ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀(続編)

こんにちは!今日は前回の続き、ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀の続編をご紹介します。

前回は、神代の偉大な神霊ヤマトモモソヒメに神がかりして、サツサツヅウタを賜ったところで終わりました。

結構、大胆なウタでもありましたが、何と言ってもミマキイリヒコ天皇は時のスヘラギ

そんなお方に核心を突いたウタを詠んだ方とは一体誰なのでしょうか?

そしてそのウタの真意とは?早速見ていきたいと思います。

ホツマツタヱ33アヤ18~21頁
神が答える。「私は国つ神のオホモノヌシです」
これを聞いた君は、驚きかつ畏れた。神代のオホモノヌシが、目の前に現れたのだ。
驚き畏れたのは当然である。


このように神の正体がわかったので、一層、身を正し政治に励んだ。
だが、世の中はうまく治まらず何の効果も現れなかった。


そこで君は心をこめて禊を行い、心身ともに清らかになって、祈り訴える。
「私がこのように真剣に祈り、あなた様を敬っているのに、この思いは通じないのでございましょうか」


するとその夜、君の夢にオホモノヌシが訪れ次のように言う。
「君が国事を心痛され、身を正し、誠心誠意、誠を尽くしておいでのことはよくわかりました。」
君の熱いお心はよくわかりました。
今後、世の中は平静になるでしょう。
ですから決してお嘆きになることはありません。
私の子孫のオホタタネコに祭らせれば、遠い国に至るまで、平らかになるでしょう。

神代の神の正体

ここで、ヤマトモモソヒメに降りてこられた神がオホモノヌシだと分かりました。

オホモノヌシとは代々世襲されていた役職名であり、ここだけ読むと何代目オホモノヌシなのか分かりません。

先に正解を言ってしまうと、二代目オホモノヌシクシヒコさんのことです。(オホナムチさんの息子)

どうしてクシヒコさんがお出ましになられたのか?美鈴の個人的見解ですが、国を思うお気持ちが人一倍強いからだと思います。

(クシヒコさんに直接お会いした美鈴は分かります)

というか、アマテルカミに対する忠誠心が今でも揺るがないのです。

クシヒコさん

サツサツヅウタの真意

ここで、クシヒコさんが詠まれたウタはミマキイリヒコ天皇を咎める意味ではなく、

世の中がうまく行かないのは、クシヒコさんご自身の問題であるというのです。

つまり『わが心あり』というのは『私の責任である』という意味だったのです。

クシヒコさんはとても謙虚な方で、人を咎める方ではありません。

あくまで世を正す責任は自分にあると仰っています。

どうしてオホモノヌシの問題なのか?

ではなぜ、クシヒコさんには世を正す責任があるのでしょうか?

松本善之助氏はここで、ホツマツタヱ23アヤ95頁に伏線があると述べていますので、早速見ていきたいと思います。

ホツマツタヱ23アヤ95頁
クシヒコはヤマト・ヤマベ(奈良県三輪神社付近)に殿をつくり、
世の行く先をじっと見つめている。

歳既に十二万八千年の際にあり、後の世を守るのは、

トヨケカミが建てた人倫と国を治める法則を守っていくことである。

それはすなわち、魂を込めて代々のスヘラギ(天皇)を守ることであり、
アメナルミチを全うすることである。

そして、ミモロノヤマ(三輪山)に洞を掘り、天のサカホコを携えて入り、
静かに時を待ちながら、一旦緩急あれば直ちに出動して力を振るう。

クシヒコさんの凄さを振り返る

このアヤを詠むと、クシヒコさんは寿命が尽きる際に洞穴に入り、(洞に入ってすぐに亡くなる訳ではないので)

国の大事があった際に、直ちに出動するという意味だと思っていました。

しかし、ご自身が息を引き取るまでの短期間ではなく、

肉体の寿命はとっくに尽きているのに、ミマキイリヒコ天皇の御治世や、今でさえお出ましになっているのです。

『アマテルカミが異次元ならば、クシヒコさんも異次元だった』

クシヒコさんの忠臣ぶりはこれだけにとどまりません。子孫のオホタタネコさんにご自身をお祭りさせ、

そのオホタタネコさんが書いたホツマツタヱを連綿とそのまた子孫に写本させていたのです。

古文献を保持する難しさ

美鈴も色んな神社の由緒を読み、数ある古文献が焼失した事実を目の当たりにしました。

それだけ、古文献を保持するのは難しいことを物語っています。

たとえ焼失しなくても、紙や布は虫食いや湿気で痛むため、こまめに写本しないと原本を保持できません。

そんな状態であるにも関わらず、クシヒコさんはご自身の子孫に働きかけて、ホツマツタヱを連綿と写本させておられた。

そして、子孫も写本の手を緩めなかった。つまり、

さいごに

今回は、ミマキイリヒコ天皇の祭祀を読みながら、アメナルミチについて理解を深めていきました。

ここで重要な振り返りをするならば、やはりクシヒコさんの『自分に責任がある』という姿勢ではないかと思います。

(ホツマツタヱのエピソードには、先人の知恵や教訓が含まれています)

