アマテルカミ 川崎市にもおでましに!? 天照皇大神

こんにちは!今日は神奈川県川崎市に鎮座する『天照皇大神』をご紹介します。こちらの神社は標高30mほどの加瀬山の山頂にあります。

ある日美鈴はアマテルカミ(天照大神)がお出ましになる神社はどこなのだろう?頭を悩ませていました。

そこで閃いたのがこの神社なのです。

実はこの神社のすぐ隣には夢見ヶ崎動物公園があるため、何度か家族で訪れていました。

夢見ヶ崎動物公園 (レッサーパンダが見学できる)

動物園を見学していたら、突如目の前に神社が現れたので非常にびっくりしたのですが、

とても良い気が流れる神社だったので覚えていたのです。

そこで、眷属の方に『この神社にアマテルカミはおでましになりますか?』と尋ねたところ、なんとおでましになるのだそうです。

ということはつまり、

ということになります。

天照皇大神の由緒

では次に神社の由緒を見ていきます。(読みやすくするため、一部手直しをしています。)

太田道潅公が夢見ヶ崎の地に築城を計画し参篭した。
道潅公の暁の夢に東北の空に丹頂鶴が舞うのを見たため、その地に千代田城を築いた。

北条氏政公により八棟造の社殿が建てられたが、北条氏滅亡時に社殿及び旧記のすべてを焼失。
江戸時代に村民が旧時を偲んで本殿と拝殿を再建した。

こういう由緒を見るにつけても、一般の方々によって多くの神社が手厚く守られてきたことが伺えます。

そもそも神様やご先祖様を大切に思う気持ちがDNAに組み込まれている。

アマテルカミはきっとそういう方々に寄り添いたいと思っておいでなのだと思う。

アマテルカミ

では、次に御祭神を見てみると、

御祭神:天照大神、撞榊厳魂天疎向津姫命、天満大自在天神(菅原道真公) 他

撞榊厳魂天疎向津姫命とは天照大神荒御魂(あらみたま)と書かれていますが、

ムカツヒメとはアマテルカミの正妃ムカツヒメ(=ホノコヒメ)のことなのです。

アマテルカミにご参拝

では早速、アマテルカミにご参拝に伺います。

この日は他の参拝者の姿はなく、境内には美鈴だけでした。波動が軽くてとても清々しい境内です。(夏場は日よけ&防虫対策がおすすめ)

祝詞を奏上し、この国の発展にご尽力下さった御礼を申し上げると、アマテルカミはちゃんとお出ましになられました。

いつものとおり、にっこり微笑まれて祓ってくださったのです。(ちゃんと染色を施したお召し物を着ておられます)

