ニニキネ様小田原の賀茂神社でお会いしたことをきっかけに、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの記事を書いた後に、再びアシツヒメにお会いしました。

なんと、アシツヒメはお顔も明るく晴々として、それはお喜びだったのです。

『やはりそうでしたか、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの真実のエピソードを知って欲しかったんですね』

美鈴が公所浅間神社でお会いしたのは、二千年以上経っても一途にニニキネ様を思い続けるコノハナサクヤヒメ)の姿だったのです。

おまけ

アシツヒメは実に様々な姿でお出ましになることがあります。

ある時は可愛らしい龍雲でお出ましになられたり、、、

アシツヒメの龍雲

またある時はヒヨドリの姿でお出ましになります。

何故ヒヨドリなのかは分かりません

もし、皆さんの周りに大きな龍雲や、ヒヨドリが現れたら、アシツヒメ=コノハナサクヤヒメが見守って下さっているサインかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀(続編)

こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀の続編をご紹介します。

前回は、神代の偉大な神霊ヤマトモモソヒメに神がかりして、サツサツヅウタを賜ったところで終わりました。

結構、大胆なウタでもありましたが、何と言ってもミマキイリヒコ天皇は時のスヘラギ

そんなお方に核心を突いたウタを詠んだ方とは一体誰なのでしょうか?

そしてそのウタの真意とは?早速見ていきたいと思います。

ホツマツタヱ33アヤ18~21頁
神が答える。「私は国つ神のオホモノヌシです」
これを聞いた君は、驚きかつ畏れた。神代のオホモノヌシが、目の前に現れたのだ。
驚き畏れたのは当然である。


このように神の正体がわかったので、一層、身を正し政治に励んだ。
だが、世の中はうまく治まらず何の効果も現れなかった。


そこで君は心をこめて禊を行い、心身ともに清らかになって、祈り訴える。
「私がこのように真剣に祈り、あなた様を敬っているのに、この思いは通じないのでございましょうか」


するとその夜、君の夢にオホモノヌシが訪れ次のように言う。
「君が国事を心痛され、身を正し、誠心誠意、誠を尽くしておいでのことはよくわかりました。」
君の熱いお心はよくわかりました。
今後、世の中は平静になるでしょう。
ですから決してお嘆きになることはありません。
私の子孫のオホタタネコに祭らせれば、遠い国に至るまで、平らかになるでしょう。

神代の神の正体

ここで、ヤマトモモソヒメに降りてこられた神がオホモノヌシだと分かりました。

オホモノヌシとは代々世襲されていた役職名であり、ここだけ読むと何代目オホモノヌシなのか分かりません。

先に正解を言ってしまうと、二代目オホモノヌシクシヒコさんのことです。(オホナムチさんの息子)

どうしてクシヒコさんがお出ましになられたのか?美鈴の個人的見解ですが、国を思うお気持ちが人一倍強いからだと思います。

(クシヒコさんに直接お会いした美鈴は分かります)

というか、アマテルカミに対する忠誠心が今でも揺るがないのです。

クシヒコさん

サツサツヅウタの真意

ここで、クシヒコさんが詠まれたウタはミマキイリヒコ天皇を咎める意味ではなく、

世の中がうまく行かないのは、クシヒコさんご自身の問題であるというのです。

つまり『わが心あり』というのは『私の責任である』という意味だったのです。

クシヒコさんはとても謙虚な方で、人を咎める方ではありません。

あくまで世を正す責任は自分にあると仰っています。

どうしてオホモノヌシの問題なのか?

ではなぜ、クシヒコさんには世を正す責任があるのでしょうか?