クシヒコさんは為政者というお立場でしたが、この内容は一般人の美鈴にも『はっとさせられる』内容でもありました。

なにか災難(特に理不尽な出来事)が起きた際に、原因を外的要因に求めてしまうことがあります。

けれど、よくよく振り返ってみるとやはり自分にも非があったと思うことが多々あります。

そこでまた謙虚になって、次はこう改善しよう、失敗を糧に次に生かそうと謙虚に思えてきます。

クシヒコさんの大切な姿勢を教えてくれる、とても重要なアヤであると思いました。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:秘められた日本古代史ホツマツタヘ/松本善之助氏著

ミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀

こんにちは!今回は以前にご登場いただいたミマキイリヒコ(崇神)天皇の祭祀について書きたいと思います。

崇神天皇ヒトノヨ第十代スヘラギで、イミナをヰソニヱといいます。

ミマキイリヒコ天皇の御治世に大規模な疫病が発生し、天皇はこの非常事態を真摯に受け止め、熱心に神祀りするというくだりです。

ホツマツタヱの中でも、神代の偉大なカミが登場するとても重要なエピソードになります。

それでは、いつものように松本善之助氏著書から書き下し文を見ていきましょう。

ホツマツタヱ33アヤ15~18頁
崇神天皇七年二月三日に次のような勅が出された。
「私の皇祖の開かれた基礎はしっかりしていて、揺るぎないばかりか、
今後の繁栄も相違ないものである。
それが、私の世になってからうまくいかないのは、真剣に皇祖の御心を体して
いないからではあるまいか。
きっとその咎めを受けているからに違いない。
慎んで原因を究明し、進むべき道を発見しなければならない。

そこで、朝日の原(京都府:式内比沼麻奈為神社付近)に
トヨウケノ神即ち五代タカミムスビの神に詣で、
八百万の神をお招きして丁重なお祭りをした。

一方、七代オホヤマト・フトニのスヘラギ(孝霊天皇)の皇女ヤマトモモソ姫(当時九十八歳)に、
何という神か分からないが、神がかりして、次のような神歌(サツサツヅ歌)を賜った。
ツヅウタ=連歌
君が問う「このように教えるのは、誰神なのでありましょうか」神が答える。

ツヅウタとは?

さて、ここでとある神霊がヤマトモモソヒメに降りてきて、ツヅウタを詠みます。

ヲシテ文中に出てくるツヅウタとは、連歌の古形で五七七(19音)のウタを連ねたものです。

このウタ場合は、サルタミモ(五)ツヅニマツラデ(七)ヲヱニミダルサ(七)で合計19音となっています。

アマテルカミサツサツヅウタが原初で、連歌既にカミヨの時代に用いられていました。

池田満氏の『ホツマ辞典』に詳細が書かれていますので、ご興味ある方は是非お読みください。

崇神天皇の謙虚な姿勢

ここまで読んで振り返ってみたいと思います。

ヰソニヱのキミ

この非常事態に対して、崇神天皇自らのご自身の行いを省みて、身を正す姿勢が本当に素晴らしいと思いました。

人のせいにせず、自らの行いが問題であると認めるのは、なかなか出来ないことであると思います。

ひとえにミマキイリヒコ天皇が謙虚なお人柄であったからだと思います。

さて、そんなキミの目の前に現れた神とは一体誰なのでしょうか?

続きは次回ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

石楯尾神社 謎の御祭神の正体は?(続) 神奈川県相模原市

こんにちは!前回ご紹介した、石楯尾神社におられる御祭神をご紹介します。

まさかの御祭神は、、、

トコヨクニ建国の父:クニトコタチ

そうなのです。この神社におられる方はクニトコタチなのです。

トコヨクニ創始者:クニトコタチ

クニトコタチトコヨクニ(旧:日本の国号)の創始者であり、トノヲシテ(恵民立国の理念)を掲げ、木の実の栽培法、住居の建て方、暦を制定し、人々の生活を豊かにされた方です。

トノヲシテが不変の理念であるのは、時代を経ても国家再建の礎とされたことから推察できます。

国が乱れた際に、古代の指導者はこのトノヲシテに立ち返って国家再建を成し遂げてきました。

そして、トヨケカミアマテルカミ常に最高の敬意を抱いていたお方でもあり、このお二人が『クニトコタチ』になぞらえるのは最高のお褒めの言葉になります。

以上を踏まえた上で、早速参拝に伺います。

クニトコタチにご参拝

建物は古いものの、こちらの神社は非常に明るい雰囲気を放っています。

拝殿

拝殿前で祝詞を奏上して、トコヨクニ建国の感謝をお伝えすると、止めどなく涙が溢れてきてしまいました。

クニトコタチはとても暖かく、やさしく包み込む波動をお持ちの方でした。

ご自身の存在を表に出さない謙虚な方なので、お人柄まで感じ取るのは難しかったのですが、

外宮でトヨケカミにお会いした時と同じ感覚を覚えました。(容姿が似ているというより、お考えが相似しているという感じでした)