こちらの神社も神明造

丁寧にお辞儀をして、アマテルカミの御前を失礼します。

以前にも書いたと思うのですが、アマテルカミがお出ましになる神社の周辺は、広範囲に渡って良い波動が流れています。

ちょっと考古学的な話

さて、天照皇大神が存在する加瀬山縄文~弥生時代の貝塚が発見されており、また4世紀~7世紀に築造されたと考えられる加瀬台古墳群が存在しています。

そして、加瀬山山頂からは市街地が良く見渡せます。

神社x遺跡の組み合わせは神奈川県ではよく見られる光景なのですが、

加瀬山以外にも、相模原市の有鹿神社奥宮 x 勝坂遺跡、そして伊勢原市の比々多神社 x 下谷戸縄文遺跡などがあります。

いずれも高台に位置しており、市街地が見渡せる共通点があります。古代の人が高台を好んだ理由は、

①高所を神聖視した ②作物育成のため日当たりを重視 ③周囲を見渡せる心理的な安心感

このあたりかなと勝手に想像しております。

古墳ブームの背景

余談ですが、池田満氏の著書『ホツマで読むヤマトタケ』に面白い記述があったので紹介します。

古代から古墳山や丘など地形を利用して築造されました。しかし、豊作が続き、食料が余剰になると備蓄やストックが発生します。

備蓄が積み上がると必要な人の所に物資が回らないため、社会事業の一環として古墳の造営事業が始まります。

古墳造営は社会事業の一環でもあった

一旦古墳作りがブームになると、より大規模な古墳を造営する地域も出てきます。

過度な造営により財政難に陥ると、ミツホ(租税)の横領や納税拒否などの社会問題までに発展することもあったようです。

そして納税拒否の反乱軍を平定するために陣頭指揮をとったのがヤマトタケ(日本武尊)さんなのでした。

加瀬山の不思議

天照皇大神の由緒にあるとおり、太田道灌公がこの地を訪れた後、暁に瑞祥の夢を見たことがきっかけで夢見ヶ崎の名が付いたと思われます。

確かにこの地には不思議なパワーみたいなものを感じました。

長さ750mほどの規模の丘にも関わらず、天照皇大神、浅間神社、熊野神社、了源寺、寿福寺と寺社が集中しています。

動物園側の入り口

そして、加瀬台9号墳の周辺を歩いていると何やら地面から温かいものを感じました。(スピリチュアル次元の話です)

古代の人が何らかの神秘を感じて、この地に古墳や寺社を造営していたのかもしれませんね。

アマテルカミがお出ましになる天照皇大神に是非ご参拝ください。

(涼しい時間帯、涼しい季節のご参拝がおすすめです)

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマで読むヤマトタケ』池田満氏著

アシツヒメの父君 大山阿夫利神社 神奈川県伊勢原市

こんにちは!今日は前回ご紹介したコノハナサクヤヒメことアシツヒメの父君四代目ヤマスミカグヤマさんが鎮座する大山阿夫利神社をご紹介します。

訪問した当時はホツマツタヱを知りませんでしたが、参拝したいと思った矢先に呼んで頂きました。

大山阿夫利神社の下社は山の中腹にあり、麓から登山道を歩くと約1.5時間かかります。そのため多くの参拝者はケーブルカーを利用します。

大山のケーブルカー

こちらの神社におられるカグヤマさんの系図をおさらいしたいと思います。カグヤマさんアマテルカミ(天照大神)正妃ホノコヒメ(瀬織津姫)を輩出した名門の家柄オオヤマスミ家のご出身です。

オオヤマスミ家の系図

ホノコヒメ二代目オオヤマスミサクラウチさんコノハナサクヤヒメ四代目カグヤマさんです。

初代オオヤマスミイサナギ・イサナミ様ウヲヤヲキナ(後見の臣)二代目サクラウチさん・三代目カグスミさんは宮中に左近の桜、右近の橘を初めて植えた方々です。

長らく朝廷の重鎮であった由緒正しい家柄と言えます。

大山阿夫利神社由緒

大山阿夫利神社の由緒を見ると、相模国延喜式内の一社、創建は崇神天皇の時代とあります。山頂には祭祀に使われたとみられる縄文土器が発掘されており、この神社の歴史の古さを物語っています。

大山阿夫利神社 拝殿

本社・下社の主祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)、摂社の奥社祭神が大雷神(おおいかつちのかみ)、摂社の前社祭神が高龗神(たかおかみ)となっています。

