届かぬことを思うなり…

こんにちは!今日は松本善之助氏の著書からアマテルカミ(天照大神)お人柄がよくわかるミコトノリをご紹介します。

ホツマツタヱ本文は「カンカガミヤタノナノアヤ」の章、該当ページは17-11~13になります。

トミタミヤタノカガミ(八咫の鏡)を拝んでいたところ、アマノコヤネさんが謹んで、

アマテルカミ(天照大神)ヤタノカガミの名前の由来を尋ねます。

アマテルカミヤタノカガミの名前の由来を説明し、古来よりアマカミ(天皇)が民を我が子のように慈しみ、教え育ててきたお話をされます。

では、早速アマテルカミのお人柄が分かる該当箇所を松本氏の書き下し文から見ていきます。

ホツマツタヱ 17アヤ11~13
むかし、神がお作りになったトホコ=(二種の神器のトとホコ)を、

イサナギ・イサナミ両神がお受けになり、それをいま私(アマテルカミ)が授かった。

トはアメナルミチの極意書で、タマはこの表徴であり、ホコはこのミチに反逆した者を

罰する重器である。ト(タマ)の心により、両神は民をわが子のように育て、厚く教えてきた。

私も及ばずながら努力してきた。しかしアメナルミチを行ずることは至難であり、

神の御加護を懸命に乞いつつ努力しているが、これでいいとはとても云えぬ。

まだまだ不十分と思うばかりである。

三種の神器のひとつヤタノカガミ

アマテルカミはカンタカラ(神器)カガミを加えたアマカミ(天皇)でもあります。

鏡は普通の状態の逆を映し出し、右が左、左が右となります。

そのため明暗、正誤を見分け、普段は見えにくい邪(よこしま)な部分を早期発見し、

人の心を健康に保つためにミクサタカラ(三種の神器)に加えられました。

(池田満氏 ホツマ辞典より)

これは、アマテルカミがオシホミミ様に三種の神器を伝授された時も、

「(八咫鏡に)汝の本当の姿が映し出されるでしょう。その姿がアメナルミチに適しているかどうか、

じっくり反省しなさい」と述べていることからも分かります。

アマテルカミ自らを振り返る

これは松本善之助氏も述べていますが、これはアマテルカミの謙虚さを窺い知る大切な下りです。

アマテルカミは国家の最高指導者でありながら、常に内省をしておられたことが分かります。

アマテルカミ

今で言うところの、瞑想みたいなこともよくされたそうです。(眷属の方談)

ここで大事なことはアマテルカミ精神的に自立した立派な人柄であり、

何かうまく行かないことがあっても、他者や外的要因のせいにしないで、

自らを省みるお方だったということです。

正真正銘の指導者に求められる素質

アマテルカミミコトノリから実に多くのことを学ぶことができます。

アマテルカミは国家の最高指導者でした。つまり、富や権力は全て持っておられたのです。

人は権力を持つと、過度の自信やメタ認知=(自分を客観視する能力)の低下により、自己評価が過大になりがちです。

そのため「自分の意見がもっとも正しい」といった誤認が生じやすくなります。

トップの立場におられるアマテルカミが謙虚に内省できる方だったというのは、

実はとても凄いことなのです。

これはトヨケカミ(豊受大神)の教育の賜物でもあるし、ご本人が持って生まれた性質もあったのでしょう。

そして、クニトコタチのトコヨクニ=(旧日本の国号)建国以来、代々のアマカミ(天皇)に受け継がれてきたミチでもありました。

自分を振り返る

美鈴も今より精神的に幼い時は誤りを認めるのは難しく、つい自己弁護をしてしまう時もありました。

しかし、悪いと思ったことは素直に認めて反省するように日々努力しています。

本当に器に広い人というのは、とっさの時にも、自らを正し、常に自分の心を見つめて、

問題解決に勤しみ、自己成長を怠らない姿を周囲に見せるのだと改めて思いました!

それでは今日はこの辺で終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

アマノコヤネさんがこちらに? 神奈川県厚木市 春日神社

こんにちは!今日は神奈川県厚木市に鎮座する春日神社をご紹介します。

神社庁のホームページをみると「春日さま」と書かれています。

春日さまといったらアマノコヤネさんのことなのですが、(理由は前回も書いたとおり、カスガマロというお名前だからです)