松本善之助氏はここで、ホツマツタヱ23アヤ95頁に伏線があると述べていますので、早速見ていきたいと思います。

ホツマツタヱ23アヤ95頁
クシヒコはヤマト・ヤマベ(奈良県三輪神社付近)に殿をつくり、
世の行く先をじっと見つめている。

歳既に十二万八千年の際にあり、後の世を守るのは、

トヨケカミが建てた人倫と国を治める法則を守っていくことである。

それはすなわち、魂を込めて代々のスヘラギ(天皇)を守ることであり、
アメナルミチを全うすることである。

そして、ミモロノヤマ(三輪山)に洞を掘り、天のサカホコを携えて入り、
静かに時を待ちながら、一旦緩急あれば直ちに出動して力を振るう。

クシヒコさんの凄さを振り返る

このアヤを詠むと、クシヒコさんは寿命が尽きる際に洞穴に入り、(洞に入ってすぐに亡くなる訳ではないので)

国の大事があった際に、直ちに出動するという意味だと思っていました。

しかし、ご自身が息を引き取るまでの短期間ではなく、

肉体の寿命はとっくに尽きているのに、ミマキイリヒコ天皇の御治世や、今でさえお出ましになっているのです。

『アマテルカミが異次元ならば、クシヒコさんも異次元だった』

クシヒコさんの忠臣ぶりはこれだけにとどまりません。子孫のオホタタネコさんにご自身をお祭りさせ、

そのオホタタネコさんが書いたホツマツタヱを連綿とそのまた子孫に写本させていたのです。

古文献を保持する難しさ

美鈴も色んな神社の由緒を読み、数ある古文献が焼失した事実を目の当たりにしました。

それだけ、古文献を保持するのは難しいことを物語っています。

たとえ焼失しなくても、紙や布は虫食いや湿気で痛むため、こまめに写本しないと原本を保持できません。

そんな状態であるにも関わらず、クシヒコさんはご自身の子孫に働きかけて、ホツマツタヱを連綿と写本させておられた。

そして、子孫も写本の手を緩めなかった。つまり、

さいごに

今回は、ミマキイリヒコ天皇の祭祀を読みながら、アメナルミチについて理解を深めていきました。

ここで重要な振り返りをするならば、やはりクシヒコさんの『自分に責任がある』という姿勢ではないかと思います。

(ホツマツタヱのエピソードには、先人の知恵や教訓が含まれています)

クシヒコさんは為政者というお立場でしたが、この内容は一般人の美鈴にも『はっとさせられる』内容でもありました。

なにか災難(特に理不尽な出来事)が起きた際に、原因を外的要因に求めてしまうことがあります。

けれど、よくよく振り返ってみるとやはり自分にも非があったと思うことが多々あります。

そこでまた謙虚になって、次はこう改善しよう、失敗を糧に次に生かそうと謙虚に思えてきます。

クシヒコさんの大切な姿勢を教えてくれる、とても重要なアヤであると思いました。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史ホツマツタヘ/松本善之助氏著

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀

こんにちは!今回は以前にご登場いただいたミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀について書きたいと思います。

崇神天皇ヒトノヨ第十代スヘラギで、イミナをヰソニヱといいます。

ミマキイリヒコ天皇の御治世に大規模な疫病が発生し、天皇はこの非常事態を真摯に受け止め、熱心に神祀りするというくだりです。

ホツマツタヱの中でも、神代の偉大なカミが登場するとても重要なエピソードになります。

それでは、いつものように松本善之助氏著書から書き下し文を見ていきましょう。

ホツマツタヱ33アヤ15~18頁
崇神天皇七年二月三日に次のような勅が出された。
「私の皇祖の開かれた基礎はしっかりしていて、揺るぎないばかりか、
今後の繁栄も相違ないものである。
それが、私の世になってからうまくいかないのは、真剣に皇祖の御心を体して
いないからではあるまいか。
きっとその咎めを受けているからに違いない。
慎んで原因を究明し、進むべき道を発見しなければならない。

そこで、朝日の原(京都府:式内比沼麻奈為神社付近)に
トヨウケノ神即ち五代タカミムスビの神に詣で、
八百万の神をお招きして丁重なお祭りをした。

一方、七代オホヤマト・フトニのスヘラギ(孝霊天皇)の皇女ヤマトモモソ姫(当時九十八歳)に、
何という神か分からないが、神がかりして、次のような神歌(サツサツヅ歌)を賜った。
ツヅウタ=連歌
君が問う「このように教えるのは、誰神なのでありましょうか」神が答える。

ツヅウタとは?