感激で胸が一杯になった美鈴は、何度も御礼をお伝えしてクニトコタチの御前を後にしました。

石楯尾神社のご神徳

石楯尾神社の由緒にご神徳が書かれていたのでご紹介します。

『人々に生命を授け、人々の一生を守り、更に死後までもお守りくださいます』との記載が目を引きました。

池田満氏の著書によると、ヒトはアメミヲヤ(絶対神)ワケミタマ(分身)を元として生まれると書かれています

補足:アメミヲヤ(大宇宙)からヒトの心の主体である『タマ』がクニタマ(地球)に下りてくるため、ヒトは小宇宙と考えられていた

つまりヒトアメミヲヤの分身なので、契約や願い事をすることに意味は生じないが、子を授かる祈りについては有効であったとのことです。

そして、「人々の一生を守り、更に死後までもお守りくださいます」というのはアマテルカミ(天照大神)お考えに酷似しています。

アマテルカミヒト生まれ変わりにおける幸せまでも強く意識された方でした。

宮司さんお手製のお社

さて、石楯尾神社の境内には沢山のお社があります。色んな場所から合祀されたようですが、お社は宮司さんのお手製だそうです。

「昔から鎮座」と書かれています
御祭神愛の強い宮司さんなのでしょう

異彩を放つ看板

さて、石楯尾神社の自信は看板にも表れていました。

普通、神社の看板には『各種、御祈祷承ります』など書かれていると思うのですが、

駐車場入り口に立つ看板

こちらの神社の看板には凄いことが書かれていました。『社務所に申込むと運命が開きはじまる』そうです。

そして、『健康になり、子宝もいただけて事業もうまく進んでいく』とあります。

す、、、凄い!ここまで言い切るにはやはり霊験あらたかな神社なのでしょう。

クニトコタチがおでましになる石楯尾神社に是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマツタヱを読み解く』/ホツマ辞典 池田満氏著

石楯尾神社 謎の御祭神の正体は? 神奈川県相模原市

こんにちは!今日は神奈川県相模原市に鎮座する延喜式内社石楯尾神社をクローズアップしたいと思います。

神奈川県の延喜式内社を見ていて気になりました。とにかく論社が多いという点も目を引きます。

論社とは:延喜式に記載された神社と同一もしくは後裔と推定される神社のこと。

論社が多い明確な理由は分かりませんが、恐らく①霊験あらたかであった古くから信仰を集めていた

こんなところではないでしょうか?

石楯尾神社 社殿

神奈川県神社庁のホームページを見ると、現社殿は享保9年(西暦:1724年)に創建されたそうです。

神社庁のHP掲載の写真を見ると「この神社におでましになる方は相当時代が古い方だなぁ」と分かります。

となると『十中八九あのお方か、あのお方としか考えられない』、、、でもまさか、、、

確証が欲しい美鈴は先日もご紹介した深見神社タケミカツチさんに聞いてみました。

カシマカミことタケミカツチさん

『カシマカミは石楯尾神社はご存じですか?あそこにおられる方はどなたなのでしょう?』と尋ねると、

カシマカミは笑って『行ってみるがよい』(行けば分かるみたいな感じでした)とおっしゃったのです。

うーん、カシマカミが勧めるくらいだから、やはりそれなりの方なのでしょうね。

石楯尾神社の御祭神

神社庁のホームページから御祭神を見てみると、層々たる方々がお祀りされています。

石楯尾大神
産土神
伊邪那基幹神
天御中主神(高皇産霊神・神皇産霊神)
天常立神
国常立神
天照座皇大神
大歳神
猿田彦神
菊理姫神(幽産土神=速玉男神 事解男神)
事代主神
日本武尊

守良親王(亀山天皇の皇子)他

美鈴が『この方ではないか』と思った方も案の定名を連ねています。

石楯尾神社の由緒

さらなる確信を深めるために、今度は由緒を読んでみます。

古記録は焼失したそうですが、宮司さんが神社昇格願・明細帳訂正願等を調べて、正論の証明を発見したそうです。

神社の由緒では『人の生命のもと水穂の気が、地球の中心から出る産土地である神籬磐境の土地として神様がお定めになった所』とあります。

神社庁のHPでは『創建は今より二千年以上前(中略)古代人が神を斎き祀った所・斎庭として人々の崇敬の中心となり(中略)、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り』(以下略)との記載。

手水舎に書かれていた由緒

ここを読んで『やはりあのお方だ』という確信を強めました。

そこで、上古代に詳しい眷属の方に尋ねると、やはりここにお出ましになるのは『あのお方』なのだそうです。

ようやく参拝へ

石楯尾神社が気になってはいたものの、実際に参拝したのは約1年後のことでした。

こちらの神社は神奈川県と山梨県の県境に位置しています。最寄駅から徒歩30分近くあるため、車での参拝がおすすめです。

アウトドアが楽しめそうな場所にあります

年代を感じさせる社殿

神社庁の写真で見た通り、かなり古い建物でしたが、とても明るい神社です。

ここに本当にあのお方が?

