こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀の続編をご紹介します。
前回は、神代の偉大な神霊がヤマトモモソヒメに神がかりして、サツサツヅウタを賜ったところで終わりました。
結構、大胆なウタでもありましたが、何と言ってもミマキイリヒコ天皇は時のスヘラギ、
そんなお方に核心を突いたウタを詠んだ方とは一体誰なのでしょうか?
そしてそのウタの真意とは?早速見ていきたいと思います。

神が答える。「私は国つ神のオホモノヌシです」
これを聞いた君は、驚きかつ畏れた。神代のオホモノヌシが、目の前に現れたのだ。
驚き畏れたのは当然である。
このように神の正体がわかったので、一層、身を正し政治に励んだ。
だが、世の中はうまく治まらず何の効果も現れなかった。
そこで君は心をこめて禊を行い、心身ともに清らかになって、祈り訴える。
「私がこのように真剣に祈り、あなた様を敬っているのに、この思いは通じないのでございましょうか」
するとその夜、君の夢にオホモノヌシが訪れ次のように言う。
「君が国事を心痛され、身を正し、誠心誠意、誠を尽くしておいでのことはよくわかりました。」

君の熱いお心はよくわかりました。
今後、世の中は平静になるでしょう。
ですから決してお嘆きになることはありません。
私の子孫のオホタタネコに祭らせれば、遠い国に至るまで、平らかになるでしょう。
神代の神の正体
ここで、ヤマトモモソヒメに降りてこられた神がオホモノヌシだと分かりました。
オホモノヌシとは代々世襲されていた役職名であり、ここだけ読むと何代目オホモノヌシなのか分かりません。
先に正解を言ってしまうと、二代目オホモノヌシのクシヒコさんのことです。(オホナムチさんの息子)
どうしてクシヒコさんがお出ましになられたのか?美鈴の個人的見解ですが、国を思うお気持ちが人一倍強いからだと思います。
(クシヒコさんに直接お会いした美鈴は分かります)
というか、アマテルカミに対する忠誠心が今でも揺るがないのです。

サツサツヅウタの真意
ここで、クシヒコさんが詠まれたウタはミマキイリヒコ天皇を咎める意味ではなく、
世の中がうまく行かないのは、クシヒコさんご自身の問題であるというのです。
つまり『わが心あり』というのは『私の責任である』という意味だったのです。
クシヒコさんはとても謙虚な方で、人を咎める方ではありません。
あくまで世を正す責任は自分にあると仰っています。
どうしてオホモノヌシの問題なのか?
ではなぜ、クシヒコさんには世を正す責任があるのでしょうか?
松本善之助氏はここで、ホツマツタヱ23アヤ95頁に伏線があると述べていますので、早速見ていきたいと思います。

クシヒコはヤマト・ヤマベ(奈良県三輪神社付近)に殿をつくり、
世の行く先をじっと見つめている。
歳既に十二万八千年の際にあり、後の世を守るのは、
トヨケカミが建てた人倫と国を治める法則を守っていくことである。
それはすなわち、魂を込めて代々のスヘラギ(天皇)を守ることであり、
アメナルミチを全うすることである。
そして、ミモロノヤマ(三輪山)に洞を掘り、天のサカホコを携えて入り、
静かに時を待ちながら、一旦緩急あれば直ちに出動して力を振るう。
クシヒコさんの凄さを振り返る
このアヤを詠むと、クシヒコさんは寿命が尽きる際に洞穴に入り、(洞に入ってすぐに亡くなる訳ではないので)
国の大事があった際に、直ちに出動するという意味だと思っていました。
しかし、ご自身が息を引き取るまでの短期間ではなく、
肉体の寿命はとっくに尽きているのに、ミマキイリヒコ天皇の御治世や、今でさえお出ましになっているのです。

クシヒコさんの忠臣ぶりはこれだけにとどまりません。子孫のオホタタネコさんにご自身をお祭りさせ、
そのオホタタネコさんが書いたホツマツタヱを連綿とそのまた子孫に写本させていたのです。
古文献を保持する難しさ
美鈴も色んな神社の由緒を読み、数ある古文献が焼失した事実を目の当たりにしました。
それだけ、古文献を保持するのは難しいことを物語っています。
たとえ焼失しなくても、紙や布は虫食いや湿気で痛むため、こまめに写本しないと原本を保持できません。
そんな状態であるにも関わらず、クシヒコさんはご自身の子孫に働きかけて、ホツマツタヱを連綿と写本させておられた。
そして、子孫も写本の手を緩めなかった。つまり、

さいごに
今回は、ミマキイリヒコ天皇の祭祀を読みながら、アメナルミチについて理解を深めていきました。
ここで重要な振り返りをするならば、やはりクシヒコさんの『自分に責任がある』という姿勢ではないかと思います。
(ホツマツタヱのエピソードには、先人の知恵や教訓が含まれています)
クシヒコさんは為政者というお立場でしたが、この内容は一般人の美鈴にも『はっとさせられる』内容でもありました。
なにか災難(特に理不尽な出来事)が起きた際に、原因を外的要因に求めてしまうことがあります。
けれど、よくよく振り返ってみるとやはり自分にも非があったと思うことが多々あります。
そこでまた謙虚になって、次はこう改善しよう、失敗を糧に次に生かそうと謙虚に思えてきます。
クシヒコさんの大切な姿勢を教えてくれる、とても重要なアヤであると思いました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
参考図書:秘められた日本古代史ホツマツタヘ/松本善之助氏著