さて、ここでとある神霊がヤマトモモソヒメに降りてきて、ツヅウタを詠みます。

ヲシテ文中に出てくるツヅウタとは、連歌の古形で五七七(19音)のウタを連ねたものです。

このウタ場合は、サルタミモ(五)ツヅニマツラデ(七)ヲヱニミダルサ(七)で合計19音となっています。

アマテルカミサツサツヅウタが原初で、連歌既にカミヨの時代に用いられていました。

池田満氏の『ホツマ辞典』に詳細が書かれていますので、ご興味ある方は是非お読みください。

崇神天皇の謙虚な姿勢

ここまで読んで振り返ってみたいと思います。

ヰソニヱのキミ

この非常事態に対して、崇神天皇自らのご自身の行いを省みて、身を正す姿勢が本当に素晴らしいと思いました。

人のせいにせず、自らの行いが問題であると認めるのは、なかなか出来ないことであると思います。

ひとえにミマキイリヒコ天皇が謙虚なお人柄であったからだと思います。

さて、そんなキミの目の前に現れた神とは一体誰なのでしょうか?

続きは次回ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

石楯尾神社 謎の御祭神の正体は?(続) 神奈川県相模原市

こんにちは!前回ご紹介した、石楯尾神社におられる御祭神をご紹介します。

まさかの御祭神は、、、

トコヨクニ建国の父:クニトコタチ

そうなのです。この神社におられる方はクニトコタチなのです。

トコヨクニ創始者:クニトコタチ

クニトコタチトコヨクニ(旧:日本の国号)の創始者であり、トノヲシテ(恵民立国の理念)を掲げ、木の実の栽培法、住居の建て方、暦を制定し、人々の生活を豊かにされた方です。

トノヲシテが不変の理念であるのは、時代を経ても国家再建の礎とされたことから推察できます。

国が乱れた際に、古代の指導者はこのトノヲシテに立ち返って国家再建を成し遂げてきました。

そして、トヨケカミアマテルカミ常に最高の敬意を抱いていたお方でもあり、このお二人が『クニトコタチ』になぞらえるのは最高のお褒めの言葉になります。

以上を踏まえた上で、早速参拝に伺います。

クニトコタチにご参拝

建物は古いものの、こちらの神社は非常に明るい雰囲気を放っています。

拝殿

拝殿前で祝詞を奏上して、トコヨクニ建国の感謝をお伝えすると、止めどなく涙が溢れてきてしまいました。

クニトコタチはとても暖かく、やさしく包み込む波動をお持ちの方でした。

ご自身の存在を表に出さない謙虚な方なので、お人柄まで感じ取るのは難しかったのですが、

外宮でトヨケカミにお会いした時と同じ感覚を覚えました。(容姿が似ているというより、お考えが相似しているという感じでした)

感激で胸が一杯になった美鈴は、何度も御礼をお伝えしてクニトコタチの御前を後にしました。

石楯尾神社のご神徳

石楯尾神社の由緒にご神徳が書かれていたのでご紹介します。

『人々に生命を授け、人々の一生を守り、更に死後までもお守りくださいます』との記載が目を引きました。

池田満氏の著書によると、ヒトはアメミヲヤ(絶対神)ワケミタマ(分身)を元として生まれると書かれています

補足:アメミヲヤ(大宇宙)からヒトの心の主体である『タマ』がクニタマ(地球)に下りてくるため、ヒトは小宇宙と考えられていた

つまりヒトアメミヲヤの分身なので、契約や願い事をすることに意味は生じないが、子を授かる祈りについては有効であったとのことです。

そして、「人々の一生を守り、更に死後までもお守りくださいます」というのはアマテルカミ(天照大神)お考えに酷似しています。

アマテルカミヒト生まれ変わりにおける幸せまでも強く意識された方でした。

宮司さんお手製のお社

さて、石楯尾神社の境内には沢山のお社があります。色んな場所から合祀されたようですが、お社は宮司さんのお手製だそうです。

「昔から鎮座」と書かれています
御祭神愛の強い宮司さんなのでしょう

異彩を放つ看板

さて、石楯尾神社の自信は看板にも表れていました。

普通、神社の看板には『各種、御祈祷承ります』など書かれていると思うのですが、

駐車場入り口に立つ看板

こちらの神社の看板には凄いことが書かれていました。『社務所に申込むと運命が開きはじまる』そうです。

そして、『健康になり、子宝もいただけて事業もうまく進んでいく』とあります。

す、、、凄い!ここまで言い切るにはやはり霊験あらたかな神社なのでしょう。

クニトコタチがおでましになる石楯尾神社に是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマツタヱを読み解く』/ホツマ辞典 池田満氏著

石楯尾神社 謎の御祭神の正体は? 神奈川県相模原市

こんにちは!今日は神奈川県相模原市に鎮座する延喜式内社石楯尾神社をクローズアップしたいと思います。

神奈川県の延喜式内社を見ていて気になりました。とにかく論社が多いという点も目を引きます。

論社とは:延喜式に記載された神社と同一もしくは後裔と推定される神社のこと。

論社が多い明確な理由は分かりませんが、恐らく①霊験あらたかであった古くから信仰を集めていた

こんなところではないでしょうか?

石楯尾神社 社殿

神奈川県神社庁のホームページを見ると、現社殿は享保9年(西暦:1724年)に創建されたそうです。

神社庁のHP掲載の写真を見ると「この神社におでましになる方は相当時代が古い方だなぁ」と分かります。

となると『十中八九あのお方か、あのお方としか考えられない』、、、でもまさか、、、

確証が欲しい美鈴は先日もご紹介した深見神社タケミカツチさんに聞いてみました。

カシマカミことタケミカツチさん

『カシマカミは石楯尾神社はご存じですか?あそこにおられる方はどなたなのでしょう?』と尋ねると、

カシマカミは笑って『行ってみるがよい』(行けば分かるみたいな感じでした)とおっしゃったのです。

うーん、カシマカミが勧めるくらいだから、やはりそれなりの方なのでしょうね。

石楯尾神社の御祭神

神社庁のホームページから御祭神を見てみると、層々たる方々がお祀りされています。

石楯尾大神
産土神
伊邪那基幹神
天御中主神(高皇産霊神・神皇産霊神)
天常立神
国常立神
天照座皇大神
大歳神
猿田彦神
菊理姫神(幽産土神=速玉男神 事解男神)
事代主神
日本武尊

守良親王(亀山天皇の皇子)他

美鈴が『この方ではないか』と思った方も案の定名を連ねています。

石楯尾神社の由緒

さらなる確信を深めるために、今度は由緒を読んでみます。

古記録は焼失したそうですが、宮司さんが神社昇格願・明細帳訂正願等を調べて、正論の証明を発見したそうです。

神社の由緒では『人の生命のもと水穂の気が、地球の中心から出る産土地である神籬磐境の土地として神様がお定めになった所』とあります。

神社庁のHPでは『創建は今より二千年以上前(中略)古代人が神を斎き祀った所・斎庭として人々の崇敬の中心となり(中略)、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り』(以下略)との記載。

手水舎に書かれていた由緒

ここを読んで『やはりあのお方だ』という確信を強めました。

そこで、上古代に詳しい眷属の方に尋ねると、やはりここにお出ましになるのは『あのお方』なのだそうです。

ようやく参拝へ

石楯尾神社が気になってはいたものの、実際に参拝したのは約1年後のことでした。

こちらの神社は神奈川県と山梨県の県境に位置しています。最寄駅から徒歩30分近くあるため、車での参拝がおすすめです。

アウトドアが楽しめそうな場所にあります

年代を感じさせる社殿

神社庁の写真で見た通り、かなり古い建物でしたが、とても明るい神社です。

ここに本当にあのお方が?