御祭神にご対面

ケーブルカーを降りて、参道を歩くと大山阿夫利神社の下社に到着しました。

自己紹介と祝詞を奏上すると、御祭神は美鈴の来訪を喜んでおられたものの、深い悲しみに包まれていました。

『一体、どうされたのだろう』と思って見ていると、御祭神は『どうして人々は争うのか、、、』と漏らされたのです。

実は、美鈴が参拝したのは世界の情勢が不安定になった頃でした。連日参拝者の方が祈りに来られていたのでしょうね。

御祭神は世界で何が起きているのかをご存じで、胸を痛めておられたのです。

後々ホツマツタヱを読み、この御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと分かりました。

お若い頃のカグヤマさん:眷属の方に聞いて再現

これは美鈴の推測ですが、恐らくカグヤマさん大山にお入りになられたのだと思います。というのも、大山全体カグヤマさんの気で満ちていたのです。

カグヤマさん第九代アマカミオシホミミ様とは従兄弟同士でもあります。

オシホミミ様箱根の神山にお入りになられたのだから、カグヤマさんが大山にお入りになられたとしても、不思議ではありません。

情けを知る家柄

カグヤマさんにお会いして、オオヤマスミ家が長らく朝廷の重鎮であった理由が分かりました。一言で言うと『情けを知る家柄』なのです。

この情けとは人の心の働きを示す『ヰクラナサケヱダからきており、『他人に良くしようという心根』を指します。

カグヤマさんから感じたのは野心ではなく、ヲヲヤケを立てる精神、哀れ情けを知る高い精神性でした。

心の働きは明確に定義されていた

なぜカグヤマさんだと分かったか

さて、オオヤマスミとは代々世襲されていた名前で、オオヤマスミとだけ聞くと何代目なのか分かりません。

カグヤマさんが『我こそはコノハナサクヤヒメの父である』と名乗った訳でもありません。

では、なぜ御祭神がカグヤマさんだと分かったのかを書きたいと思います。

大山阿夫利神社の下社には、隣接した茶寮があり、中に入ると御祭神をより身近に感じることができます。

茶寮で休憩を取り、次に参拝予定であった近隣にある出雲大社相模分詞を調べていると、

出雲大社 相模分詞

御祭神が『出雲大社に行くのか?御祭神は良く知っているから伝えておこう』と楽しそうにおっしゃったのです。

美鈴はびっくりして思わず振り返ってしまいました。

そして、出雲大社相模分詞クシヒコさんオオクニヌシノミコトと呼ばれる)に大歓迎されるのですが、

この時点ではクシヒコさんのことはよく分かっていませんでした。

出雲の神様と大山の神様がツーカーな理由

当時は『近隣の神社の御祭神同士で交流があるのかな?』と思っていたのですが、

後にホツマツタヱを読んで、カグヤマさん(大山阿夫利神社の祭神)とクシヒコさん(出雲大社の祭神)は同時期にニニキネ様の兄、アスカヲキミに仕えた同僚であり、

義理の叔父、甥の関係であったことも判明します。

クシヒコさん

そして、クシヒコさんの歓迎ぶりから、大山阿夫利神社の御祭神が四代目ヤマスミのカグヤマさんだと悟ったのです。

二代目オオヤマスミサクラウチさんではクシヒコさんと年代が合いませんし、恐らく面識もなかったと思います。

カグヤマさんの涙

実はカグヤマさん伊勢神宮の内宮の地にも御娘のコノハナサクヤヒメと共にお祀りされています。

この時は既にホツマツタヱを読んでいたので、一般的に知られているオオヤマツミノカミカグヤマさんだと分かっていました。

摂社ではありましたが、カグヤマさんはちゃんとお社におられました。

丁寧に参拝した後で、美鈴は思わず『カグヤマさんですよね?』と尋ねたのです。

参拝直前まで晴れていた摂社

すると突然バケツをひっくり返したような大雨が降りました。

美鈴が伊勢神宮に参拝した日は雨の予報でしたが、内宮に滞在している間中晴れていたのです。

『これはカグヤマさんの涙なのだ。きっと色々誤解されてお辛かったのだと思う』

深々とお辞儀をして、カグヤマさんの御前を後にしたのでした。

美鈴がお会いしたオオヤマツミノカミは愛情深い、とっても愛嬌のある優しい方でした。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマ辞典』:池田満氏著

アシツヒメの涙 公所浅間神社 神奈川県大和市

こんにちは!今日はコノハナサクヤヒメことアシツヒメに縁の神社をご紹介します。

アシツヒメとは、皇孫ニニキネ様の正妃であり、アマテルカミ(天照大神)の孫でもあります。そして、

コノハナサクヤヒメを詳しく知りたい方は以下の記事をお読みください。

【お二人のエピソードをお読みになりたい方はこちらをクリック】
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(前編)
ニニキネ様とコノハナサクヤヒメ(後編)
皇孫ニニキネ様