アマノコヤネさん

神社庁のホームページには社殿の写真も掲載されていないので、

美鈴:「ほ、本当にこの神社におでましになるのですか???」

眷属の方:「本当だ」

「うーん」眷属の方がそうおっしゃるので、早速、春日神社に伺うことにしました。

稲穂のコントラストが綺麗

春日神社へ

小雨が降りしきる中、本厚木の市街地から離れたところまで歩くと、自然豊かな場所にでました。

御祭神はこういう里山風の場所がお好きなのだろうか、、、

春日神社 外観

春日神社に来る途中はひとけが無くておっかなびっくりでした。神社手前に竹林があり、思わず眷属の方に

「み、見るからに蚊に刺される可能性大なんですけど、大丈夫ですか???」と

思わず聞いてしまいました。(蚊にはさされませんでした)

春日神社 鳥居

坂を上り切った正面左手が入口らしいです。境内に入ると穏やかなエネルギーが流れています。

小雨がぱらついてきましたが、参道にすすみます。

拝殿横の看板には以下のように書かれていました。

御祭神:武甕槌命、天児屋根命、木花咲耶姫命

由緒:1415年(室町時代)に勧請、1706年(江戸時代)の再興の棟札に神主奥田清正と載す今其の子孫村民にて当社の鍵を預かれり

アマノコヤネさんに参拝

早速、拝殿前で祝詞を奏上します。この国の発展にご尽力くださったこと、長年この国の行く末を見守って下さった御礼をお伝えすると、

アマノコヤネさんはちゃんとお出ましになられました。御魂もちゃんと写っています。

春日神社 拝殿

池田満氏の著書には、アマノコヤネさんは御母上のアサカヒメの体を受け継いだ偉丈夫な体と書かれてありましたが、背丈は中肉中背のお方でした。

確かに整った外見ではありますが、見るからにクシヒコさんフトタマさんのような為政者といった感じです。

オホナムチさんは華やかでどちらかと言えば、「企業家」「経営者」に近い方だと思いました。

アマノコヤネさん「実直」、「堅実」な方で、「無駄に税金は使いません」みたいな倹約家のオーラが出ています。

そして、これはちょっとびっくりしたのですが、アマノコヤネさんはただただ泣かれるだけで何もお話にならないのです。

「ど、どうしよう、、、」と美鈴も立ちすくんでしまったのですが、ビジョンを介してやり取りができました。

アマテルカミの素晴らしさ

アマノコヤネさんアマテルカミ(天照大神)への思い入れがお強いらしく、

大神の素晴らしさをビジョンで教えて下さったのです。

大神は率先して臣下にへりくだるので、周囲は感動して付き従ってしまうのだそうです。

アマテルカミ

普通は目下の人がまず先に上の立場の人に敬意を示し、目上の人が目下の人に目をかけると思うのですが、

アマテルカミは目上の立場にいるご自身がまず先に、目下の人を慈しむ姿勢を示すのだそうです。

そうやって人々を大切にするので、「このお方が喜ぶことは何でもして差し上げたい」と思ってしまうのだそうです。

たしかに、一国の最高指導者がそんな態度を示したら、誰だって感動してしまいます。

アマノコヤネさんは何も語らずとも、大切なことを教えて下さいました。

改めて深い御礼をお伝えして、アマノコヤネさんの御前を後にしたのでした。

藤原氏の祖神であり、このお方から数多くの歴史上の偉人が誕生しました。

そして、その多くが既に世を去り、ご本人は御魂を今にとどめておられるという非常にびっくりな状態であります。

お近くの方は是非、春日神社にご参拝ください

最後までお読みいただきありがとうございました!

夏空に舞う妖艶な蝶

こんにちは!先日鹿島神宮に参拝した時にとても美しいアゲハ蝶を見ました。

鹿島神宮の鎮守の森は、太古の昔より原生に近い生態系が保たれている日本でも数少ない貴重な社叢です。

丁度、アゲハ蝶の繁殖の時期だったので、頻繁に見かけたというのもあるのですが、

このアゲハ蝶を見ると、あるお方を思い出します。

鹿島神宮の湧水近くでみかけたモンキアゲハ

それが日本の大氏族、藤原氏の先祖、アマノコヤネさんです。

どういう訳かアマノコヤネさんに縁の場所に行くとアゲハ蝶を見ることが多いです。

境内社:春日神社

昨年の夏、伊勢原大神宮の境内社、春日神社の周りにもアゲハ蝶が飛んでいました。

アマノコヤネさんをお祀りしているところをみると、

伊勢原大神宮の方はアマノコヤネさんの子孫かもしれません)

眷属の方のお話によると、アマノコヤネさんは蝶々がお好きだったようです。

神秘的な昆虫:蝶々

蝶々はとても神秘的で、わずか1年で三~四世代と猛スピードで世代交代する昆虫です。

羽化して成虫になる頃には、既に一生の大半を終えています。

ミヤマカラスアゲハ

外敵に襲われるリスクから、鳥は一瞬で交尾を終えますが、蝶は外敵に襲われるリスクを負っても長時間かけて交尾を行います。

これは1回の交尾で確実に子孫を残すためです。

たった一度のチャンスに命をかけて子孫を残そうとする姿は、どこか心打たれるものがあります。

アマノコヤネさんもそんなひたむきな蝶々がお好きだったのではないでしょうか?

そして、不死・再生の象徴である蝶は桓武平氏の家紋として広く用いられました。

平家の家紋

藤原氏の先祖 アマノコヤネさん

アマノコヤネさんは以前にもご紹介したとおり、ヒタカミの名家タカミムスビの出身で、イミナワカヒコといいます。

ちなみにトヨケカミ(豊受大神)の曾孫(ひまご)にあたります。

御父上のココトムスビさんナカクニ(今の近畿地方)クニカミ(国司)に任命されたため、

アマテルカミ(天照大神)よりカスガトノの名を賜ったので、カスガマロと呼ばれます。

カスガというのは、恐らく悪を正すという意味なのでしょう。

カスガ:
「カ」=明るいこと、正しいこと
「ス(ル)」=為る、擦る、磨る、剃る
「ガ」=暗いこと、悪いこと
■出典:ホツマ辞典 池田満氏著

アマノコヤネさんの子孫は代々アマカミをお支えするカガミノトミ(左の臣)に任じられてゆきます。

アマノコヤネさんはどちらに?

伊勢原大神宮でわずかにアマノコヤネさんと繋がれたものの、はっきりとはお会いできませんでした。

ナミアゲハ

アマノコヤネさんに是非お会いしたいと思って、テレパシーを投げかけてみます。

でも、まったく返事が返ってきません。これはニニキネ様の時と一緒です。

もう少し範囲を広めてテレパシーを送ってみても、なしのつぶてです。

しかし、鹿島神宮参拝後にようやくアマノコヤネさんのテレパシーを受け取ることができたのです。

というのも、カシマカミ(タケミカツチさん)アマノコヤネさんは結びつきは深く、

カシマカミアマノコヤネさんにお会いできるように取り計らってくれたようです。

ちなみに義父娘婿の関係なので、アマノコヤネさんカシマカミを尊敬しておいでなのです。

アマノコヤネさんに会える神社

さて、例によって神代の時代に詳しい眷属の方にお尋ねします。

アマノコヤネさんは麗しい外見のお方らしい

「アマノコヤネさんにお会いできる神社はありますか?」と尋ねると、

神奈川県にいくつかあることが分かりました。

「では、はっきりお会いできる神社を教えて下さい」と尋ねてみます。

眷属の方はとある神社を教えてくださったのですが、

「ええっー!ほ、本当にその神社におでましになるのですか?」

と思わず、美鈴は唸ってしまうのでした。

さて、その神社とは?

アマノコヤネさんの参拝エピソードは次回ご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ~ニニキネ様即位のミコトノリ~(後編)

こんにちは!今日は前回に引き続きアマテルカミのミコトノリを見てきたいと思います。

いつものように松本善之助氏の著書より引用させていただきます。

ホツマツタエ24アヤ10~18頁
一方、ツルギヲミがしゃんとせず、その末裔がヨタヨタしていては、
輩下のモノノベは仲間割れをし、世を奪われるような羽目に遭うのは必定です。

カガミヲミの役目は、穀物を背負って、営々として働くタミの日常がうまくゆくように
仕組みづくりを行い、心を配ることです。

ツルギヲミの役目は、不心得者を罰し、モノノベの力をもりたてることです。
このようにタカラモノをミクサに分けて授けるのは、
長くこの国が一体であるように願うからに他なりません。

大神はこう仰って、経世の文章が書かれている宝典を、お手ずから御孫ニニキネ様に
授けられた。

正妃セオリツヒメは、ミカガミをカスガに、ツ(西)ノスケキサキのハヤアキツヒメは、
ミツルギをコモリに賜った。
両大臣は深々と三度礼拝をし、恐懼して宝典を受け取った。

以上となります。松本氏がとても分かりやすく解釈を付けて下さったので、詳しい説明は省略します。

さて、ここまでアマテルカミミコトノリをご紹介しました。

あまり気の利いたことは書けませんが、

上古代の日本の最高指導者でありながら、決して驕り高ぶらず、常に謙虚な心を忘れないで、

民に恵み与えようとされていた姿勢が文面から伝わります。

アマテルカミ

そして、左右の臣、カスガとはアマノコヤネさんのことであり、コモリとはクシヒコさんの息子のコモリカミのことです。

このお二方はアマテルカミの薫育を受けた方で、寸暇を惜しんでは人々の指導にあたられていました。

最高指導者が優秀ならば、側近の方々も優秀だったのですね。

補足

前編のミコトノリにも書かれていた、カガミヲミというのはミクサタカラカガミを預かる左の臣のことで、ツルギヲミとは、ヤヘカキノツルギを預かる右の臣のことです。

モノノベは軍事・警察を司る役職でツルギヲミの管轄でした。

セオリツヒメとはアマテルカミ正妃ムカツヒメのことであり、ハヤアキツヒメとはカナサキさん(スミヨシとも呼ばれる)の娘で、アマテルカミとの間にアマツヒコネさんを儲けています。

ハヤアキツヒメ(アキコヒメ)

特筆すべき箇所

ここで大切なことは、トノヲシテアマカミが拝持し、左右の大臣が、ミクサタカラカガミとツルギを拝持したということです。

松本善之助氏も述べているように、立法、司法、行政の三権分立がわが国の古代政治(アマテルカミの治世はB.C.700~500年頃と推定)においても、独自の三鼎(みつがなえ)法によって成立していたことがホツマツタエから明らかになったことです。

このトノヲシテ(=恵民立国の精神)古代文字ヲシテにも表れています。

ヲシテ文字の『ト』

奥が深いヲシテ文字

ヲシテ文字の『ト』は上記のように書くのですが、Y(子音:t音)口(母音:ハニ)が重なり合っています。

ヲシテ文字(日本の古代文字)はこの母音と子音の組み合わせで成り立っているのですが、

この口はハニ=(土から水分を取り除いた状態)を意味しており、クニタマ(=地球)クニ(=国)という意味もあります。

そして、Yの上部のVがアマカミが天の恵みを両手を伸ばして受け取る様を表し、下の縦棒は国家の中心のアマカミ(天皇)を表しています。

つまり、国家の中心のアマカミがアメの恵みを受け、国民にあまねく分かち及ぼす形になっています。

ヲシテ文字の詳細については、池田満氏『ヲシテ 増補版 上下巻』をご参照ください。

上古代の人々は建国理念(=恵民立国の精神はヲシテ文字にも表れていたのです。

ヲシテ文字の奥深さは池田満氏著『ホツマ日本の歴史物語1 アワウタの秘密』にも書かれていますので、合わせてお読みください。

こうして、私たちが歴史から忘れ去られた尊いアマテルカミのミコトノリを読むことができるのは、遥か上古代より何世代にもわたって書き留めて下さった方々のお陰です。

分る範囲で申し訳ないのですが、ホツマツタヱの写本、研究、保管して下さった方々の名を以下に挙げます。

クシミカタマさんホツマツタヱ1~28アヤ編者クシヒコさんの曾孫
オホタタネコさんホツマツタヱ29~40アヤ編者クシヒコさんの7世孫
和邇估容聰さんホツマツタヱ/ミカサフミ/フトマニ翻訳クシミカタマさん78世の子孫
小笠原通当さん神代巻秀真政伝 出版赤左京二条坐神社神主 (清和天皇の後裔)
小笠原長弘さんホツマツタヱ奉呈文筆者赤間宮宮司
野々村立蔵さんミカサフミ/フトマニを購入式内水尾神社の社掌(神職)
正木昇之介さん秀真伝 二. 私考執筆宮城控訴院検事
松本善之助さん現代用語の基礎知識 編集長古本屋で秀真伝を発見
池田満さんホツマツタヱ原本保持ホツマツタヱを長年研究

ホツマツタヱ和邇估容聰さん→三尾社→小笠原通当さんに伝わり、

ミカサフミ・フトマニ和邇估容聰さん→野々村家→小笠原長弘さんが謄写し、小笠原家へと伝わったようです。

小笠原通当さん、アマテルカミの貴重なミコトノリが書かれた秘伝の書を、

本当にありがとうございます

→小笠原長弘さんが原本の他に複写を保持されていたため、松本氏の手に渡りました。

何世代にも渡り、書き写されてきたホツマツタヱの内容と、美鈴が実際にお会いしたアマテルカミやクシヒコさんの人柄が文献の内容とほぼ一致していたという

多少の誤記や写し間違いがあったにせよ、概ね正しく内容が書き写されてきたのでしょう。

そしてアマテルカミの尊いミコトノリを現代においても読めるのはひとえにこの方々のお陰なのです。

本当にありがとうございます。(深々と拝礼)

ご興味ある方は是非ホツマツタヱ関連本をお読みください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考図書:
秘められた日本古代史(続)ホツマツタヱ 松本善之助氏著
ホツマ辞典 池田満氏著
ヲシテ 増補版 上巻 池田満氏・辻 公則氏著