さて、謎の御祭神の正体は次回ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

カシマカミとの出会い 深見神社 神奈川県大和市

こんにちは!今日は神奈川県大和市に鎮座する延喜式内社深見神社をご紹介します。

神奈川県の延喜式内社一覧を見て気になったので、参拝に伺うことにしました。

深見神社 鳥居

こちらの神社は少し不思議な作りになっていて、本殿右側からの鳥居から入るようになっています。

御祭神闇龗神(クラオカミ)、武甕槌神(タケミカツチ)、建御名方神(タケミナカタ)とあります。

深見神社に参拝した当初は既にホツマツタヱを読んでいたので、

タケミカツチさんタケミナカタさんかぁ。すごい組み合わせだな』思ってしまいました。

補足:タケミカツチさんはオホナムチさんの国譲りの際に、朝廷軍の副長官として最後まで抵抗したタケミナカタさんを制圧します。(タケミナカタさんはオホナムチさんの息子)

美鈴がこちらの神社でお会いしたのは、カシマカミことタケミカツチさんです。(カシマカミのことはブログに書きますねと言っておきながら、1年以上経過してしまい、申し訳ない限りである)

カシマカミことタケミカツチさん

武術の達人:タケミカツチさん

タケミカツチさん第九代アマカミオシホミミ様左の臣として仕え、武術に秀でていたため、アマテルカミよりカフツツツルギカナテの称号を賜ります。

そもそも、タケミカツチさんのお名前は『武術によって雷(イカツチ)をも拉(ひし)ぐ』という意味があります。

また、カナメイシを据えて、地震を沈めた功績によりアマテルカミよりイシツツツルギを賜ります。

ハタレの乱の平定に尽力し、出雲の国譲りの活躍により、オシホミミ様よりカシマカミの称号が授与されます。

鹿島神宮に現存するカナメイシ

藤原氏の先祖

タケミカツチさんは親族の中でもひときわ優秀だったアマノコヤネさんにご自身の娘ヒトリヒメを嫁がせます。

お二人の間に生まれたオシクモさんの子孫が後の藤原氏となるので、タケミカツチさん藤原氏の先祖でもあります。

(さらに上代はトヨケカミ、そしてクニトコタチに辿り着きます)

アマノコヤネさんの妻:ヒトリヒメ

タケミカツチさんの人柄

タケミカツチさんのことが分かったところで、早速ご挨拶に伺います。

毎回のことなのですが、どの神社でも御祭神からとても歓迎されます。

まず拝殿に着くと、突風というか、嵐の時に吹くような強い風がサーっと吹きます。

深見神社 拝殿

そして、歓迎を示す自然現象が起こります。

タケミカツチさんは目の前にリアルにお出ましになっています。

自己紹介をして、この国の発展にご尽力下さった御礼を伝えると、タケミカツチさんは『よく来た』とおっしゃって、サーっと祓って下さいました。

改めて、タケミカツチさんを見ると、

体が大きくて、がっしりした体格の持ち主で、見るからに強そうです。

タケミカツチさんに拉がれたスワノカミに思わず同情してしまった。それも遥か昔の話で、既にお二人は気にされていないご様子)

スワノカミ:タケミナカタさん

タケミカツチさんもとっても優しい方ですね。懐が深く、人格にも優れ、いかにも上古代の重鎮といった風情があります。

その後も度々、深見神社に足を運んだのですが、美鈴のブログを読んで参拝者が来てくださったようで、『愉快、愉快』とおっしゃって、

喜んでおられました。(神社を紹介してもらうのは、嬉しいようです)

ちなみに笑い方も豪快な方でした。(笑)

深見神社由緒

深見神社の由緒を見ると、『徳川時代に旗本であった坂本家が崇敬する鹿島神宮から御分霊をした』とあります。

タケミカツチさんは武道の達人でもあったので、武人や大名の崇敬を集めていたのでしょうね。

深見神社 拝殿

鹿島神宮にも参拝に行きたいですと言ったら、とても喜んでおられたので、機会があったらお伺いしようと思います。

武士の崇敬を集めた、上古代の偉大な重鎮はとても気さくで素敵な方でした。

深見神社に是非ご参拝ください。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ ~オシホミミ様即位のミコトノリ~(続)

こんにちは!今日は前回に引き続き、オシホミミ様即位の際の、アマテルカミ(天照大神)ミコトノリをご紹介します。

では、早速見ていきたいと思います。前回と同様、思わず涙がこぼれてしまう感動的なミコトノリとなっております。

ホツマツタヱ11アヤ19頁
このミクサのタカラモノこそ、私と思ってもらいたい。そのために、これを今授けるのです。
尊敬限りないタカミムスビの御娘、チチヒメを娶ったのはたいへん良かったと思います。
今後ともに常むつまじくミヤビをするように祈ります。


私はイサナギ・イサナミ両神の踏んでこられたアメナルミチを、そのまま受け継いで、一生懸命歩んできました


わが子である汝もまた、この同じミチを踏み行ってゆきなさい。
熟慮に熟慮を重ね、躬行につぐ躬行を重ねることです。
そうすれば、太陽と御子としてのわが皇室の栄えることは、
アメツチと共に極まりないのは疑いを知れません。


左のトミ(臣)のミカツチにはカガミを預け、右のトミ(臣)のフツヌシにはツルギを任せて、
政治を守ってゆきなさい。
マユミヌノ、ヤトヨノハタ、ハクハユミ、さらにハハヤも一緒に授けるとしましょう。

アマテルカミご存命時から2,000年以上も経過しているにも関わらず、今もなおミコトノリが心に響くのは、ひとえにアマテルカミが温かい心の持ち主だったからに他なりません。

オシホミミ様の妃:タクハタチチヒメ

さて、文中に出てくるチチヒメとは第七代タカミムスビタカギさんの娘で、イミナスズカと言います。

アマテルカミが直々にスズカと命名しました。このスズカには『物欲に拘泥しない生き方』という意味があります。

美鈴の「鈴」スズカヒメ「スズ」からいただいています。

タクハタチチヒメ(スズカヒメ)

タクハタチチヒメは、クシヒコさんの奥様のミホツヒメフトタマさんでもあります。

日本各地に存在するスズカ神社は本来タクハタチチヒメをお祀りしていたと想定されます。

スズカの教え

この『スズカ』をもう少し詳しく説明します。

人のタマシヰアメ(全宇宙)の中心から降りてきて、肉体の死後再びアメへ還ると考えられていました。

そのため、いずれアメ(全宇宙)の元に還るのに必要以上の物欲に駆られるのは、

『人の本来の幸せを見誤り、かえって他人の羨みを買ってしまう』ため愚かであるという考え方です。

そして、物欲に取りつかれた状態を「スズクラ」と言います。

このススカ(スズカ)の考え方を解いた『ススカノフミ』という書物も存在していました。

ミカツチさんとフツヌシさん

更に、文中に出てくるミカツチとはタケミカツチさん鹿島神宮 御祭神)のことで、『フツヌシ』とは香取神宮の御祭神ですね。

鹿島神宮

お二人ともオシホミミ様に仕えておられた重鎮で、タカミムスビ家のご出身です。

ホツマツタヱによると、フツヌシさんトヨケカミの孫タケミカツチさんフツヌシさんの子どもと書かれています。

また、藤原氏の先祖のアマノコヤネさん親戚でもあります。下記の系図をご覧ください。

タケミカツチさんについてはまた別の記事で詳しく説明したいと思います。

さいごに

前回に引き続き、オシホミミ様即位の際のアマテルカミミコトノリをご紹介しました。

この内容は一般的には知られていないため、大変貴重な内容となっております。

今後もアマテルカミが語られる深遠なミコトノリを折に触れて、ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

アマテルカミに学ぶアメナルミチ ~オシホミミ様即位のミコトノリ~

こんにちは!今日はアマテルカミ(天照大神)ミコトノリからアメナルミチの理解を深めたいと思います。

アマテルカミという方を学ぶには、やはりフトマニミコトノリを熟読するのが最も近道です。

ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニヲシテ文献を読むと、まず次元の高い内容に驚かされます。

次元の高い書物

中でもアマテルカミがお手ずから詠まれたフトマニは群を抜いています。

あまりの次元の高さに、果たして、生きている間にアマテルカミの次元に到達できるのか?とさえ思ってしまいます。

事実、これらのヲシテ文献は美鈴の精神年齢まで引き上げてしまいました。

以前は精神的に未熟な面も多々あったのですが、身の回りで起こる物事を俯瞰して見られるようになりました。

人の精神年齢まで引き上げてしまう書物は、やはり『本物』、本物どころか『第一級』と言えるのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、今日は第九代アマカミ(天皇)のオシホミミ様即位の際のミコトノリを書き下し文から見ていきたいと思います。