さて、謎の御祭神の正体は次回ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

カシマカミとの出会い 深見神社 神奈川県大和市

こんにちは!今日は神奈川県大和市に鎮座する延喜式内社深見神社をご紹介します。

神奈川県の延喜式内社一覧を見て気になったので、参拝に伺うことにしました。

深見神社 鳥居

こちらの神社は少し不思議な作りになっていて、本殿右側からの鳥居から入るようになっています。

御祭神闇龗神(クラオカミ)、武甕槌神(タケミカツチ)、建御名方神(タケミナカタ)とあります。

深見神社に参拝した当初は既にホツマツタヱを読んでいたので、

タケミカツチさんタケミナカタさんかぁ。すごい組み合わせだな』思ってしまいました。

補足:タケミカツチさんはオホナムチさんの国譲りの際に、朝廷軍の副長官として最後まで抵抗したタケミナカタさんを制圧します。(タケミナカタさんはオホナムチさんの息子)

美鈴がこちらの神社でお会いしたのは、カシマカミことタケミカツチさんです。(カシマカミのことはブログに書きますねと言っておきながら、1年以上経過してしまい、申し訳ない限りである)

カシマカミことタケミカツチさん

武術の達人:タケミカツチさん

タケミカツチさん第九代アマカミオシホミミ様左の臣として仕え、武術に秀でていたため、アマテルカミよりカフツツツルギカナテの称号を賜ります。

そもそも、タケミカツチさんのお名前は『武術によって雷(イカツチ)をも拉(ひし)ぐ』という意味があります。

また、カナメイシを据えて、地震を沈めた功績によりアマテルカミよりイシツツツルギを賜ります。

ハタレの乱の平定に尽力し、出雲の国譲りの活躍により、オシホミミ様よりカシマカミの称号が授与されます。

鹿島神宮に現存するカナメイシ

藤原氏の先祖

タケミカツチさんは親族の中でもひときわ優秀だったアマノコヤネさんにご自身の娘ヒトリヒメを嫁がせます。

お二人の間に生まれたオシクモさんの子孫が後の藤原氏となるので、タケミカツチさん藤原氏の先祖でもあります。

(さらに上代はトヨケカミ、そしてクニトコタチに辿り着きます)

アマノコヤネさんの妻:ヒトリヒメ

タケミカツチさんの人柄

タケミカツチさんのことが分かったところで、早速ご挨拶に伺います。

毎回のことなのですが、どの神社でも御祭神からとても歓迎されます。

まず拝殿に着くと、突風というか、嵐の時に吹くような強い風がサーっと吹きます。

深見神社 拝殿

そして、歓迎を示す自然現象が起こります。

タケミカツチさんは目の前にリアルにお出ましになっています。

自己紹介をして、この国の発展にご尽力下さった御礼を伝えると、タケミカツチさんは『よく来た』とおっしゃって、サーっと祓って下さいました。

改めて、タケミカツチさんを見ると、

体が大きくて、がっしりした体格の持ち主で、見るからに強そうです。

タケミカツチさんに拉がれたスワノカミに思わず同情してしまった。それも遥か昔の話で、既にお二人は気にされていないご様子)

スワノカミ:タケミナカタさん

タケミカツチさんもとっても優しい方ですね。懐が深く、人格にも優れ、いかにも上古代の重鎮といった風情があります。

その後も度々、深見神社に足を運んだのですが、美鈴のブログを読んで参拝者が来てくださったようで、『愉快、愉快』とおっしゃって、

喜んでおられました。(神社を紹介してもらうのは、嬉しいようです)

ちなみに笑い方も豪快な方でした。(笑)

深見神社由緒

深見神社の由緒を見ると、『徳川時代に旗本であった坂本家が崇敬する鹿島神宮から御分霊をした』とあります。

タケミカツチさんは武道の達人でもあったので、武人や大名の崇敬を集めていたのでしょうね。

深見神社 拝殿

鹿島神宮にも参拝に行きたいですと言ったら、とても喜んでおられたので、機会があったらお伺いしようと思います。

武士の崇敬を集めた、上古代の偉大な重鎮はとても気さくで素敵な方でした。

深見神社に是非ご参拝ください。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/池田満氏著

アマテルカミに学ぶアメナルミチ ~オシホミミ様即位のミコトノリ~(続)

こんにちは!今日は前回に引き続き、オシホミミ様即位の際の、アマテルカミ(天照大神)ミコトノリをご紹介します。

では、早速見ていきたいと思います。前回と同様、思わず涙がこぼれてしまう感動的なミコトノリとなっております。

ホツマツタヱ11アヤ19頁
このミクサのタカラモノこそ、私と思ってもらいたい。そのために、これを今授けるのです。
尊敬限りないタカミムスビの御娘、チチヒメを娶ったのはたいへん良かったと思います。
今後ともに常むつまじくミヤビをするように祈ります。


私はイサナギ・イサナミ両神の踏んでこられたアメナルミチを、そのまま受け継いで、一生懸命歩んできました


わが子である汝もまた、この同じミチを踏み行ってゆきなさい。
熟慮に熟慮を重ね、躬行につぐ躬行を重ねることです。
そうすれば、太陽と御子としてのわが皇室の栄えることは、
アメツチと共に極まりないのは疑いを知れません。


左のトミ(臣)のミカツチにはカガミを預け、右のトミ(臣)のフツヌシにはツルギを任せて、
政治を守ってゆきなさい。
マユミヌノ、ヤトヨノハタ、ハクハユミ、さらにハハヤも一緒に授けるとしましょう。

アマテルカミご存命時から2,000年以上も経過しているにも関わらず、今もなおミコトノリが心に響くのは、ひとえにアマテルカミが温かい心の持ち主だったからに他なりません。

オシホミミ様の妃:タクハタチチヒメ

さて、文中に出てくるチチヒメとは第七代タカミムスビタカギさんの娘で、イミナスズカと言います。

アマテルカミが直々にスズカと命名しました。このスズカには『物欲に拘泥しない生き方』という意味があります。

美鈴の「鈴」スズカヒメ「スズ」からいただいています。

タクハタチチヒメ(スズカヒメ)

タクハタチチヒメは、クシヒコさんの奥様のミホツヒメフトタマさんでもあります。

日本各地に存在するスズカ神社は本来タクハタチチヒメをお祀りしていたと想定されます。

スズカの教え

この『スズカ』をもう少し詳しく説明します。

人のタマシヰアメ(全宇宙)の中心から降りてきて、肉体の死後再びアメへ還ると考えられていました。

そのため、いずれアメ(全宇宙)の元に還るのに必要以上の物欲に駆られるのは、

『人の本来の幸せを見誤り、かえって他人の羨みを買ってしまう』ため愚かであるという考え方です。

そして、物欲に取りつかれた状態を「スズクラ」と言います。

このススカ(スズカ)の考え方を解いた『ススカノフミ』という書物も存在していました。

ミカツチさんとフツヌシさん

更に、文中に出てくるミカツチとはタケミカツチさん鹿島神宮 御祭神)のことで、『フツヌシ』とは香取神宮の御祭神ですね。

鹿島神宮

お二人ともオシホミミ様に仕えておられた重鎮で、タカミムスビ家のご出身です。

ホツマツタヱによると、フツヌシさんトヨケカミの孫タケミカツチさんフツヌシさんの子どもと書かれています。

また、藤原氏の先祖のアマノコヤネさん親戚でもあります。下記の系図をご覧ください。

タケミカツチさんについてはまた別の記事で詳しく説明したいと思います。

さいごに

前回に引き続き、オシホミミ様即位の際のアマテルカミミコトノリをご紹介しました。

この内容は一般的には知られていないため、大変貴重な内容となっております。

今後もアマテルカミが語られる深遠なミコトノリを折に触れて、ご紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

アマテルカミに学ぶアメナルミチ ~オシホミミ様即位のミコトノリ~

こんにちは!今日はアマテルカミ(天照大神)ミコトノリからアメナルミチの理解を深めたいと思います。

アマテルカミという方を学ぶには、やはりフトマニミコトノリを熟読するのが最も近道です。

ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニヲシテ文献を読むと、まず次元の高い内容に驚かされます。

次元の高い書物

中でもアマテルカミがお手ずから詠まれたフトマニは群を抜いています。

あまりの次元の高さに、果たして、生きている間にアマテルカミの次元に到達できるのか?とさえ思ってしまいます。

事実、これらのヲシテ文献は美鈴の精神年齢まで引き上げてしまいました。

以前は精神的に未熟な面も多々あったのですが、身の回りで起こる物事を俯瞰して見られるようになりました。

人の精神年齢まで引き上げてしまう書物は、やはり『本物』、本物どころか『第一級』と言えるのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、今日は第九代アマカミ(天皇)のオシホミミ様即位の際のミコトノリを書き下し文から見ていきたいと思います。

アマテルカミのミコトノリ

ホツマツタヱ 11アヤ16頁

思わず涙がでるほど愛情のこもったミコトノリになります。

部下や後輩、またお子さんを育てている方にも、是非お読みいただきたい感動的な内容となっています。

意味を以下に記載します。(松本善之助氏の著書から抜粋:一部文章を変えてあります)

汝オシヒトよ。私に代わり長年怠りなく民を慈しみ育ててくれました。
アマカミの使命を全うしてくれたことを、ありがたく嬉しく思います。
ここにミクサノカンタカラ(三種の神器)を汝に授けます。
それはヤサカニノマカリタマ、ヤタノカガミ、ヤヘガキノツルギの三種です。
これはわが国の政治、道徳、刑罰、軍備などの重要な精神の原則を表徴しているものです。

補足:オシホミミ様アマテルカミ正姤ムカツヒメ(瀬織津姫)との間にお生まれになった方でイミナオシヒトといいます。(箱根の神山にお入りになられた方ですね)

オシホミミ様:小柄な方だったようです
さあ、初めに一番大事なヤサカニノマカリタマを受けるがよい。
これは、天の霊妙な光が、十分こめられている宝物です。
このタマこそ、わが民族の永久不変の理想たるアメナルミチを形どったものです。
このこころをよくよく味徳し、朝に優に拳拳服膺すればナカゴ(良心)は必ず真っすぐに保つことができます。
ヤタノカガミに対しては、心をカラにし素直に向かいなさい。
そうすれば、汝の本当の姿は、そこに写し出されるでしょう。
その姿がアメナルミチに適しているかどうかを、じっくりと反省しなさい。

補足:ヤサカニノマカリタマトノヲシエ(=建国理念)アメナルミチ(=恵民立国の精神)のモノザネを指す。

ヤサカニノマカリタマ:あくまでイメージです
国民の犯罪を罰するのも、同じ心で慎重にやるがいい。
またヤヘガキノツルギは、右に控えるフツヌシに預け、決して自分で持っていてはいけません。
武力を自分でもっていると、心が昻ぶったりした時、ついカッとなって、
これを振り回したくなるものです。
恐ろしく愚かしい結果を招かないように、くれぐれも注意が必要です。

補足:ヤヘガキノツルギアマテルカミが鍛冶師に作らせた八振りの剣を指す。

ヤエガキには、人々が自身の幸福のために罪を犯さないように垣を八重に回らせたという意味がある。

ツ(西)=ここではツルギのトミを指す。

けれども荒ぶる者があれば、断固として征伐する勇気を失くしてはなりません。
しかし無茶苦茶に兵を向けるようなことは厳しく慎むこと。
恵み和すという気持ちを忘れぬようにしてほしいものです。

ホツマツタヱ11アヤはまだ続くのですが、今日は一旦ここまでにして、続きはまた次回ご紹介したいと思います。

ミコトノリから学ぶアメナルミチ

以上ミコトノリの内容を踏まえて特筆すべき点は、治世の要は民を慈しみ、やみくもに武力を行使するのではなく、

あくまで恵み和す精神が根底にあったということです。

また、カミヨの時代のアマカミはアメナルミチを理想達成の目標とし、

ミクサノカンタカラ(三種の神器)のうち、ヤサカニノマカリタマトノヲシエのモノザネとして最も重要視していたことも分かります。

アマテルカミのお人柄

また、アマテルカミのお人柄を振り返ると、誠に愛情の深い方、謙虚な方ということが分かります。

アマテルカミには多くの子、孫、甥がおられたのですが、いずれも優秀なトミとなられています。

そして、外孫にあたるクシヒコさん(大国主命)に至ってはアマテルカミに生涯、誠心誠意もってお仕えし、

没後2000年以上経った現在も、真心を込めてお仕えしておられるという、誠に臣下の鏡のようなお方なのでした。

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典:池田満氏著/秘められた日本古代史(続)ホツマツタヘ:松本善之助氏著

身分・家柄問いません~上古代のトミに求められた素質とは~

こんにちは!前回の記事で第三代アマカミ(天皇)トヨクンヌ様の時代にキミ(君)トミ(臣)タミ(民)の三階層が生じたと書きました。

今回は、このトミ(臣)中間指導者層の役割についてフォーカスを充てていきます。

上古代(カミヨ)の中間指導者層に求められた素質とは、人々にミチを教え、民の暮らしをより豊かにすることでした。

前回の記事でもご紹介したワカヒメ様オモイカネさんの間に産まれたタチカラヲさんは、アマテルカミ(天照大神)の甥御さんたちの中でもひときわ優秀なトミでした。

タチカラヲさん(イミナはシツヒコ、別名トカクシともいう)

タチカラヲさんは暇があれば全国各地を巡行し、人々にミチ(農業指導)を教え、食料の増産に貢献していました。

そんなタチカラヲさんアマテルカミ(天照大神)はお褒めの言葉を賜ります。

少しの暇を見つけては人々の指導に赴こうとする尊い姿勢はあたかも、第七代アマカミのイサナギ様のようだ。
思えば、イサナギ様は次のようなウタをお詠みになられた。
イサナギ様の詠まれたウタ

美鈴は色んなワカに親しんできましたが、これほどまでに素晴らしいウタを詠んだのは初めてでした。

まず、身分が物を言う時代には、到底有り得ないことが書かれています。

では、早速ウタの意味を見ていきましょう。

上古代のトミに求められた素質

アマテルカミが上記のイサナギ様のワカを朗誦すると、その場に居合わせたアマノコヤネさんは次のように解説をしました。

とても分かりやすい内容ですので、是非お読みください。

アマノコヤネさん 眷属の方にお話を聞いたイメージ
マツリゴトの基本姿勢はタミの一人一人にまでも親身になって、その人に合った指導を
わだかまりの心なしに行き渡らせることが大切です。
農耕技術やその他の手仕事の技術も教えて、タミの一人一人の暮らしが立つようにすることです。
人々が仕事に精を出すように仕向ければ、それぞれのイエも豊かになって、
国家運営の礎の税の増収につながります。
人々を導き、豊かな社会を具現する人があれば、たとえ身分の低い出自であっても
上位のトミ(臣)として、任じられるでありましょう。

トミは一般の人々にミチ(トノヲシテを基本として生じたアメノミチ)を教え、人々の幸せのために尽くそうとする精神が求められました。

優秀な人材確保の課題

トミにはまた、トノヲシテ(初代クニトコタチが樹立した建国の理念を指す)を広める役割もありました。

しかし、その責務をなかなか果たせない現状にあったために、イサナギ様は世襲制が主流だった身分制度に改革を加えようとされました。

第七代アマカミ イサナギ様

このウタからも「自分が、自分が」ではなく「世のため・人のため」という精神が上古代の指導者に根付いていたことが分かります。

たとえ、地位や身分があったとしても、求められる職務をこなせないのでは、業務が回らなくなり、効率も悪くなります。

イサナギ様の試みは民の生活をより豊かにするうえでも必然であったのでしょう。

ヲヲヤケ(Public)の重要性

また、トミの地位にいる人には、ヲヲヤケを立てることが求められました。

これは、オホナムチさんの例を見ると分かりやすいと思います。

オホナムチさんは自国の出雲を豊かにしたことで驕慢となり、朝廷を軽く見たため右の臣を解任されます。

そのため、息子のクシヒコさんが、

と諫めをします。

クシヒコさん(オオクニヌシノミコトと呼ばれる)

つまり「一国の幸せよりも、全体の幸せを実現することの方がより尊い」という意味が込められています。

現代におけるトミの役割

現代においてはこのトミ(臣)に相当するポジションがほぼ皆無であると池田氏は述べています。

そのため、一般の人々が自らを律してゆく術を身に着けて、トミの役割を担っていく必要に迫られています。

アマテルカミは次のように仰いました。

よりよい世の中にするためにも、一人一人がより精神的に自立することで、よりよい社会になっていくのではないかと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:『ホツマツタヱ』を読み解く 池田満氏著

フレンドリーなアマカミ 神奈川県伊勢原 比々多神社

こんにちは!今回は神奈川県伊勢原市に鎮座する延喜式内社比々多神社をご紹介します。

比々多神社は以前にもブログで紹介していますが、境内地・近隣より縄文時代中期に遡る環状配石が発見された神社です。

その歴史は古く、一万年以上前に遡ると言われています。さて、そんな比々多神社におられる御祭神はどなたなのでしょうか?

柔らかな波動に包まれる比々多神社

御祭神豊斟渟尊(とよくむぬのみこと、天明玉命(あめのあかるたまのみこと)、稚日女尊(わかひるめのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)と書かれています。

豊斟渟尊とは、ホツマツタヱでは、第三代アマカミ(天皇)トヨクンヌ様を指します。

カミヨ(上古代)の時代の中でも上代のアマカミですが、どのような方だったのでしょうか?

ヲシテ文献を読みながら、探ってみたいと思います。何分素人の書き下し文にて、至らぬ点はご容赦ください。

ミカサフミ 2アヤ(※ホツマツタヱ 2アヤとほぼ同じ)から引用

ミカサフミ 2アヤ
初代アマカミ クニトコタチの世継ぎの神は、国を清やかな霊力をもって治めたことから、
クニサツチと呼ばれた。
(※八人のクニサツチのうち、ヱノミコトとトノミコトが二代目のアマカミになられた)


クニサツチの世継ぎの神はトヨクンヌであった。
トヨクンヌの御治世にキミ(君)トミ(臣)タミ(民)の三階層が生じた。
トヨクンヌには120人もの御子がおられ、結婚制度を持たないアメナルミチの治世が三代続いた。

※ここでのアメナルミチとは人々が守りゆくべき規範のこと)

器の広いトヨクンヌ様

ヲシテ文献を読むと、トヨクンヌ様は実に120人もの御子がおられ、いずれも男子だったそうです。

何とも、バイタリティ溢れるアマカミだったのですね!

トヨクンヌ様の治世では、結婚制度が確立していない郡婚時代であったので、特定のお妃はおられなかったのでしょう。

120人も御子がおられたのですから、トヨクンヌ様の器の広さにも納得です。

トヨクンヌ様は長身で目鼻立ちのはっきりした方です

歓迎をお示しになるトヨクンヌ様

比々多神社にお伺いした当時はホツマツタヱを知らなかったので、トヨクンヌ様のこともあまり良く分かっていませんでした。

それにも関わらず、トヨクンヌ様は美鈴の姿を見ると、禊の雨を降らせたり、キジのつがいを歩かせてみたりと、あらゆる方法で歓迎をお示しになられました。

キジのつがい(元宮に行く途中で遭遇)

そして、参拝者との距離感がとっても近いアマカミでした。(孫が会いに来た!みたいな感じでした)

どうしてこんなに歓迎して下さるのだろう、、、』と不思議に思っていましたが、

感激でいっぱいになった美鈴は、トヨクンヌ様に御礼をお伝えし、御前を後にしました。

こちらの神社も波動が心地よく、暫く境内を散策しました。古代の遺跡(下谷戸縄文遺跡)は元宮に行く途中で見学できます。

晴れた日には、元宮から伊勢原市街地を一望できるのでおすすめです。

稚日女尊とは?

さて、御祭神のお名前に稚日女尊(わかひるめのみこと)と書かれていますが、このお方はアマテルカミ(天照大神)の姉君のワカヒメ様で、イミナをヒルコといいます。

アマテルカミの姉君:ワカヒメ様

ワカヒメ様イサナギ・イサナミ様長女としてお生まれになりますが、ご両親が厄年であったため捨て子となり、カナサキさん(近畿地方のクニカミスミヨシとも呼ばれる)に育てられます。

捨て子といっても、本当に捨てられたという意味ではなく、『いったん捨てた子を拾って育てると丈夫に育つ』という伝承に乗っ取った、形式に沿ったものと思われます。

琴と和歌に秀でたワカヒメ様は、後にアマテルカミの左の臣となったオモイカネさんに恋心を抱きます。

恋心が募ったワカヒメ様は、遂にウタミ(短冊のようなもの)に恋歌を書いてオモイカネさんに贈るのでした。

気が動転するオモイカネさん

オモイカネさんウリフツキ(潤月)を取り入れたコヨミ(暦)を改新するほど頭脳明晰な方なのですが、思いがけない恋歌に驚いてしまいます。

そして、ワカヒメ様からのお歌を養父のカナサキさん(→同じく和歌の達人)に見せます。

カナサキさんは『これは廻り歌で、上から読んでも下から読んでも同じ意味になり、替えごとならぬ(結婚するしかない)ウタです』とオモイカネさんに伝えるのでした。

かくして、オモイカネさんワカヒメはめでたくゴールインするのでした。

ホツマツタヱはやはり胸キュンエピソードが多いのであった

参拝当時はワカヒメ様のことも良く分からなかったのですが、あの柔らかな波動はきっとワカヒメ様のものでもあったのでしょう。

トヨクンヌ様にお会いできる比々多神社に是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典/ミカサフミ・フトマニ:池田満氏著、秘められた日本古代史ホツマツタヘ/松本善之助氏著