例によって、神奈川県神社庁のホームページで浅間神社の一覧を見ていたところ、

神奈川県大和市に鎮座する公所(ぐぞと読むらしい)浅間神社が気になったので訪問することにしました。

アシツヒメの地元

アシツヒメアマテルカミの正妃ムカツヒメのご実家オオヤマスミ家のご出身です。

浅間神社の多さから見ても、富士南麓~大山周辺アシツヒメの地元であることは動かないと思います。

公所浅間神社 鳥居

この神社のすぐ傍には下鶴間甲一合遺跡もあるし、見るからにアシツヒメがお出ましになりそうな神社です。

古墳時代後期の遺跡らしい

こちらの神社は入口が2つあって、拝殿正面の鳥居ではなく、社務所の方から入ってしまいました。

いきなり目の前に神明造の拝殿が現れたのでびっくりしましたが、丁寧にお辞儀をしてご挨拶をします。

神奈川県は神明造の社が多い気がします

アシツヒメはスピリチュアルなお方

実はアシツヒメの母君であるエノシマカミ(江島神社 辺津宮祭神)には何度もお会いしていたのですが、御娘のアシツヒメとご対面するのは初めてなので少し緊張しました。

ニニキネ様の疑いを晴らすために、ご自身がお産みになられた三人の御子と共に小屋に入り、

火を放ったエピソードはあまりに衝撃的で、一体どんな方なのだろう?と思っていました。

頻繁に参拝に来ているらしい男性が去った後、拝殿前には美鈴一人になりました。

早速祝詞を奏上すると、突如拝殿手前の木に何十匹もの鳥の大群が飛んできました。

拝殿手前の木

通常、夕方になると鳥の大群がねぐらがある木に飛んできます。しかし今は朝一番、鳥の大群がねぐらに帰る時間ではありません。

そして、大群の鳥たちとともにアシツヒメがお出ましになったのです。

アシツヒメの涙

自己紹介と多大な貢献をして下さった感謝をお伝えすると、なんとアシツヒメはお泣きになるではありませんか。

言うに言えない思いを抱え、感極まって泣いているという感じです。

(余談ですが、泣き方までウガヤフキアハセズ様にそっくりでした)

『あのう。。。』と問いかけても、お返事がありません。

思わず『そんなにお泣きにならないでください』と言いかけた時、ふっと、アシツヒメの気配がなくなりました。

『どういうことなんだろう?』ずっと頭に疑問が残り、その後も何度か参拝にお伺いしたのですが、アシツヒメの気配は感じるものの、美鈴の前に姿を現さなかったのです。

涙の理由

美鈴なりにアシツヒメの涙の理由を考えてみました。母君のエノシマカミと未だに確執がある?いやいや、既に二千年以上も前の話です。

母君のタキコヒメ:目鼻立ちがはっきりしているところが似ています

それに三男のホホテミ様は立派なアマカミ(天皇)にまでなられています。

もしかして、通説とホツマツタヱの逸話が違うからかな?』と思ったのです。

実は美鈴は一般的に知られている内容をほとんど知りません。そこでニニキネ様とアシツヒメの一般的に知られている内容をネットで探して読んでみました。

正直、ショックを受けました。ホツマツタヱに書かれている内容とあまりにかけ離れているし、御父上のヤマスミさんニニキネ様に対して、かなりぞんざいな物の言い方をしています。

これは事実ではありません。御父上のヤマスミさん大山阿夫利神社でお会いしていますが、とっても愛情あふれる優しい方だったのです。

それに、全国的に功績を立てられたニニキネ様に対して、ぞんざいな口をきける人など一人もいなかったはずです。

恐らくこれなんだと思う。(それにニニキネ様の功績が知られていないのもお辛いのだと思う)

アシツヒメその後

昨年末、ニニキネ様小田原の賀茂神社でお会いしたことをきっかけに、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの記事を書いた後に、再びアシツヒメにお会いしました。

なんと、アシツヒメはお顔も明るく晴々として、それはお喜びだったのです。

『やはりそうでしたか、ニニキネ様とコノハナサクヤヒメの真実のエピソードを知って欲しかったんですね』

美鈴が公所浅間神社でお会いしたのは、二千年以上経っても一途にニニキネ様を思い続けるコノハナサクヤヒメ)の姿だったのです。

おまけ

アシツヒメは実に様々な姿でお出ましになることがあります。

ある時は可愛らしい龍雲でお出ましになられたり、、、

アシツヒメの龍雲

またある時はヒヨドリの姿でお出ましになります。

何故ヒヨドリなのかは分かりません

もし、皆さんの周りに大きな龍雲や、ヒヨドリが現れたら、アシツヒメ=コノハナサクヤヒメが見守って下さっているサインかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました!