こんにちは!今回は以前にご登場いただいたミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀について書きたいと思います。
崇神天皇はヒトノヨの第十代スヘラギで、イミナをヰソニヱといいます。
ミマキイリヒコ天皇の御治世に大規模な疫病が発生し、天皇はこの非常事態を真摯に受け止め、熱心に神祀りするというくだりです。
ホツマツタヱの中でも、神代の偉大なカミが登場するとても重要なエピソードになります。
それでは、いつものように松本善之助氏著書から書き下し文を見ていきましょう。

崇神天皇七年二月三日に次のような勅が出された。
「私の皇祖の開かれた基礎はしっかりしていて、揺るぎないばかりか、
今後の繁栄も相違ないものである。
それが、私の世になってからうまくいかないのは、真剣に皇祖の御心を体して
いないからではあるまいか。
きっとその咎めを受けているからに違いない。
慎んで原因を究明し、進むべき道を発見しなければならない。
そこで、朝日の原(京都府:式内比沼麻奈為神社付近)に
トヨウケノ神即ち五代タカミムスビの神に詣で、
八百万の神をお招きして丁重なお祭りをした。
一方、七代オホヤマト・フトニのスヘラギ(孝霊天皇)の皇女ヤマトモモソ姫(当時九十八歳)に、
何という神か分からないが、神がかりして、次のような神歌(サツサツヅ歌)を賜った。

君が問う「このように教えるのは、誰神なのでありましょうか」神が答える。
ツヅウタとは?
さて、ここでとある神霊がヤマトモモソヒメに降りてきて、ツヅウタを詠みます。
ヲシテ文中に出てくるツヅウタとは、連歌の古形で五七七(19音)のウタを連ねたものです。
このウタ場合は、サルタミモ(五)ツヅニマツラデ(七)ヲヱニミダルサ(七)で合計19音となっています。
アマテルカミのサツサツヅウタが原初で、連歌は既にカミヨの時代に用いられていました。
池田満氏の『ホツマ辞典』に詳細が書かれていますので、ご興味ある方は是非お読みください。
崇神天皇の謙虚な姿勢
ここまで読んで振り返ってみたいと思います。

この非常事態に対して、崇神天皇自らのご自身の行いを省みて、身を正す姿勢が本当に素晴らしいと思いました。
人のせいにせず、自らの行いが問題であると認めるのは、なかなか出来ないことであると思います。
ひとえにミマキイリヒコ天皇が謙虚なお人柄であったからだと思います。
さて、そんなキミの目の前に現れた神とは一体誰なのでしょうか?
続きは次回ご紹介したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!