あの方とのご対面 栃木県日光 二荒山神社(後編)

こんにちは!日光 二荒山神社クシヒコさんの御父上オホナムチさんにお会いするお話の続きになります。

二荒山神社へは東武日光駅から『世界遺産めぐりバス』で15分くらいでした。

バス停を下りると朱塗りの建物が見えました。『うわー何もかもが素敵すぎる!』と思わず感激してしまいました。

バス停目の前の建物

折しも日光は小雨が降りしきり、山全体に霧がかかり、雰囲気が出ていました。

マイナスイオンで浄化される
立派な参道です

オホナムチさんはどんな方?

神門を通り抜け、手水舎で手と口を清めて、拝殿に進みます。

優しい波動に包まれる拝殿

拝殿の前に進み出ると、『あっ、これは紛れもないアマテルカミ(天照大神)の波動!

まさしく、アマテルカミ(天照大神)の御娘タケコヒメのもの!

そしてはオホナムチさんはというと、とても謙虚で控えめ、そして池田氏の著書にあったとおり本当にお優しい方でした。

お似合いなお二人

なんてお優しいお方なんだろう』と思わず見つめてしまいました。

クシヒコさんはこんなにお優しいご両親からお生まれになったのですね)

オホナムチさんはどちらかと言えば、イナダヒメに似ておられて、引き締まったお体と整ったお顔がとても素敵です。

(実は、カミヨの時代は重鎮の方も粗食でした)野菜を常食し、獣肉はよほどの場合を除いては禁忌でした。

日の光を浴びた新鮮な野菜をヒモロゲといいます

オホナムチさんの涙

早速、祝詞を奏上して、『この国の発展のご尽力くださり、ありがとうございます』とお伝えすると、

何と!オホナムチさんは涙ぐまれるではありませんか!

(自分を良く知る人の訪問は、やはり嬉しいのでしょうね)

境内にあった親子杉

タケコヒメは美鈴に話しかけることはありませんが、いつもお優しい微笑みをたたえておられます。

ちなみに、タカヒコネさんは分からなかったのですが、眷属の方のお話では、ちゃんとおられるそうです。

タケコヒメ

しばらくお二人の前にいたのですが、ツアー客の方が来られたので、お二人に改めてお礼をお伝えして御前を失礼しました。

神苑見学の前に

拝殿の左手を目ると神苑入口があり、入場料300円を払うと見学できるようでした。

すると突然、『ちょうど人も少ない、ゆっくり見学するとよい』と、オホナムチさんの声が聞こえました。

あれ!?もしかして、お話できますか?』っと、あわてて拝殿に戻って話しかけてみましたが、オホナムチさんは遠慮されているようで、何も語りませんでした。

神苑には『二荒霊泉』や銭洗所など、見どころが沢山あっておすすめです。(休憩所もあります)

二荒霊泉

この神苑には大国殿という建物があり、田道間守(たじまもり)という方がお祀りされています。

田道間守さんの像

タジマモリさんとは、日本に帰化された新羅(しらぎ)の王子アメヒボコさんの5世孫にあたる方です。

アメヒボコさん長子であったにもかかわらず、弟に王位を譲っての帰化でした。

イクメイリヒコ(垂仁)天皇のミコトノリにより、タジマモリさんヒタカミ(東北)タチバナの木の実を求めて旅立ちます。

苦労の末、タチバナの木を持ち帰るのですが、イクメノキミは既に身罷られていたのです。

絶望したタジマモリさんは陵の前で自害してしまいます。このタジマモリさんの忘れ形見がヤマトタケさんの妃ヲトタチバナヒメですね。

ヲトタチバナヒメ

オホナムチさんおすすめの景勝地

神苑を思う存分堪能した美鈴は、あらためてオホナムチさんにお礼を伝えに行きました。

去りがたい心境ではありましたが、参拝者も次第に増え始めたので、帰ることにしました。

去り際にオホナムチさんが『神橋も見ていくといい』とおっしゃたので、

ん?神橋?来る途中で見えた朱塗りの橋のことかな?

来る途中で、大きな橋を見かけたのですが、二荒山神社の一部だったのですね。

折角、オホナムチさんがすすめて下さったので、見学して帰ることにしました。

神橋:霊域への入口を示す

拝観料300円を払うと、橋を渡ることができます。見ごたえのある立派な橋でした。

二荒山神社を思う存分堪能した、ようやく帰途に就くのでした。

オホナムチさんは自国の出雲を豊かにし、朝廷を軽く見るようになり、右の臣を解任されることになります。

そんな過去があったなんて驚くほどに、とても謙虚な方でした。本当にタケコヒメと仲睦まじかったと思います。

オホナムチさんに会える神社、日光二荒山神社を是非ご参拝ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考図書:ホツマ辞典 池田満氏著