アマテルカミのミコトノリ

ホツマツタヱ 11アヤ16頁

思わず涙がでるほど愛情のこもったミコトノリになります。

部下や後輩、またお子さんを育てている方にも、是非お読みいただきたい感動的な内容となっています。

意味を以下に記載します。(松本善之助氏の著書から抜粋:一部文章を変えてあります)

汝オシヒトよ。私に代わり長年怠りなく民を慈しみ育ててくれました。
アマカミの使命を全うしてくれたことを、ありがたく嬉しく思います。
ここにミクサノカンタカラ(三種の神器)を汝に授けます。
それはヤサカニノマカリタマ、ヤタノカガミ、ヤヘガキノツルギの三種です。
これはわが国の政治、道徳、刑罰、軍備などの重要な精神の原則を表徴しているものです。

補足:オシホミミ様アマテルカミ正姤ムカツヒメ(瀬織津姫)との間にお生まれになった方でイミナオシヒトといいます。(箱根の神山にお入りになられた方ですね)

オシホミミ様:小柄な方だったようです
さあ、初めに一番大事なヤサカニノマカリタマを受けるがよい。
これは、天の霊妙な光が、十分こめられている宝物です。
このタマこそ、わが民族の永久不変の理想たるアメナルミチを形どったものです。
このこころをよくよく味徳し、朝に優に拳拳服膺すればナカゴ(良心)は必ず真っすぐに保つことができます。
ヤタノカガミに対しては、心をカラにし素直に向かいなさい。
そうすれば、汝の本当の姿は、そこに写し出されるでしょう。
その姿がアメナルミチに適しているかどうかを、じっくりと反省しなさい。

補足:ヤサカニノマカリタマトノヲシエ(=建国理念)アメナルミチ(=恵民立国の精神)のモノザネを指す。

ヤサカニノマカリタマ:あくまでイメージです
国民の犯罪を罰するのも、同じ心で慎重にやるがいい。
またヤヘガキノツルギは、右に控えるフツヌシに預け、決して自分で持っていてはいけません。
武力を自分でもっていると、心が昻ぶったりした時、ついカッとなって、
これを振り回したくなるものです。
恐ろしく愚かしい結果を招かないように、くれぐれも注意が必要です。

補足:ヤヘガキノツルギアマテルカミが鍛冶師に作らせた八振りの剣を指す。

ヤエガキには、人々が自身の幸福のために罪を犯さないように垣を八重に回らせたという意味がある。

ツ(西)=ここではツルギのトミを指す。

けれども荒ぶる者があれば、断固として征伐する勇気を失くしてはなりません。
しかし無茶苦茶に兵を向けるようなことは厳しく慎むこと。
恵み和すという気持ちを忘れぬようにしてほしいものです。

ホツマツタヱ11アヤはまだ続くのですが、今日は一旦ここまでにして、続きはまた次回ご紹介したいと思います。

ミコトノリから学ぶアメナルミチ

以上ミコトノリの内容を踏まえて特筆すべき点は、治世の要は民を慈しみ、やみくもに武力を行使するのではなく、

あくまで恵み和す精神が根底にあったということです。

また、カミヨの時代のアマカミはアメナルミチを理想達成の目標とし、

ミクサノカンタカラ(三種の神器)のうち、ヤサカニノマカリタマトノヲシエのモノザネとして最も重要視していたことも分かります。

アマテルカミのお人柄

また、アマテルカミのお人柄を振り返ると、誠に愛情の深い方、謙虚な方ということが分かります。

アマテルカミには多くの子、孫、甥がおられたのですが、いずれも優秀なトミとなられています。

そして、外孫にあたるクシヒコさん(大国主命)に至ってはアマテルカミに生涯、誠心誠意もってお仕えし、

没後2000年以上経った現在も、真心を込めてお仕えしておられるという、誠に臣下の鏡のようなお方なのでした。

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著/秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ:松本善之助氏著