ヤマトタケさんのウタにみる ニニキネ様のご苦労

こんにちは、今日はヤマトタケ(日本武尊)さんのウタにみる ニニキネ様のご苦労というタイトルで、

ヤマトタケさんが詠まれた歌を見ながら、ニニキネ様の功績を振り返りたいと思います。

(ご注意:文中、一部の人物の敬称は省略させていただきます)

第十代アマキミ(天皇)であられるニニキネ様

ヤマトタケさんのウタにまつわる出来事

(ここからは概略になるので、詳細は池田満氏の著書『ホツマで読むヤマトタケ』をお読みください)

さて、ヲシロワケスヘラギ(人皇第12代の天皇)の治世、皇子のヤマトタケさん(日本武尊)は

東国(今の関東~東北)で起きた反乱や納税拒否を平定するため、東国に向かいます。

ヤマトタケさん

朝廷に反抗していた、ホツマ(関東)の当主カグ・モトヒコの配下(ヲトタチバナヒメの親族)は

ヤマトタケさんに火を放ち、やむなくヤマトタケさんはモトヒコの要塞を火攻めにしました。

その後、カグ・モトヒコはヤマトタケさんに従うことになります。

一方で納税拒否をしていたヒタカミ(東北)はヤマトタケさん随臣のオオトモタケヒが説得して、

戦闘は回避できました。

ヒタカミの当主ミチノクはタケヒの説得により誤解を解き、お詫びに黄金を含むお土産を

ヤマトタケさん一行に持たせたのでした。

しかし、長旅で重たいお土産を持っていたモノノベ(兵士)たちは疲労からぼやきます。

それを聞いていたヤマトタケさんはウタを詠み、ウタミ(ウタをしたためた木札)を兵士たちに回して、返歌を求めます。

それがこちらのウタです。

ヤマトタケさんのおウタ

(直訳:新治の筑波を過ぎて、幾夜寝ただろうか)
ヤマトタケさんの真意:第十代アマカミ(天皇)であられたニニキネ様が新田開発のために、

ニイハリにミヤを建てられて、どれ程(幾世)の御苦労があられただろうか?

ソロリ・ヨスナの返歌

さて、返歌を求められたモノノベ(兵士)はなかなかウタを返せないでいました。

ただ一人、火をともす役目の、位があまり高くないソロリ・ヨスナだけが返歌を詠みました。

(直訳:夜にして9夜、日に数えると10日でありましょうか。)
ソロリ・ヨスナの真意:ニニキネ様は即位されてから、日陰のミヤとして努力されました。

そしてツクハからニイハリ、またツクハ、ニイハリとお戻りになります。

その後、ミツホのミヤ、九州のツクシ、カモのミヤ(京都上賀茂)にお移りになり(ここまで六か所)

次のホホテミ様、ウガヤフキアハセズ様、タケヒト様の東征前の三世を合わせると、

日陰のミヤとしての御苦労が九世続きます。

そして、タケヒト様がカシハラで即位されて、二朝廷が統一できたので、

(ニニキネ様のミヤ遷しから数えて)ようやく十世目に日の目を得たと申せましょう。

ニニキネ様のご子孫にも思いをはせたウタを詠んだので、

ヤマトタケさんは大いにお褒めになられて、ソロリ・ヨスナをタケダムラの領主に任じられたのでした。

ソロリ・ヨスナは徐福さんの子孫

このソロリ・ヨスナという方は、秦の徐福さんの子孫だそうです。

ソロリ・ヨスナの数代先祖にソロリ・ヨシタケという人物がいて、通訳をしていました。

徐福の『徐』はやまとことばで『ソロリ』なので、ソロリ姓を名乗っていたということです。

帰化された方の中にも、ソロリヨスナさんのように、

先代のアマカミの歴史をちゃんと勉強していたので、一村の領主を賜ったのでした。

あくまでイメージです

さて、徐福さん自体、実在したのか?伝説上の人物ではないか?と言われていますが、

その子孫の方々はちゃんと存在しておられたのでした。

ヲシテ文字で書かれた古文献のホツマツタヱには素晴らしいウタが沢山書き残されているのですが、

後世の人たちが先人の苦労に想いを馳せる素晴らしいウタを取り上げてみました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。